医学界新聞

 

[新連載] 質的研究入門 第1回

ブラックボックスを開く(1)

――保健医療サービス調査研究部門の廊下での議論
“Qualitative Research in Health Care”Appendix(付録)より

大滝純司(北大医学部附属病院総合診療部):監訳,杉澤廉晴(同):訳,
藤崎和彦(奈良医大衛生学):用語翻訳指導


はじめに

 NHS(イギリスの保健医療サービス制度)が改革された結果,保健医療サービスに関する調査研究が注目を集めるようになってきている。保健医療サービスの供給者と受け手の双方が,費用が何に使われているのか,そしてより効果的に用いるにはどうすればよいのかを知りたがっている。このような調査研究に関係する各種学問領域では,保健医療サービスに関する情報収集の方法論が論議を呼んでいる。医師は,自分たちが受けたトレーニングの影響から,厳密な臨床試験や統計的なデータを生み出す調査のみを信頼し,それ以外のものには疑いを持ちやすい。一方社会学者の中には,NHSで起きていることを明らかにするには,そこで活動している人々をよく観察し彼らと話すことが大切であると論じる者もいる。この論文では,研究方法に関するこれらの異なる見解,すなわち量的研究と質的研究について取りあげた。効果的な研究をするには,両者によるアプローチが必要である。
 本稿は,保健医療サービスに関する調査研究に対して2つの相反する意見を対話形式で記載している。この雑誌「BMJ」としては例外的なスタイルをとっているのは,話題を提供し議論を活性化することを狙ったからである。対話という形式にしたため,2つの意見を対立させざるを得ず,議論の本質にある複雑な問題を簡略化しすぎているかもしれないが,未だに解決されていないこれらの問題の重要性を強調するために,この形式をとることにした。
 この対話は,大規模で活発に研究が進められている,保健医療サービスに関する調査研究部門(量的研究においてすぐれた業績を持つ)の主任研究者のオフィス前の廊下が舞台になっており,その主任研究者が最近採用された社会学者と会うところから始まる。

主任研究者と社会学者との対話

社会学者(以下,) よかった,やっと捕まえましたよ。あなたがこの研究計画書を却下した件ですが,「この研究は保健医療サービスの研究として適切ではない」とは,いったいどういう意味ですか。
主任研究者(以下,) あなたが調査しようとしていた病院はたった2つだけだったでしょう。これがサンプルといえますか。どうして,私が早くから提案していた無作為化比較研究にしないのですか。
 だってその方法では,あなたが知りたがっていることはわからないからです。私のは,その2つの病院で実際に何が起きているのかを明らかにしようという,意義のある計画だったのです。
 それはお見それしました。しかし,私たちは高いレベルの仕事をしているのだと医学研究の担当官庁を納得させなければなりません。小規模で数量化のできないようなあなたの研究ではそれは無理なのです。多くの臨床医は,保健医療サービスに関する調査研究を軽く見ています。私たちは,彼らから一目置かれる存在になる必要があるのです。
 どうしようというのですか。
 私たちは,良質で信頼できる科学的な研究をしなければなりません。つまり,臨床医が敬意を払い,理解しているのは科学であり,それが医療の基盤になっています。
 あなたは「科学」という時に,科学全般のことを指して言っているのですか,それとも方程式を使う経済学のような狭い意味でのハードサイエンスのことを言っているのですか。私に言わせれば,私が医療社会学者として行なうことすべてが,まさに科学的なものなのです。
 あなたが,ご自身なりの考えを持つのは一向にかまいません。しかし,臨床医はあなたのことを理解できないでしょう。彼らが知っている科学といえば,もっぱら実験的なもので,例えば治験や手術方法を検討するのに用いる無作為化比較研究です。私たちは,保健医療サービスの調査においてもそれと同じ方法を用いているのです。イギリスにおける最近の保健医療サービスに関する調査研究の一部には,無作為化比較研究が含まれていますが,私たちはもっとたくさんの調査研究を必要としています。
 例えば,心筋梗塞の治療を在宅で行なう場合とCCUの場合とを比較した,1960年代後半のMatherの研究1)のような古典的な調査がありますが,この研究では,病院で治療を受けた群のほうが1か月後の死亡率が高いという結果が報告されました。1年後の結果でも,在宅患者のほうが有意に良好な予後になっていました。
 ちょっと待ってください。その調査では,実際には約4分の1の患者しか無作為化されなかったのではないのですか。実験方法としてはほめられたものではありません。問題がありすぎます。
 ええそうです,しかしこの研究は他のグループによっても追試されました。その時はほとんどの患者が無作為化され,在宅での治療と病院での治療の間で6週間の死亡率に有意差はないことが示されたのです。こうした研究をもとに,CCUでの治療を必要とする患者と必要としない患者を見分ける基準を作ってきたのです。

誰が調査結果を実際に使うのか?

 しかし,この基準を実際に使っているのですか。
 知りません。私は単なる研究者であって心臓医ではありませんし,研究結果を実用化するのは,私の仕事ではありません。私は,基本的な知見を提供するだけです。
 私の知る限りでは,あなたの業績である知見はまったく無視されています。これは循環器科に限ったことではなく,他にも例があります。妊娠中や分娩中のさまざまな処置について多くの調査研究が行なわれてきました(Iain Chalmers2)はそれらをまとめるのに困っているくらいです)が,そこで得られた知見は,実際の産科治療にほとんど影響していないのです。
 つむじ曲がりの臨床医がいるのは仕方のないことです。ともかく,研究結果を臨床に取り入れない不合理な人がいるからといって,実験的な研究方法を放棄してはいけません。無作為化比較研究は,健康政策を発展させる非常に大きな潜在能力を持っています。しかも循環器科や産科のような個別の専門分野ではなく,もっと高いレベルでの話です。NHSやCommunity Care Act3)のような基本的制度についていえば,私たちは地域が保健医療サービスを購入する制度よりも,一般開業医のファンドホルディング制度(資格審査を受けた家庭医が登録住民の2次医療などへの予算執行権を持つ制度)のほうがすぐれているのかどうかを調べることができるかもしれません。私たちは,RAND健康保険の実験のようなことをしたほうがよいのではないでしょうか。
 何のことですか。
 RANDはアメリカでの大規模なプロジェクトで,住民を違った健康保険計画に無作為に割付けて,それが健康に及ぼす影響を含めた結果を調べたものです。私たちがここで取りかからなければならないのは,そういった種の仕事なのです。
 私にはそのような実験研究的なやり方が理想的だとはとても思えません。ここは,現代的な保健医療サービス部門ですが,科学に対するあなたの考えは古臭いままです。自然科学の実験研究モデルを持ち込んだだけのように思えます。私には,自然科学の分野で本当にそれが有用だということさえも確信が持てませんし,無作為化比較研究を最善の方法であると主張する権利があなたにあるとも思えないのです。それ自体には限界があります。

実験以外の選択肢

 私には,あなたが実験研究に反対しているだけのように見えます。
 実験研究にまったく反対というわけではありません,しかし「唯一最高の方法」だとあなたが主張するのを聞くと,社会学における実証主義についての大昔の議論を思い出します。
 「○○主義」の言葉で話さなければならないのですか。もっとやさしい言葉で言ってくれると理解できるのですが。
 それでは例をあげてお話しましょう。社会学者によって用いられる方法は,外科医と疫学者との見解の相違のように実にさまざまです。外科医たちは,個々のケースを直接的な体験――例えば彼らが見たもの,聞いたもの,そして彼らの指先で感じたものを通して学習します。これに対して疫学者たちは,外科の患者を変数の塊としての集合体レベルで見ています。ここまではよろしいですか。
 ええ,しかし私は外科医たちの経験談をそれほど信用しません。どうぞ先を続けてください。

※注1)BMJ 1971,iii:334-8,およびBMJ 1976,i:925-9参照
2)Effective care in pregnancy and childbirth. Oxford Univ. Press, 1989.参照
3)1993年に法制化された,在宅ケアの促進をめざすイギリスの制度


「質的研究入門」の連載にあたって 大滝純司

 British Medical Journal Publicationsから1996年に発行された単行本である“Qualitative Research in Health Care”(以下本書)を,私と数名の勉強会仲間で日本語に翻訳し,「週刊医学界新聞」に今号から隔週(原則)で「質的研究入門」のタイトルで連載していただくことになりました。
 EBM&N(Evidence-Based Medicine & Nursing)の中心を占めているのは,臨床疫学をはじめとするいわゆる量的研究(Quantitative Research)ですが,それを補完するものとして質的研究(Qualitative Research)が注目されはじめています。質的研究は特に看護の分野で早くから注目を集め,国内でも関連書籍がいくつか出版されていますが,内容が一部の理論に限られていたり医療分野での利用を志向していないものも目立ち,初心者が研究手法を理解するのに適した入門書が不足しています。また,医師の側には質的研究に関する認識が乏しく,非科学的な手法であるとの誤解も少なくありません。
 私は,1996-1997年にアメリカのボストン市にあるベスイスラエル・ディコネスメディカルセンターに留学。医学教育に関する研究をしていたのですが,ボストン周辺でもちょうどこの質的研究が注目されはじめた頃で,勉強会が開始されたり,ワークショップで話題として取りあげられたりしていました。そのワークショップの1つで,「質的研究に関する資料を検索して予習してくるように」と言われて見つけたのが,本書のもとになった,雑誌「BMJ」の連載でした。1995年から7回のシリーズの形で連載されましたが,それと今回掲載します論文「ブラックボックスを開く」を付録としてまとめたのが本書です。
 本書の特徴は,何と言っても「薄い」ことです。A5版程度の大きさで,約80頁しかありません。その薄い本の中に,質的研究の視点や主要な手法が,簡潔かつ具体的に紹介されています。本論文および次回に掲載する前文を一読いただければ,本書の由来や構成がおわかりいただけるでしょう。私たちも,質的研究については初心者同然ですが,この連載で質的研究に関心を持つ方が増えて,量的研究と支えあいながら発展していくことを願っています。
 原文は英国風に格調高いのですが,時には難解なので一部はかなり意訳して,社会学関連の用語などは,その方面に詳しい奈良医大の藤崎和彦先生に相談しながら訳しています。なお,日本でも英語表現がそのまま比較的広く用いられていると思われる用語は,カタカナで表記しました。お気づきの点など,ご指摘していただければ幸いです。