医学界新聞

 

第31回日本医学教育学会開催

医学と看護-それぞれの教育が大切にしてきたものとは


 さる7月29-30日の両日,東京の「なかのZERO」で第31回日本医学教育学会(大会長=武蔵野赤十字病院長 堺隆弘氏)が開催された(本紙2353号に既報)。本会では,「暖かいこころで満たす医学教育」という基調テーマが掲げられ,「暖かい心を育む」という観点から「医学教育と看護教育の連携」が取り上げられ,看護職からも注目を集めた。


看護とは何か,その本質を探りつつ

 パネルディスカッション「医学教育と看護教育-それぞれが大切にしているもの」(司会=名大 中木高夫氏,東海大 藤村龍子氏)では医学,看護双方からその教育の第一線で活躍するパネリストが登壇。それぞれの教育の現状や今後の動向を紹介しながら,よりよい医療をめざした教育のあり方を探る討議が行なわれた。
 司会の中木氏は「もともと,消化器内科医だった自分が18年間医学教育に携わった後に,なぜ看護教育に活動の場を移したか」という,エピソードを紹介。その中で,1980年にアメリカ看護婦協会が出した「看護とは実在または潜在する健康問題に対する人間の反応を診断し,治療することである」という看護の定義との出会いに触れ,「看護は健康問題に対する反応」を取り扱う職種という定義に,「なるほどと思った」と振り返り,「一方で,医師は『健康問題そのものを取り扱う』という本分をもっているが,長い間医師は『病を診て人を見ず』と言い続けられてきた。しかし,言われる割に態度がなかなか変わらないのは,医師の本質的なところに原因があるのではないか?」と,自身が抱いてきた問題意識を述懐した。
 さらに中木氏は,「教育にもそれぞれの特色が反映されているのではないか」と指摘。「医学教育では,問診・診察・検査・診断・治療・フォローアップという診療プロセスは,わざわざそのための教育をしなくとも確立している。ところが,看護では,科学的に看護を実践するために『看護過程』というものが1967年に考え出され,教育の中に取りこまれるようになってきているが,実際の臨床には必ずしもスムーズに導入されているとは言えない」
 「一方,臨床実習においては,看護はすでに患者さんの看護プロブレムを解決するプロセスを技術的なことも含めて実施してきた。医学教育ではつい最近になってようやく『クリニカル・クラークシップ』と言っている」など,具体例をあげて,その特徴を示し,「これらは医学と看護が持つそれぞれの本質と関わりがあるのかもしれない」と問題提起した。

医学教育が大切にしてきたもの

 パネリストからは,まず,福間誠之氏(明石市立市民病院)が口演。自らの教育実践から(1)問題解決能力,(2)臨床研究能力,(3)教育研究能力,(4)管理研究能力,(5)倫理的思考,(6)経済的観念,などを育成することの重要性を指摘した。
 続いて,村山正博氏(聖マリアンナ医大)は「現在の医学部は学生数が多すぎ,かつてのような寺小屋式の教授ができなくなった」,「小中高で塾通いに明け暮れ,大学に入ってから突然,問題解決能力を求められても困る」など現在の問題点を示した上で,聖マリアンナ医大における自らの教育実践の中で,「(自身が)大切にしているもの」を紹介。「1人の名医より100人の良医を養成すること」,「研究者より,よき臨床医を養成すること」,「医師としての使命感を早く認識させること」,「適性を早くみつけること」を強調した。

時代の変遷,教育も変容

 一方,大滝純司氏(北大)は戦後の大学医学教育の流れを振り返り,以下のように図説。
1970年~ 新設医大開設による入学定員の増加。医学教育もマス教育の段階へ。学生運動の沈静化
1975年~ 受験戦争・偏差値重視
1980年~ 大学教育への批判
1990年~ 変革
 氏は,受験戦争や偏差値重視によって,徐々に「医師像が曖昧になってきた」が,1980年代より大学教育が批判に曝されるようになり,医学教育においても「過度の専門分化」,「プライマリケア教員の不足」,「ジェネラリスト養成の必要性」が語られるようになったと指摘した。さらに,1990年代においては,医学教育は大きな転換期に入ったとの認識を示し,「量から質へ(数から能力へ)の価値観の転換」,「社会的責任の増加,多様化」,「医学情報等の増大」という状況の中で,「質の保証と多様性への対応」が求められるようになったことを強調した。今後の医学教育の方向性として,具体的に,「必修部分の厳選」,「選択の活用」,「多様化の支援」,「評価の妥当性重視」,「教育業績の重視」をあげた。
 また,看護の側からは,日本におけるPBL(Problem Based Learning;問題解決型学習)の第一人者と言われる小山眞理子氏(聖路加看護大)が登壇。看護においても「時代とともに自分の知識をいかに変化させていくかが大切である」と述べ,生涯学習の重要性を強調した。氏は「社会の変化に伴い,看護教育も変化している」と指摘し,「限られた期間でいかに教えるかが重要になった」,「内容(知識・技術)の習得だけでなく,概念・考え方のプロセスを重視するようになった」,そして,「経験的知識だけでなく,研究成果に基づいた看護実践が求められるようになった」と近年の動向を述べた。

「看護治療」

 そして,パネリストの最後に川島みどり氏(健和会臨床看護学研究所)が口演。48年間におよぶ看護経験を「チャレンジの連続だった」と振りかえったが,現在もなお続けている「チャレンジ」の成果を織り交ぜながら,看護の役割,その教育について検討した。
 その中で氏は,「その病気につきもので避けられないと一般に考えられている症状や苦痛などが,実はその病気の症状などでは決してなくて,まったく別のことから来る症状,すなわち新鮮な空気や陽光,暖かさ,静かさ,清潔さ,食事の規則正しさ,食事の世話のうちのどれか,または全部が欠けていることから来る」というナイチンゲールの言葉をきわめて示唆に富むものとして紹介。「手術の痛みよりも,手術によって動けないことの辛さ,自分でトイレに行けなかったときの辛さ,を考えたときに,看護の役割がどこにあるかは明らかではないか」と述べた。
 また,川島氏は,生活行動の援助だけでなく,病気そのものの治癒に向かって働きかける「看護治療」という言葉を提示。「自然治癒力を高める働きかけ,治癒不能であってもできるだけ高いレベルの健康を維持するための働きかけ,病気や苦難に対処するためにその経験に意義を見出せるような働きかけ,といったものを看護の『治療』と考えている」との持論を述べ,自らの実践,およびその研究成果を披露した。
 フロアを交えた討論では,「医学教育」と「看護教育」が共に「それぞれが大切にしているもの」をテーマに熱心な討論がなされ,パネル終了後には,今後も「医学と看護が共に教育について考えられる場所」を望む声が聞かれた。