医学界新聞

 

新連載 MGHのクリニカル・クラークシップ

第1回

基本マナー:患者への敬意

田中まゆみ(ボストン大学公衆衛生大学院)


 1987年から始まったハーバード大学医学部の新カリキュラム「ニューパスウェイ」では,「患者医師関係の重視」を教育方針の重点項目にあげており,患者に対するマナーはその核心科目として医学部の4年間を通じ一貫して強調される。問診・診察マナーは,1,2年生のときに,文字どおり手とり足とり教え込まれ,3,4年生のクリニカル・クラークシップでも実践を通じて繰り返し身につけるわけであるが,現場で目にした実例のいくつかを具体的に述べてみよう。

1.自己紹介

 「こんにちは,〇〇さん。私はこの内科チームのリーダー,□□です。こちらは私 たちの指導教官,Dr.△△,それから,Dr.××,彼には昨晩入院の時にもう会われましたね,その隣がDr.◇◇で・・・」回診のため新入院患者の病室に入ると,チームリーダーは必ず患者に全員の紹介をする。教官は「私がこのチームの責任者の△△です」と改めて名乗り,患者とにこやかに握手する。医師の自己紹介は,患者への礼儀の基本中の基本。患者の立場になってみればすぐわかることだが,医師団が1人ひとり自己紹介し,握手する労をとっているというその態度で,自分が客人として遇されていること,「症例」ではなく個人として尊重されていることを実感できるのである。

2.診察前(後)の手洗い

 これは,正確には,マナーではなく「危険行為の禁止」事項にあたる。手を洗わずに次の患者を診察することは「危険行為」とみなされ,目撃した同僚・看護婦は院内感染防止委員会に報告する義務がある。ホームズやゼンメルヴァイスの昔から,医者はいろいろ難癖をつけては手洗いに抵抗してきた歴史がある(註)が,この悪弊がようやく終焉を迎えようとしているとすれば,患者にとっては喜ばしい限りだ。患者1人の診察に5分間しかかけられない朝のチーム回診中も,手洗いは決して省略されることはなかった。教官も(時に照れくさそうな笑いを浮かべながらも)必ず手洗いを実行しており,何ぴとたりとも例外は認められなかったのは見事だった。

3.患者の身体を露出する時のマナー

 まず,ドアを閉め,廊下から見えないようにする。「診察中・入室禁止」というサ インにもなる。次に,カーテンを閉め,隣の患者から見えないようにする。
 ハーバードの大物教授が患者を診察するときのマナーを実録すると,
 「聴診のためにガウンをもうちょっとおろしていただけますか?」と尋ねてから,聴診器だけを胸元に入れて聴診する。入院時にインターンが必ず乳癌検診を行なうが,それ以外はよほどの必要がない限り女性に胸を露出してもらうことはない(ガウンの上から聴診する手抜きはもってのほかだが)。終わったらホックや紐結びは教授自身がやる。患者が「あ,自分でしますから」と恐縮しても,にこにこしながら「私がやりますよ」と慣れたもの。
 腹部の診察では,必ず毛布を引き上げて下ばきを隠してから「おなかを見せて下さい」とことわって腹部だけを露出する。鼠けい部を触診するときは必ず「これから腿の付け根を触って,脈を調べます」等と理由を言う。どこであろうと患者の体にいきなり触ることは絶対タブーである。「足を見たいので,靴下を脱がせていただいていいですか」と,手ずから靴下を脱がせて浮腫を調べ足背動脈を触れる。終わったあとはまた手ずから靴下をはかせる。仕草のすべてに,患者と患者の体に対する敬意があふれている。

4.医学用語はわかりやすく説明する

 理学所見を学生・研修医に説明する時は,患者に向かって「これから医学用語で言うことは,あなたの心臓の音からどんな病気を胸痛の原因として考えるか,ということなんです」等とことわってから始める。「今,TSと言ったのは心臓の弁の1つが狭くなっている病気のことです。以前,これを末期(Terminal Stage)の略だと思って青くなった患者さんがおりましてね,私は以来必ず患者さんに略語の説明をするようにしております」などと笑わせながら,その言葉通り,患者が疎外されて無用な憶測に苦しまずにすむように説明する。また,よくあることだが,医学用語での冗談でチームがどっと笑った時など,「あなたのことを笑ったのではありませんよ,実はこれこれでね……」と,患者がつんぼ桟敷に置かれないよう気を遣う。

5.Nonjudgmentalな態度で接する

 血痰と胸部写真異常で入院してきた患者がタバコ歴をきかれて「1日2箱,30年」と返事しても,絶対に非難してはならない。医師が自分に批判的だと思うと患者は治療に協力しなくなり,治療上逆効果だからである。同じ理由で,説教も禁忌である。
 患者は,病気になったということで十分にひどい目にあっている。その上,100%それが原因とも限らないのに「それだけタバコを吸ってちゃあねえ」と責めるのは,被害者に対する思いやりがなさすぎる。「タバコがいけなかったんだろうな」と内心後悔もしているが,一方で「なぜ自分だけが」と不公平さに腹も立てている,そんな時に,医師からまで自業自得と言われたらどんな気がするか。患者が医師の所に来るのは,治してもらいにであって,説教を聴きにではない。
 患者に対する批判や説教は,治療上有害無益なだけではない。「治療にあたり予断や偏見をもって差別する」ことに該当し,倫理的にも法的にも問題となる。医師としては,タバコのみであろうとなかろうと,肺癌患者として接する際に差別してはならず,原因に関係なく最善の治療をせねばならないのである。
 しかし,医師としてはやはり患者にタバコをやめていただきたい。少なくとも,やめてもらうべく努力はしなければ,それこそ倫理にもとるであろう。では,どういう風に言うのが正しいのだろうか。答は,「タバコをやめたいと思ったことはありますか?」と丁寧に尋ねることである。イエスなら,ニコチンパッチなど具体的な方法を助言する。「私は,あなたを助けるためにここにおります」と知らせるのが医師の務めで,それ以上の干渉は無用なのである。
 同じ理由で,肥満患者に「太り過ぎですね,減量しなくちゃいけません」と言うこともいけない。「あなたの身長だと適正体重は××kg前後ですね」と中立的に教え,「減量したいと思ったことはありますか?」と尋ねるのが正しい。イエスなら,栄養相談など具体的な方向に話を進める。ノーなら,それ以上無理強いはしてはならない。常に患者に決定権があるのである。

6.患者からの質問に誠実に答える

 診察や回診の最後には,必ず「何かご質問はありませんか?」と患者に尋ねる。このせりふが診察の締めくくりであり,患者に質問の機会を与えずに診察を終えてはならない。医師としては一通り説明したつもりでも,素人である患者に疑問や質問がないはずがないのである。患者が「いえ,特にありません」と答えた場合でも,ボディ・ランゲージ(顔の表情や口ごもり,身ぶりなど)から,遠慮しているのではないか,鬱ではないか,言いにくい質問なのではないか等と慎重に推し量って,優しく「本当に何も思いつきませんか?何でもいいんですよ」ともう1度尋ねて,質問を促すようにしなければならない。
 しかし,患者の意識が高い米国では,ほとんどの患者は促すまでもなく医師を質問攻めにしようと待ち構えているといってよく,インターネットで情報がいくらでも手に入ることもあって,びっくりするほど専門的な質問を仕掛けてきたり,逆に,いいがかりに近い無教養な質問でつっかかってきたり,かなり挑戦的であることが多い。ところがどっこい,医師は挑発に乗らず,見事に冷静に対処するのである。いちいち丁寧に,辛抱強く噛み砕いて説明し,自分の専門性に挑戦されてムッとすることもないし,軽蔑やウンザリといった態度は素振りさえも見せない(ように努力しているのがわかる時もあるが)。質問の答えがわからない時は,「わかりません(I don't know)」と率直に言い,「調べてあとで御返事します」と答える。そして,その言葉を守る。すごい,プロだ,と感嘆せずにはいられない。

(註)ハーバード医学部解剖学教授のホームズが産褥熱は感染性疾患で手を洗えば防げると発表したのは1843年のことであったが,「紳士の手は清潔だ。医師は紳士だ。医師が手を洗う必要はない」と猛烈な反駁を受け,発表したのが地方誌(ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスンの前身)だったせいもあって顧みられなかった。ウィーン大学産科助手のゼンメルヴァイスも1847年に消毒薬で手洗いすれば産褥熱を防げることを実証した(産婦の死亡率が4か月間で18.26%から1.20%に激減した)が,教室員は「手洗いは産婆のすること」と抵抗し,ゼンメルヴァイスが見張っていないとすぐサボッた。手洗いの不履行はすぐさま産婦の死亡率上昇につながったので,ゼンメルヴァイスは「産婦の命は私の手中にある」と日夜手洗いの見張りを続け,一層偏執狂扱いされた。

<プロフィル>
京都大学医学部卒,天理よろず相談所病院小児科レジデント修了。京大大学院を経て,ハーバード大学医学部の関連施設であるマサチューセッツ総合病院(MGH)およびダナ・ファーバーにて研究フェロー。MGHで内科クラークシップ,ケンブリッジ病院で内科サブインターンシップを経験。ECFMG(CSA)認定証取得。現在ボストン大学公衆衛生大学院在学中。