医学界新聞


杉村隆氏
国立がんセンター名誉総長
東邦大学長
日本対ガン協会会長

俯瞰的に見る「癌学」

時代を見る眼を養う

〔対談〕

Part.I


樋野興夫氏
癌研究会癌研究所
実験病理部長


「がん研究の過去・現在・未来:いくつかの落とし穴を考えつつ」

樋野 今年の第58回日本癌学会(広島市:9月29-10月1日,会長:田原榮一広島大教授)の特別講演で杉村先生は『がん研究の過去・現在・未来:いくつかの落とし穴を考えつつ』と題して講演されますが,「落とし穴(Pit-fall)」という言葉は非常に印象的です。そこで本日は,この言葉をキーワードにしてお話しできればと思います。最初に癌研究の現状を把握し,次に「落とし穴」を深く吟味して過去の歴史に学び,『問題の設定』を提示して21世紀の癌研究にインパクトを与えることは時代の要請であると強く感じます。
 まず現在の流れを見ますと,『癌は遺伝子の病気である』という認識の定着があります。2003年にはヒトのゲノムの全構造が解明されると言われています。一方では,最近アメリカのNCI(National Cancer Institute)では,「Cancer Genome Anatomy Project」が推進されています。その辺りから話を進めていけたらと思います。

発癌研究の歴史的な流れ

杉村 ご存知のように,発癌研究は多方面からのアプローチがなされてきました。まず職業癌の研究ですが,ドイツのゴム工場の従事者に膀胱癌が多いというレーン(L.Rehn)の報告,イギリスの煙突掃除人の陰嚢の皮膚にたまる煤により皮膚癌ができるというポット(P.Pott)の報告がありました。また,わが国の山極勝三郎先生や吉田富三先生らの業績もあります。
 一方で,癌ウイルス研究ではラウス(P. Rous)のニワトリ肉腫ウイルス(RSV)発見が今世紀初頭にありました。
 当初,そういうものはまったく別個のものと考えられていましたが,先生がご指摘なさったように,DNAの変異が関係しているという意味で共通に語られるようになりました。癌の研究もこれからは癌細胞のDNAとしての異常,癌細胞としての性質,それに基づく診断,そしてそれらが1つに融合した形になっていくと思います。

癌戦略上の「落とし穴」

杉村 研究のアプローチから言うと,発癌研究にはまず分子生物学という大きな山があります。ただ残念なことに,現在臨床と基礎が密接に繋がっているように見えますが,本当に繋がっているのかと自省すると,それほどでもないような気がします。例えば,癌の診断が何によってなされるかというと,分子生物学によって診断されたという人はあまりいません。主として画像診断によるわけです。光学,電子工学,NMR,超音波,放射線などの診断機器が非常に進歩したことは間違いありません。現在の癌の診断はおおむねこれらの進歩の貢献に負っているのでしょう。
 また,残念ながら社会医学的にもそういう進歩を国民全体に還元させるためのお金が十分に使われていないという事実があります。例えば,昨年の「癌検診の一般財源化」がその最たるものです。たかが300億円でしかないのに,一方では不良債権を補うために,70兆円もの国費を使っており,まったくバランスを欠いています。私どもの力の及ばない大きな穴ですが,そうした類の「落とし穴」はたくさんあります。
 それから,『癌は遺伝子の病気である』と言って間違いないのですが,epigeneticな変化もあるかもしれません。「DNAチップで診断すれば,オーダーメイドの治療ができるようになる」,あるいは「遺伝子治療が行なわれる」と言われますが,しかし遺伝子治療で完全に治った癌の患者さんが現在までにいるかというと,いないに近い状況です。時々フッと私は癌について語られていることに対して,何か虚しい気がするのです。それらは来るべき21世紀には埋められなければいけない「落とし穴」だと思います。

癌の個性

樋野 ウイルス発癌や化学発癌において,正常な細胞がいかにして癌化するかというメカニズムは,現在深く追求されてきています。しかし癌の診断となりますと,古くからの病理学のHE染色で診断できるし,浸潤もわかります。「この遺伝子に異常があれば浸潤する」,また「転移する」と言われても,われわれ病理学者は少し冷やかな目で見るような面も実際にあります。
 「癌は個性がある。よって癌研究者も個性があるべきだ」と吉田富三先生はおっしゃいましたが,私たちの体は60兆の細胞からなり,病理学的に細胞の種類は200位です。少なくとも病理学的には100以上の種類の癌があります。癌はそれができる臓器,細胞によっても個性がありますから,たとえ同じ遺伝子に変化があったとしても,表現型は個人個人変わってくるし,治療方針も変わってくると思います。
杉村 「癌に個性がある」ということに関連して,現在は分子標的という用語が流行ですが,まず標的を探すのに時間がかからないようにする必要があります。これは,「狩り」と同じですから,瞬間的に「鹿か兎か」と見分けられなければ始まりません。しかも,捕獲してみたら,とても食べられないような動物だったということもあり得ますから,科学的にかつ臨床的に応用可能な治療を確立するためには,やらなければならないことがたくさんあります。
 問題になるのはその普及です。その余徳を国民が受けられるようになるかどうかが重要で,どうも別の次元の問題ではないかと思います。また検診についても,1個の癌細胞を発見しても,これはまだ早すぎます。「癌細胞が1個あったのだから,10個位はあるだろう。だから治療する」というようなことはよいことでしょうか? ある程度の大きさ,10の9乗個になった時に,確実に治療できるようになるということのほうが,大切な気もするのですが。

癌の発生を遅らせる

樋野 そうですね。つまり10の9乗個の癌細胞集団は早期癌で,100%近く治ります。1個の細胞から10の9乗の細胞になる過程でいくら早く見つけても,予後は同じということになります。一方,1個の癌細胞ができるメカニズムの解明は,癌の発生を予防することになると思います。
 早期診断,早期治療という研究と,癌の発生の研究は少し違いがあると思います。
杉村 やはり癌の予防は重要だと思います。第2次予防というのは「癌で死なないこと」で,早期に発見し,治療を的確にすることです。第1次予防というのは「癌にならないこと」で,つまり癌化に必要な遺伝子変化が溜まってしまった細胞を作らないようにすること,いわゆる前癌状態までで止めることです。
樋野 癌の発生を遅らせたりストップさせることは重要なテーマになります。メカニズム的にはアポトーシスの誘導もあるでしょうし,バランスを増殖,つまり正の方向でなく負の方向へ傾けることだと思います。
杉村 癌は多段階的な経過を経るわけですが,ある遺伝子変化が加わることによってアポトーシスが起こるというように,段階には可逆的なものもあるでしょう。遺伝子変化の階段を1つ上がってきたが故に,逆に細胞死ということもあり得るのです。その上に,epigeneticな変化があります。
樋野 前癌病変のほうが,正常細胞よりアポトーシスに感受性が高いことはあり得ると思います。多段階発癌の視点から考えますと,1個の正常細胞に遺伝子の異常が多段階的に発生するわけで,病理学的には前癌病変は良性の病変ということになります。つまり「癌もどき」という概念は存在しないわけで,多段階発癌ではある確率で癌は進むわけですね。
杉村 ある遺伝子変化を持ったものは早く悪くなります。別の遺伝子変化を持ったものは割と長い間,同じ状態でいるかもしれません。ある細胞は遺伝子変化が加わり,かえって死んでしまうかもしれません。そういうダイナミックな状態にあるわけですね。遺伝子不安定性を招く遺伝子変異が1つ起こると変化が早く起こります。

自然退縮する癌

樋野 ところで,ニューロブラストーマ(Neuroblastoma:神経芽細胞腫)は現在,生後6か月で尿のマススクリーニングをしていますが,そこで見つかる癌はほとんど自然退縮します。これには,1歳以内に発生する予後の良いものと,1歳以上に発生する予後の悪いものの2つのタイプがあります。予後の良いものは,ほとんど自然退縮しますし,大きくなっても退縮します。最近,そのメカニズムが遺伝子レベルで盛んに研究されていますが,ともかく,癌には自然退縮するものもありますね。
杉村 そうですね。先生がおっしゃたニューロブラストーマには2つのタイプがあって,その内の1つはX線を当てたり,手術などしないで,ただ祈っているほうが良い。そういう癌もありますが,自然退縮がなぜニューロブラストーマだけに起こるのかは不思議ですね。多くの人がその研究にチャレンジしていますが,もしかすると他の癌には劇的に起こっていないから,気がつかないだけなのかもしれません。

稀な現象から研究の突破口を見つける

樋野 そうですね。これは稀な癌の現象ですけれども,そこから普遍的なものが見つかるということですね。
杉村 すべては稀なものから普遍的なものが見つかっていますよ(笑)。樋野先生の恩師であるクヌドソン(Knudson)博士が,「2-hits」を指摘した網膜芽細胞腫も普遍的な癌ではないですね。
 あの研究も例外と思った人が多いのでしょう。症例も少ないし,諦めるより仕方がないと思っていました。そういう癌から「癌抑制遺伝子」という普遍的なものが見つかってくるのですから,研究の飛躍的進展が起こる胎動の時のことはわかりません。
樋野 稀で例外的な癌から突破口が見つかるわけですから,研究評価のあり方もきわめて大切ですね。
杉村 大切です。成人T細胞白血病もそうではないですか。白血病とはわかっていても,高月清先生が報告するまで,独立した疾患として同定されませんでした。高月先生がクローバの葉のような形の核に気がついて新しい疾患と認識し,その後,日沼頼夫先生が患者やウイルス感染者に抗体を見つけたわけです。当時の一般常識から見れば,すべて例外的に進んでいます。
 私の友人のロバート・ミラーが,「変なことが3つ起こったら,それは大発見だ」といつも言うのですよ(笑)。「1つではわからない。2つでも気がつかない。3つ位になると人が気がついて,これは何か変だと思うようになる」と言うのです。
樋野 『癌は遺伝子の病気である』とよく言われますが,癌そのものは個性的で1個1個が非常に多種多様ですね。その多様性の中から,また複雑な現象からブレイクスルーになる原理(メカニズム)を発見する。まさに,「complexityからsimplifying and unifying ruleへ」(クヌドソン)ですね。
杉村 そう思いますね。

癌細胞のリセット:epigeneticな変化

樋野 先ほどepigeneticな変化と言われましたが,『癌は遺伝子の病気である』という「落とし穴」もまたありますね。
杉村 そうですね。セントラル・ドグマではないですが,『癌は遺伝子の病気である』という考えは新しいドグマでもあり得ます。進歩のためにはそういうことも一時期はいいです。実験をするにも,ものを考えるにも,原則となる知識がないと困るからいいのですが,いつまでもそれだけに囚われていると大きなものを見失うことになるのではないでしょうか。
樋野 クローン動物の核移植における体細胞のリセットの問題もあります。癌細胞といえども,1960年代のMcKinnellの実験でカエルの腎癌細胞の核移植でオタマジャクシまで発生したように,リセットが起こり得ます。遺伝子の病気ということでは済まされないですね。
杉村 何ものかがあるのでしょうね。
樋野 epigeneticに特異的な現象が起こった後に,何らかの2次的な変化としてgeneticな遺伝子異常が起こっていることも十分あり得ます。
杉村 そう,結果としてですね。
樋野 だから,われわれが臨床癌を見て遺伝子異常を調べても,単なるoptionalな変化が多いかもしれないですね。DNAチップを臨床癌に用いて遺伝子発現パターンを見ても,またそれをコンピュータ上でサブトラクションをしても,結局何を見ているかということにもなるわけですよね。前癌病変のような小さな初期の病変ならまだいいのでしょうが,多くの情報に振り回されることになります。
杉村 第一,人間の遺伝子が10万個で,癌に関係のある遺伝子が200個だとすると,9万9800個が癌に関係ない遺伝子ということになります。遺伝子の変化はアトランダムに起こりますから,200対9万9800の比率で,癌に関係ない多くの遺伝子に遺伝子変化が起こっていることになりますね(笑)。そう考えると慄然とします。それは癌細胞の増殖に関係ないけれども,探せば探すほど,9万9800個のほうに入るものも拾ってしまうことになります。

遺伝子発現病(gene expression disease)としての癌

樋野 Cancer Genome Anatomy Projectにしても,先ほど述べたように得られる情報があまりに多過ぎて,混乱するのではないでしょうか。科学者もその点を整理しなければいけないですね。ノイズが多過ぎます。これも大きな「落とし穴」ですね。
杉村 そうです。もちろん発見する機会が多くなるからいいことですが,原理的には付随的なできごとが多い。癌細胞の性質には本質的でない変化も,本質的な変化も,同じようにモノクローナルな増殖に伴って増えているんですよ。
樋野 先ほど言われたように大きな「落とし穴」は,Cancer Genome AnatomyやDNAチップにもあります。臨床癌を採って,DNAチップでポーンとやればいいという考えがあります。発癌研究において,そこからどのような真のブレイクスルーが生まれるのかをきちんと認識しておかなければいけないと思います。見つかる遺伝子の異常は,ただ付随的に起こってくるものが多いということを理解しておかないといけないと思います。癌化によってどれが重要な遺伝子の異常なのかがわかるような系なり,わかるような考え方を持って研究しなければいけないことになりますね。

「宝探し」

杉村 そうですね。たくさん見つかった変化の中で,癌細胞の特性を裏づけるために重要な変化を見分けなければいけません。
樋野 そういうことで,遺伝子変異がすべてわかったとしてもだめですね。その意義がわかるような方法を見つけなければ真のブレイクスルーにならないということになると思います。「宝探し」ですね。
杉村 未来を考える時には,やはり本質的なことを考えないと「落とし穴」に陥ってしまうのですよ。
樋野 そのためには現在はどういうことを考えるべきかだと思います。結局は癌というものをきちんと理解しておかなければいけないということになります。まさに,「俯瞰的に見る“癌学”」ですね。
杉村 そうです。全体のことを広く考えることが大切ではないかと思います。
樋野 かつて先生の恩師であられます中原和郎先生が言われましたように,歴史的にperspectiveに見ることが大切ですね。
杉村 中原先生の頃に疑問であったことは,おそらく現在でも本質的に疑問なので,今日もなお新しく解かれるべき問題が多くあり得ると思います。

生物種による違い

樋野 アポトーシスの問題は線虫ではよく研究されていますが,線虫の遺伝子は全部で1万5000個です。そのすべての塩基配列が去年決定され,今年はショウジョウバエが決定されると言われております。ショウジョウバエは線虫の大体2倍ぐらいになるでしょう。しかし,人間の遺伝子は10万個ほどですから,線虫の遺伝子と人間のmutationは自ずと違ってきますので,そのギャップも考えるべきです。
 人間で見つかった遺伝子で線虫にhomologyがあるものは,線虫で実験すると何らかのmutationが出るのではないですか。ところがノックアウトマウスでは表現型が出ないものが多数あって,約3分の1はそうだと言われています。おそらくredundancyでしょうが,それだけでは説明がつかないこともあると思います。生物によって大変異なるということですね。線虫には癌が起こりません。
杉村 そうですね。そこに進化論的研究というもう1つの山があるのですね。
 余談ですが,以前に“進化論的追究”というテーマの「高松宮妃癌研究基金国際シンポジウム」の発表論文をまとめて出版しましたが大変よく売れました。それまでに癌研究に“進化論的追究”という本がなかったからですが,先生が世話人をなさって今年11月に行なわれる「高松宮妃癌研究基金国際シンポジウム」でも“進化論的追求”というセッションがありますね。稀な癌や下等動物の癌などを研究することは大切なことです。
樋野 あまり皆さんがやりたがらないという感じですね(笑)。

オリジナル・スタンダードの欠如

杉村 日本には先般の「脳死者からの臓器移植」の報道騒ぎのように,なぜだかよくわからないことがありますね。当時,「この事件は画期的だから,報道が加熱気味になるのは当たり前だ」と言う報道に対して,養老孟司さんが「何が画期的なのか?」と言っていました。つまり「世界中で2万例も3万例もあることが,なぜ画期的になるんだ」ということです。本当の意味で画期的なこととは,「なぜ日本でできなかったのか」ということであって,それができるようになったプロセス自体が面白い。それが文明論的に画期的なことになるのでしょう。日本ではおしなべて,みんなと一緒にやると安心するところがあります。そういう風潮を打ち破るためにも,これからの癌学者は頑張らなければいけないでしょう。
 ところで,『History of Molecular Biology』というフランスの本が最近アメリカで翻訳され,「非常にバランスよく書かれている」という書評が『Nature Medicine』に載っていました。「科学史に関する著作は多く出ているけれども,ゴシップめいたエピソードばかりのものが多い。しかし,本来科学というのはそんなものではない。多くの人が科学を自然に楽しんで,新事実と出会って進歩したものである」という流れの本なのですが,日本人が出てくると思ったら1人も出てきません(笑)。遺伝子ゲノムプロジェクトを含めて,現在の研究費の大きな部分は分子生物学に行っているのではないでしょうか。それにもかかわらず,真に創造的なことをした人が少ない。いつまでも,“OKAZAKI FRAGMENT"では困ります。癌の研究でしたら,いくら何でも1人も出てこないということにはならないでしょう。
樋野 日本には発癌研究の伝統があって,山極勝三郎先生や吉田富三,杉村先生という流れがあります。しかし,Molecular Biologyは世界的には良い仕事かもしれませが,ある意味では『既知の比較』であるということですね。「オリジナル・スタンダード」の欠如ですね。
杉村 お手本がすでにあるのですね。
樋野 お手本があるので,安全ですから若い人もそこに向かうわけです。「Nature」や「Cell」誌に一喜一憂していますね。「“red herring(燻製ニシン)”に気をつけよ」(クヌドソン)ということですね。

評価の「落とし穴」-『既知の比較』

杉村 最近,危険だと思うのはパテントだとか発表論文数や引用指数などによって科学者を評価することです。それが安易になり過ぎています。まるでお互いに評価ゴッコをしているようで,その結果新しいことを発見するために使われる時間は少なくなっています。国民の税金を使っているのだから,ある結果を出さなければいけないのは当然ですが,しかしどう評価しても,評価された人も評価した人も,独創的な発見ができるかどうかは別問題ですね。
樋野 やはり自分の研究を深く進めるべきだと思います。座標軸をしっかり持ち,独自性を求める気概と気迫が大切ですね。
杉村 それともう1つ,研究をいかに楽しむかということも大切です。
樋野 「悠々」とした人物の育成ですね。
杉村 考えること,思索することが必要です。みんなやたら忙しい。政治家がそうでしょうね。本を読んでいる政治家なんて少ない。日本には握手している政治家はいても,思索している政治家なんてあまりいませんね(笑)。
樋野 そうですね。現代は『真空総理』の時代ですから(笑)。最近は『地位だけが見えて,人格が見えてこないリーダーが多く見受けられる』と言われています。そういう意味で癌研究は,深く思索し『時代を見る眼を養える』領域ではないでしょうか。
杉村 落ちついたほうがいいですね。

「先端科学」と「発癌研究」

樋野 特に発癌研究は先端的な科学とは異なり,“じっくり研究する精神”を植えつけることが大切だと思います。
杉村 まだまだ面白いことがたくさんありますが,やはり結構時間がかかりますから,「すぐに抜かれる。すぐに取られてしまう」ということはありません。少しゆっくりやっていても負けないことがいいですね。
樋野 発癌研究は非常にエキサイティングというか,楽しめる領域です。しかし,若い人たちは“Molecular biology”に振り回され不安になっていますね。
杉村 不安になっています。重要とわかっていることに携わっていたいという脅迫症ですね。しかし本来科学者は,重要だとわかってないことを研究する職業で,それを重要だと明らかにしなければいけないのです。例えば,クヌドソンが「2-hits theory」を発表した時,誰が重要だとすぐ認識できたかわかりませんね。
樋野 わかりません。彼自身もそう言ってました。日本の癌研究には,クヌドソンのような人物の存在が必要ですね(笑)。
杉村 そうですね。もちろん大勢で競争して仕事をするのもいいことですよ。しかし,皆がそうなってしまうとまずいですね。

少数を尊重する治療

樋野 ところで,発癌のメカニズムについては遺伝子レベルでわかり,また細胞レベルではこのmoleculeが変化するとこうなるというカスケイドがかなりわかってきました。しかし,個体レベルではまだギャップはあると思いますし,行き着くところに到達したとしても,そこにまた「落とし穴」がある。その「落とし穴」は何かということを今から先見的に考えなければ,5年後にそれに気がついてもまた大変ですね。
杉村 おそらく免疫療法などは,そういうことに深く関わり合っているでしょう。100人の患者さんの中で,2人位には確かに効く場合があると思う。ところが現在科学的だと思っているEBMなどの治験の方法ですと,100人に2人しか効かない方法は有効でないことになってしまい,統計的に有意義ではないとされます。
樋野 本当のことを言えば,その人個人に効けばそれでいいんですよね。
杉村 その患者さんにとって,決して100分の2ではなく,命は100%ですから。
樋野 そうですね。治療の許可とか薬の許可なども問題点がありますね。
杉村 大変ですよ。癌研究は今かなりいいところまで進んでいるから,このまま成熟した科学になっていくと思いますが,やはりもう少し思い切り投資をしないと,将来の大発展のためには困ります。アメリカの癌研究費はかなり増えていますね。
樋野 アメリカで癌研究費が伸びていることは素晴らしいと思います。日本ではダイオキシンや内分泌撹乱化学物質に大きな研究費が流されています。しかし近い将来,2人に1人は癌になる時代が来ると思います。癌研究の問題をどのように進めていくかについては,構造的なことも含めて考えるべき時代だと思います。
杉村 人材確保も大切ですね。

実験腫瘍学

樋野 遺伝子の異常がわかったとしても,発癌を深く考える姿勢が大切ということと,それから次世代という点からも,研究費の話も出ましたが,若い人たちは何を研究すればよいのか迷っているところがあるのではないですか。動物を用いた発癌研究についても,今後どうすべきかを考える時代になっていると思いますね。
杉村 そうですね。先生が研究なさっている腎臓癌のネズミや,北村幸彦先生(阪大)のお仕事などはいい例です。ああいう,動物と人間の間を行ったり来たりしている研究も大変重要です。
樋野 座標軸の縦軸と横軸の関係のようなもので,横に広がらず,深くのめり込むことも大切になりますね。
杉村 深く入りながら動物と人間の間を往復することです。100年前に,介在細胞という細胞が腸管にあることを発見したのはカハール(R. Cajal)先生ですね。それからマスト細胞をエールリッヒ(O. Ehrlich)先生が記載されました。これもやはり100年前のことで,結局,両方の細胞ともc-kitに関係しているのです。c-kitはレセプター・チロシンキナーゼであり,その機能が完全でないとマスト細胞ができない。またc-kitがないとカハール細胞もできないことがわかりました。胆汁が逆流して胃の中にポリープができます。ところがc-kit遺伝子に機能促進の体細胞変異が起こると,マスト細胞の腫瘍ができる。一方,カハールの介在細胞に機能促進の変異が起こって腫瘍になると,それが家族性のGISTでしょう。
樋野 消化管の間質細胞腫瘍ですね。
杉村 ああいう,ご自分で切り開いた研究をもっとみんなが尊敬するといいのではないですかね。
樋野 どういう系を用いるかということも大切になるし,その系を用いればどういうことがわかるかという認識も重要な要素ですね。
杉村 おそらくカハール細胞やマスト細胞の例もそうですが,北村先生のお仕事にもいくつかの幸運,いわゆるセレンディピティがあったと思います。北村先生は楽しみながら研究したと同時に,癌研究があのような形で展開したのは,先生が病理学の背景を持つ人だからではないでしょうか。日本のPh.Dだったら,あのようにはいかなかったのではないでしょうか。

グローバル研究と純正研究の止揚(アウフヘーベン)を求めて

樋野 そうかもしれませんね(笑)。そういう意味では最近,Genome Projectと並行してsaturation mutagenesisがあります。それは人為的にやって,そこからmutationを見つけることですね。知的資源というか遺伝子の資源という時代の流れもあって,巨額の研究費が導入されています。グローバルなサイエンスと,純正研究とのバランスをどのように考えていくかという重要な問題もあります。止揚(アウフヘーベン)ですね。
杉村 そうですね。そういう世界は絶対に必要だと思います。
樋野 研究費なども国家プロジェクトと普通のスタディグラントを別枠にすべきだと思いますが,わが国はバランスの欠如があって心配です。同心円ではなく,楕円形(2つの中心点)の精神が必要と思います。
杉村 全体のわずか5%位でもいいですから,少し成果が出ないかもしれない分野に予算を残しておく。そういうことが余裕というものなのかもしれません。サイエンスにはどこかディジタルではなく,アナログ的なものがどうしても残るんですね。

癌研究の構造改革

樋野 日本には文部省,厚生省,科学技術庁があり,それぞれ癌研究の資金の配分もありますが,「癌の診断と治療」という観点から考えますとやはり厚生省主導になると思いますが……。
杉村 そうですね。早期発見,早期治療,しかも効率的な治療という観点からも厚生省に頑張ってもらいたいですね。
 また一方では,「癌の予防」という観点からは,癌のonsetを遅らせて,その年齢を高齢者にずらすことによって,癌の発生を遅らせる,いわゆる「天寿癌」ですが,こういうことにも厚生省に力を入れてほしいですね。予防の効果がさらに現れますと「超天寿癌」,つまり人間の寿命がある間は,癌が発生しないことにもなります。
樋野 これからの発癌研究は,文部省では難しくなるのではと心配しています。
杉村 本来は車の両輪として機能すべきです。吉田富三先生の頃から文部省と厚生省と両方の研究費が両輪で動いていました。
 例えば,気管支ファイバースコープや二重造影法などは明らかに厚生省主導で,シグナルトランスダクションは文部省主導で進歩しました。しかし今回の省庁再編成で,日本の科学研究がどうなるのかということも大きな問題ですね。
樋野 日本の癌研究をアメリカのNCIのように構造改革してはどうでしょうか。
杉村 難しいところがありますね。医療制度,医学,倫理などが絡み合うので,アメリカが必ずしもお手本として完全とは言い難いでしょう。医学研究は人間の心が大切ですから,産業として発展を重視しすぎるのは注意すべきです。

潜伏癌から顕在癌へのメカニズムの解明を

杉村 ところで,腫瘍マーカーの研究が本当はもっと必要ではないですか。
樋野 そうですね。診断にとってマーカーは大切ですね。
杉村 ニューヨークで交通事故で亡くなった男性を解剖して調べてみると,必ず小さい甲状腺の癌などがあるそうです。しかし,その甲状腺癌は静かにしてくれて,ただ静かに寝ているだけなんですね。
樋野 潜伏癌ですね。そういうものがいかに顕在化するかということですね。
杉村 最後の引き金みたいなものですね。急に臨床的に問題になるような癌の仕組みは何なのか。前立腺癌でも同じですね。腫瘍マーカーの研究も援軍になります。
樋野 多段階発癌のレベルで考えますと,ある段階で止まっている癌があり,それがいかにして顕在化するのか,そのメカニズムの解明は重要になりますね。
杉村 そうですね。
樋野 癌というのは,わかっているようでいて,実は『行きつけば,また新しき里が見え』(山極勝三郎)ですね。
杉村 「汲めども尽きず」というわけですよ,まだ。
樋野 そういうところを認識して,社会にアピールしなければいけないと思います。
杉村 そうしませんと,癌に関して俗談が横行します。現在,癌研究が本当にチャレンジすべき大きな山を迎えていることが見逃されています。

癌研究における“森と木”の関係

杉村 「木を見て,森を見ず」という言い方がありますが,樋野先生はいま「森」を研究しようとしているわけでしょう。「木」を癌とすれば,いろいろな「木」が生えています。さらに,1つの癌遺伝子をめぐって「木の葉っぱ」を一所懸命研究していると,3年でも4年でも楽しめるんですよ。しかし,その「葉っぱ」の魅力的な機能を研究しても「森」がわかったわけではありません。そういう点でもいろいろな「落とし穴」があります。それは癌研究に限らずどの分野の科学でも同じではないでしょうか。考えてみれば感染症対策も「落とし穴」に陥ったわけですよ。わが国ではインフルエンザ・ワクチンが現在不足しています。数年前まで目の敵のように言われていたのが,あっという間に「ワクチンを作らなければいけない」と変わってしまったわけです。そういう事態が生じる大きな理由は,皆が一斉に「右向け右」と言うと右を向く,つまり全体主義ですよ。
 例として適当かどうかわかりませんが,水族館に行くとすべての魚が一斉に同じ方向に泳いでいます。そこにたまには,逆に泳いでいる魚がいる。それは威勢もよくないし,どうもパッとしないのですね。しかし,逆に泳いでいく,あまり恵まれない魚,私はそういう存在が大切だと思います。水流に逆らって泳ぐ魚ですね。
樋野 『生きた魚は水流に逆いて泳ぎ,死せる魚は水流とともに流れる』(内村鑑三)ですね。20世紀の癌研究はともかく非常な進歩を遂げたわけですね。
杉村 そうです。あるレベルにまで達しました。そのお陰である面では,癌の告知を恐れない患者さんも増えました。

“何か気ぜわしい”“何かがおかしい”

樋野 しかし,最近は目標が不透明になってきている状況があるように思いますが。
杉村 それよりも,することが多すぎて忙しすぎます。
樋野 何となく気ぜわしくなっていますね。研究費も増加し,そういう意味では状況はよくなりましたが,目的が曖昧になってきていると思います。杉村先生はがんセンターに,私は癌研に所属していますが,癌の専門家としてその点を認識し,21世紀に向かって道筋を示すことが重要な時代になってきたと思います。
杉村 こういう対談もそうですが,わからないことをわからないとして,問題があることを問題があるとして,恰好が悪いことは恰好が悪いままに情報開示する必要があるのではないですか。しかし,恰好よくないと評価されないんですよね。
樋野 癌研究者は,Cancer Genome AnatomyやDNAチップなどをどういう精神で利用するのかを考えておく必要があると思いますが。
杉村 それは非常に重要なことですね。
樋野 今まで癌研究に携わってきた人たちは,癌をどのように理解していたのか。ヒトゲノムの全構造がわかった時に,どういうことが期待されるのか。また,遺伝子変異はほとんどが付随的に起こっているものである。そういうことも認識する必要があると思いますね。
杉村 おそらく病理学者でないと認識できないのではないでしょうか。病理学者が堂々と胸を張って先頭を歩かなければいけないと思いますね。

大病理学者は「作家」であり,「編集者」でもあった

樋野 まあ,病理学者は最近,気迫,気概がないですから(笑)。
杉村 いやいや。だからこそ樋野先生たちに頑張ってもらわなければいけません。面白い話を紹介しますと,ある人名辞典で「ウィルヒョウ(L.Virchow)」の項目を引いてみたのですが,驚くべきことに,「作家」「編集者」「政治家」と書いてあるのですね。
樋野 あの大病理学者がですか。
杉村 そうです。それから,「人類学者」「民族学者」「考古学者」と続いて,最後に「病理学者」とあって,「“Cellularpathologie(細胞病理学)”を1858年に著し,そこから癌の研究が始まる」と書いてあります。
 そして,「ウィルヒョウはパスツールの細菌説に反対だった。ダーウィンの自然淘汰説,進化論説にも反対した」と書いてあります。恐ろしく頑固な,どうしようもない病理学者だったのでしょうね(笑)。しかし,癌は細胞が分裂してできるということを主張しました。
樋野 「読書は充実した人間を作り,会話は機転のきく人間を作り,書くことは正確な人間を作る」(ベーコン)ですね。
 原点に戻ってやらなければいけないということですね(笑)。
(次号に続く)

Part.IIの構成
●癌遺伝子治療の「落とし穴」と遺伝子予防
●癌の化学予防の「落とし穴」
●組織・細胞特異的発癌の重要性
●クローン動物における発癌
●環境発癌の「落とし穴」
●研究におけるボルトを緩める自由度
●遺伝子診断と治療感受性
●倫理の「落とし穴」-科学のこころと良心
●癌研究を通して,時代を見る眼を養う