医学界新聞

 

 連載

「WHOがん疼痛救済プログラム」とともに歩み続けて

 武田文和
 (埼玉県県民健康センター常務理事・埼玉医科大学客員教授・前埼玉県立がんセンター総長)


〔第10回〕がん・痛み・モルヒネ(6)
WHOがん疼痛治療暫定指針の試行(1)

埼玉県立がんセンターでの試行

 WHO協議会が開かれた1982年に話が戻る(本紙3月22日付,2331号)。WHO協議会閉会までに私に渡された討議資料や記録は6-7cmもの厚さとなり,スーツケースはかなり重くなった。ミラノ,フランクフルト,コペンハーゲンと乗り継ぎながらの成田への帰路であったが,その途上で預けたスーツケースが乗り継ぎ空港に到着していないというハプニングもあった。
 もう今はなくなったアンカレッジ経由の飛行で,成田に向かう機内での長い時間には,WHO協議会で合意したことを日本でどう広めていくとよいか考えながら過ごしたものだった。なにはともあれ,スーツケースも無事に成田に着いていた。
 私は,埼玉県立がんセンターに戻った日から,留守を守っていてくれた卯木次郎脳神経外科医長(現手術部長)とともに,脳神経外科に入院中の患者のがん疼痛治療をWHO方式に改め,普及には翻訳が必要と「WHOがん疼痛治療暫定指針日本語版」を作成するに至った。そして1983年2月1日に,私は医局カンファレンスで1時間にわたり,「WHO Cancer Pain Relief Programmeからの中間報告:WHOの考え方と治療指針」と題して報告を行なった。

予想を越えた反響

 毎週火曜日に開かれる医局カンファレンスは,職種を問わず出席可能だが,普段の出席者は医師ばかり。しかし,この時の医局カンファレンスは,多数の医師と看護職に加えて,薬剤師や事務職員も出席し,椅子が不足する盛況ぶりで,がん疼痛治療についての新しい情報を得て痛みのケアを向上させたいとの意欲を反映していた。
 WHOのプログラムは,「世界のすべてのがん患者の痛みからの解放」を,現存の医療体制の中で実現していくことをめざしている。この報告では,そのために世界各国の知識を集約して治療指針が作成されたこと,各国での普及には障害因子がいくつも存在していてその克服が急務なことなどを紹介し,暫定指針を具体的に解説した。
 また,WHOの協議会で意見の一致をみたのは,世界的に増加しているがん患者の痛みからの解放が,がんの予防,早期発見,治癒の促進と同じウエイトで重視され必要不可欠となっていること,さらにその背景にある因子などを説明した。
 さらに,WHO協議会がまとめた暫定指針では,鎮痛薬を非オピオイド,弱オピオイド,強オピオイドに分け,痛みの強さの程度に応じて使い分けていく方法をとっていること,鎮痛薬の選択法や使用法を明確に示し,痛みが中程度から高度の強さ,あるいは他の薬が効果不十分な時にはモルヒネを使い始めるべきであること,またその際に患者の余命の長短を考慮しなくてもよく,耐性や身体的依存はモルヒネの臨床使用を妨げることがなく,精神的依存は稀にしか起こらないことが欧米の国々では常識になっている,などを紹介した。
 その上で,「WHOから暫定指針の試行を,埼玉県立がんセンターで行なうよう求められています。病院全体でこれに協力し,応えていこうではありませんか」と提案。モルヒネ処方については,各科の相談役を私が引き受けて試行することになった。
 これに応えるかのように,各診療科からの私への相談が飛躍的に増加したが,他方では,「モルヒネを使うというのは恩師の教えに反することなので,しばらく考えたい」という医師もいた。一方で看護職は,「強い痛みを持った患者さんのケアは,相当努力してもほとんど成果をあげません。患者さんを痛みから解放するためなら協力を惜しみません」と全員が賛成してくれた。これに呼応して看護部は院内研修内容を見直し,新たな勉強会を始めた。

埼玉県立がんセンターにおけるWHOがん疼痛治療暫定指針の試行成績
(1982年12月から1984年1月までの実施分)
薬剤群I.非オピオイド
アスピリン
II.弱オピオイド
コデイン
III.強オピオイド
モルヒネ
3段階
総合成績
対象患者数
(鎮痛補助薬併用)
86
(30)
59
(34)
118
(21)
156
除痛成績
( )内は%
 完全な除痛
 ほぼ完全な除痛
 痛みの軽減
 無効

29(33)
10(12)
37(43)
10(12)

28(47)
11(19)
15(25)
5(8)

98(83)
14(12)
6(5)
0

136(87)
14(9)
6(4)
0

患者からも好評

 私が所属する脳神経外科のがん患者を対象に,1982年12月から始めていたWHO暫定指針の試行は,このようにして各診療科の患者へと広がり,各科から痛みを持つ患者についての相談がかなり増え,主治医の依頼で処方を書くことも多くなった。
 痛みのアセスメントは患者に聞くことに始まり,痛みの治療は説明に始まるとの原則をそれぞれの現場が実行した。痛みが消えると患者は明るい表情を取り戻し,前向きの闘病姿勢を保つようになった。そして彼らは,痛み治療を担当する私に難しい質問をよく投げかけた。
 がんとの診断が本人に伝えられていない時代であったため,「私の病気はがんでしょう」との質問には,「痛み」を主語に話し合うことで,非告知派の主治医の説明との間に溝を作らない努力も最初の頃には必要であった。患者本人に真実を伝えることについての私の考え方は別の機会に述べるが,こうして対象患者が増えるにしたがい,埼玉県立がんセンターから痛みに苦しむ患者が減少し始めた。
 そして,対象患者が100名に近づいた頃から,私たちは治療成績を関係学会や研究会に発表し,同時にWHOのプログラムも紹介することを始めた。

つづく