医学界新聞

 

 Nurse's Essay

 外来看護ができること

 久保成子


 5年ほど前,『伝言=ことづて』と題した本を出しました。(医学書院,1994年)
 働き盛りの男性が突然,がんと診断され入院。手術を受け,退院後は外来通院をしている。手術治療を受けたとはいえ,家族の誰もが再発を覚悟しての生活。そして家族には「1年後くらいで再発」と知らされてもいる。
 そうしたご家族との交流と,交流の中から私が学び考えたことを,病む人からの「ことづて」として伝えたかったのです。
 その中で私は,こうした通院患者さんへの看護ケアについて触れ,「生活の援助」の視点を,患者さん本人から患者さんの家族に向けることを提案しました。
 当然のことながら,通院患者さんの生活の場は家庭です。そこでの患者さんは病気に対する焦燥や不安をさまざまな形で家族(夫人)に吐露しながらも,現在の健康状態を維持していく努力をしています。そして,その生活を担っているのが夫人であり,したがって夫人は「生活の援助」の主役なのです。その夫人に対して看護婦は,「ケアを行なっている同僚」として接していくことが大切だと考えたからです。
 がんを病む人の援助がどのように困難なものかを看護婦は知っています。病院内であれば,そうした入院患者さんの看護を担当している同僚に対し,「大変でしょう,お疲れさま」と声をかけて労っています。私は,それと同じことを通院患者さんの家族に対して行なうこと。加えて「私がお役に立てることは?」と尋ねてみることが,外来看護婦の主要な役割ではないだろうか,という提案をしたのです。なぜかと問われれば,患者さんにとっては家族のありようが生きていくその時々の大きな力となっているからです。
 退院後1年で再発と診断されていた患者さんも,夫人(援助者)が常に労りを受け,ケアをされている場合においては,見事に医学的見解を裏切り,2―3年を家族とともに生き生きと生活されます。そのような力を発揮される場合が多いことを,私は家族との交流で学びました。また,交流は現在も続いており外来看護に期待しているところです。
 さて,私のコラムも今回が最終回。長い間のおつきあい,どうもありがとうございました。

〔編集室より〕
 約6年にわたり連載されました「Nurse's Essay」は今週をもちまして終了いたします。なお次回(7月)からは新たな連載が始まります。ご期待ください。