医学界新聞

 

連載
経済学で医療を診る

-医療従事者のための経済学

中田善規 (帝京大学経済学部助教授・医学部附属市原病院麻酔科)


第6章 完全競争市場での価格と生産量(2)
-医療業界の市場競争を生き残る

はじめに

 前回は,完全競争市場という経済学の基本的な市場モデルを医療業界に当てはめ,短期的な視点から病院経営者の行動パターンを考えました。そこで今回は,長期的に医療業界を見た場合を考えてみます。

完全競争市場の長期均衡

 第1章でも述べましたが,完全競争市場というのはのように定義できます。では,長期均衡とは何でしょうか。長期においてはすべての費用は可変費用になります。なぜなら,短期で固定費用として考えた病院の土地代や建築費,設備費なども長期的には変化させることができるからです。つまり,ベッドや車椅子などの器具も長い目でみれば買い替えの時は来ますし,病院という建物自体も,老朽化が進めば建て替えを余儀なくされるということです。それゆえ病院経営者は,全収入が全費用を上回る時のみ市場にとどまることができます。最適な生産量は,市場価格が長期限界費用に等しく,かつ長期限界費用が増加している水準になります。この生産量で病院経営者が正の利潤をあげていると,他の病院経営者が市場に参入してくるため,市場全体の生産量が増加して市場価格が低下します。そして市場価格が平均費用と等しくなって,利潤がゼロになるまで参入は続くのです。

表 完全競争市場の定義
(1)市場には大勢の売り手と買い手が存在して,単独でその需要と供給を変えても価格に影響を及ぼさない
(2)市場で取り引きされる製品は同質である
(3)売り手と買い手は完全な可動性を持ち,自由に市場に参入・退出できる
(4)売り手と買い手は完全な情報を持ち,製品の価格や質を完全に知っている

医療市場の現状について

 日本の医療に目を向けてみましょう。現在多くの民間病院が赤字を計上していることがテレビなどで報道されています。ご存じのように医療サービスの価格は市場で決定されるのではなく,診療報酬点数で決まっています。この事実からすると多くの病院で診療報酬はのP2のように平均費用より小さく,平均可変費用より大きいと考えられます。なぜなら診療報酬が平均費用より大きければ正の利潤(すなわち黒字)を計上しますし,逆に平均可変費用より小さければ病院は操業を停止するからです。こうした民間病院は長期には市場から退出していきます(倒産かもしれません)。もちろん,こうした会計上の利潤と経済学上の利潤を同じものとしてみることはできないことがありますし,後で述べるように,完全競争市場がモデルとして適当でない場合もあります。
 こうした市場の作用は,非効率的な病院(医療サービスを生産するのに費用の多くかかる病院)を淘汰していきます。こうして市場に生き残るのは効率的な病院のみになります。ちょうど護送船団方式の銀行業界がビッグバンで淘汰されるのと同じです。完全競争市場は資源の最も効率的な分配を可能にします。この秩序立った市場システムは最初アダム・スミスによって唱えられ,その古典的作品「国富論」は今でも読み継がれています。スミスはその中で,市場システムを『神の見えざる手』と表現しました。すなわち各人が自己の利益のみを追求して行動すれば市場は『神の見えざる手』に導かれて最も効率的になると言いました。
 しかしながら,こうした完全競争市場は現実の医療市場には純粋な形では存在しません。例えば1つの市場に無数に多くの病院があることは稀で,たいていは数軒の病院が競争しているにすぎません。また各病院の生産する医療サービスも完全に同質的ではありません。外科手術に強い病院もあれば,精神疾患に特化した病院もあります。市場への参入・退出も自由ではありません。病院が儲かりそうだからといって,誰でも病院を開設できるわけではありません(政府の許認可が必要です)。さらに完全な情報もありません。他の病院でどんな治療が行なわれているかは,患者にはわかりにくいものです。

まとめ

 こうしたことから,完全競争市場を医療に当てはめるのは無理かもしれません。
 しかし完全競争市場をここで紹介したのには意味があります。完全競争市場を基礎にして他の市場を分析するからです。次回はより医療の現実に近い独占市場を考察します。