医学界新聞

 

 連載

「WHOがん疼痛救済プログラム」とともに歩み続けて

 武田文和
 (埼玉県県民健康センター常務理事・埼玉医科大学客員教授・前埼玉県立がんセンター総長)


〔第8回〕カンボジアのがん疼痛治療・緩和ケア対策見聞記(3)
カンボジアとがん疼痛治療薬

モルヒネは使えない薬

 がん疼痛治療に使うべき薬の大多数が,カンボジアでは入手不能であった。非オピオイドとしては,アセトアミノフェンとアスピリンなどが入手できるが,オピオイド鎮痛薬の供給も使用指針もなかった。国の基本薬リストには,経口モルヒネもコデインも収載されておらず,昨(1998)年初めてモルヒネ注射液が収載された。ある国立病院は,今年になってモルヒネアンプルを輸入したが,それは麻酔目的であって,鎮痛目的ではなかった。
 多くの病院でペンタゾシンが今でも使用されている。2-3の病院には,国際的な支援として正規のルートを通じて,モルヒネないしトラマドールが寄贈されていたが,それも限られた量であり,一時期使えただけのことであった。また薬の価格の点で,がん疼痛治療に必要な薬の長期使用ができないという事情もあった。というのは,正規のルートによるモルヒネの10mgアンプルは約1米国ドルであるのに,一般市民の推定月収は,10-50米国ドルであった。それに加えてカンボジアには健康保険制度がないという背景があった。処方せんによって,市中の薬局でも入手できることが時としてあるとのことだが,価格はさらに高額と聞いた。
 もう1つの大きな障壁は,医療用オピオイド鎮痛薬による依存症と不正使用に対しての無用の懸念と恐怖とが著しく広範にみられることであった。
 「モルヒネ」あるいは「麻薬」という言葉は,市民にも医療従事者にも不正や犯罪というイメージをまず想起させてしまうのである。適切な教育的アプローチにより,緊急に是正すべき問題であった。保健省の薬務当局担当官と,「経口モルヒネをできるだけ安価に,医療用として導入する正規のルートを確保すべき」との話し合いを始めることも私の大切な任務となり,私は担当官と2時間も討論し,理解を求めた。

乳がん患者の激しい胸痛

 国立シアヌーク病院は,旧ソビエト連邦の支援で1957年開院した最大規模の国立病院である。他にもプノンペンには,日本の援助で作られた国立母子健康センター病院,フランスの支援を受けている国立カルメット病院などがあり,そのいずれの病院にも訪問した。シアヌーク病院では,埼玉でのWHO西太平洋地域ワークショップ(この項(1),2337号参照)に参加した旧友キーアン・ヤナ診療担当副院長から,進行乳がん患者の強度の胸痛の治療について相談を受けた。キーアン・ヤナ博士は,埼玉のワークショップで初めて学んだ世界のがん疼痛治療と緩和ケアの現況に驚き,その概念と方法論をカンボジアに持ち帰った人であるが,国内の同朋には彼の報告に関心を示す雰囲気はなく,その方策として私の招聘を提案した人でもあった。
 原発部位の外科治療もできないほどに進行した乳がん患者の病室に訪れると,50歳のやせたその患者(写真)は,胸水ドレナージを受けており,激痛に耐えかねて胸に手を当てて声をひそめて泣いていた。涙を流しながらも彼女は流暢な英語で,「痛みから解放してほしい」と私に訴え,自ら詳しく病状を説明してくれた。主治医の若い内科医は,コデインの入手に努力し,「最大限まで増量して経口投与したが少しも効かない」と言う。到着して3日目で,当地の医療事情が把握できていなかった私は,「モルヒネが効くと思うが,モルヒネを入手できないか」と彼らに聞いた。それに対し,患者も主治医も「入手できないし,入手できたとしてもかなりの費用がかかる」と残念な表情となった。

激痛がモルヒネで消えた

 この乳がん患者のことはとても気にかかっていたので,カンボジアを離れる前日に主治医に連絡をとり,その後の様子を尋ねると,痛みは消えたとのこと。どのような治療をしたのか問うと,「経口モルヒネを使った」と言う。どうやって入手したのか不思議に思い入手方法を質問したところ,「患者と話し合い,処方せんを書いて入手の機会を探ろうと合意し手配したら,市中の薬局を通じて経口モルヒネが入手できた」とのことであった。
 ヴァンダーバーグ博士が,到着早々の私に話してくれた「理解を越えることにも遭遇する」とはこのようなことを含んでいたのかと思った。薬の供給制度が確立されていない現在では,医師の責任をとる姿勢と患者の費用負担能力のもとに処方せんを発行すると,市中の薬局からの入手が可能とのこと。必要な薬が,できるだけ安い価格で入手できる供給体制作りが緊急の課題と感じた。このような現実を踏まえて,カンボジア初の国主催による「がん疼痛治療と緩和ケアに関するワークショップ」に,主催者側の役目も負う1人として出席した。

この項つづく