医学界新聞

 

“臨床疫学研究”の現状と展望

「第25回日本医学会総会」の話題から


 「EBM(Evidence-based Medicine)」という魅力的な造語に基づく考え方がわが国の医療に急速に普及しつつある。先ごろ開かれた第25回日本医学会総会において,「臨床疫学研究の現状と展望」「わが国における疫学的介入研究」というテーマが,初めてシンポジウムに取り上げられたことも,そうした動向の証左と言えよう。しかしその一方で,この研究分野のリーダーである福井次矢氏(京大教授・総合診療部)が,「わが国でもここ数年間,EBMがあたかも流行語のように人口に膾炙(かいしゃ)するところとなった。しかし,残念ながら同じEBMという言葉を使いながらも,その意味するところは人によって少なからず異なっている。そして,誤解による反感さえもしばしば耳にするところである」と近著『EBM実践ガイド』(医学書院刊)の序文で述べているように,いささか混乱が生じているのも事実のようである。
 そこで本号では,医学会総会における後者のシンポ(司会=順大 稲葉裕氏,名大 徳留信寛氏,シンポジスト=産業医大 吉村健清氏,福井次矢氏,東大 福原俊一氏,厚生省 高原亮治氏,文部省 木谷雅人氏)を紹介するとともに,前掲書『EBM実践ガイド』に準拠して,改めて医学界の重要なキーワードの1つとして現在注目されているこの「EBM」という概念をレビューしてみる。


「EBM」と「臨床疫学」

 “EBMの分野におけるWilliam Oslerとも称されるDavid L. Sackettによれば,EBMとは「1人ひとりの患者の印象判断に当たって,現今の最良の証拠を,一貫性を持った,明示的かつ妥当性のある用い方をすること」である”(前掲書より)。
 「EBM」という言葉が初めて医学雑誌上に用いられたのは1991年のことで,カナダのマクマスター大学のGordon Guyattが書いた論文に端を発する。Guyattは,そこで貧血が疑われた患者での診断の進め方を例にあげ,従来の“ショットガン的な検査・診断の進め方”と,“感度・特異度といった定量的なデータに基づいた検査の進め方・診断の考え方”を比較して,「後者の科学的根拠に基づいた,客観的かつ効率的な診療こそ今後の医療のあり方であろう」と述べている。しかし,その内容は決して目新しいものではなく,すでに1970年代から一般内科領域において診療・研究のバックボーンと考えられていた「臨床疫学」(Clinical Epidemiology)とほぼ同じものである。
 「臨床疫学」とは,アメリカのJohn R. Paulが「人間の病気が起こりやすい状況-機能的であれ,器質的であれ-について研究する科学」を表すために,1938年のSociety of Clinical Investigationの年次総会の会長講演で初めて用いた言葉である。彼は,臨床医が疾病の社会的背景をもっと考慮する必要があること,臨床研究において個々の患者から得られた知見を集団のデータとして定量的に表すことの重要性を主張したが,当時はその主張は受け入れられず,臨床研究は病態生理学と分子生物学の方向へと向かって行った。
 その後1960年代になって,エール大学のAlvan Jr. Feinsteinは患者集団における診断,予後,治療などに関するデータを定量的に解析することによって,1人ひとりの患者での適切な臨床判断が可能になると考え,1968年に「臨床疫学」という学問の重要性を改めて提唱した(詳細は吉村健清氏が前記シンポジウムで提示した下記表12を参照)。

「EBM」とは何か?

 福井次矢氏は,同シンポにおいて,EBMの手順を,「(1)患者の臨床上の問題点→(2)最善の外部根拠の検索→(3)情報の批判的吟味(Critical Appraisal, Meta Analysis)→(4)患者への適用の検討→(5)医療行為の評価」であると提示。そして,EBMに関わる学問領域として,(1)臨床医学,(2)基礎科学,(3)臨床疫学,(4)情報科学,(5)医学判断学,(6)臨床経済学,(7)生命倫理学,(8)医療人類学などをあげた。
 また福井氏は前掲書で,特に妥当性・信頼性の高い根拠(Evidence)を提供すると考えられるランダム化比較試験が数多く行なわれるようになったことや,コンピュータの普及によって欧米先進国が集積してきた膨大な医学情報データベースへのアクセスが容易になってきた事実を指摘し,「そのような医療と社会の変化を背景に,1990年代に入るとともにEBMが提唱されたことには時代的必然性があった」と強調している。さらに福井氏は,「EBMが広く実践されると,医療全体に与える影響は甚大」と述べ,以下の諸点を指摘している。
 (1)偶然性の強い個人的経験や観察に基づく医療から,体系的に観察・収集されたデータに基づく医療への転換
 (2)「基礎医学的知識や病態生理学的原理を臨床に応用すればよい」とする生物学中心の考え方から,「心理社会的な影響下で主体的に行動する実際の患者から得られたデータを最重要視する姿勢」への転換
 (3)新しい検査・治療法の有効性を評価するには,従来のように知識と技量を重視する徒弟的臨床研修では不十分で,文献検索のためのコンピュータ・リテラシー,および原著論文の妥当性・信頼性を評価するために臨床疫学と生物統計学を学ぶことが必要になる
 (4)客観的なデータに基づかない,エキスパートの個人的経験や直感に依存した意見より,第3者によって客観的に評価されたデータを重視することの正当性を認めることになる

なぜ「臨床疫学」か?

 続いて登壇した福原俊一氏は,POR(Patient-Oriented Research)とDOR (Disease-Oriented Research)を紹介し,その医学・医療上の使命を次のように要約した。
 医学・医療の使命は,優れた医学研究の成果をできるだけ早く患者のもとに届けることであるが,現実には,これが10年も20年もかかってしまうことが少なくない。このようなtime lagをきたす原因は,いくつか考えられるが,最も大きな原因の1つは,動物実験やヒトの組織・細胞・遺伝子レベルの基礎的な研究(DOR)の成果を,個体としての人間を対象にして,これを科学的に厳密に評価する研究(POR)が遅れていることである。
 また福原氏によれば,PORはEBMのevidenceを生み出す研究であると言ってもよい。臨床疫学は,PORの根幹をなすものであるが,これだけでは不十分であり,行動科学,計量心理学,医療社会学,医療倫理学などの異なる分野の専門家が研究コンソーシウムを形成し,研究を進める必要がある。その中でも,最も患者の近くにいて,医療の現場で何が求められているかに最も敏感な臨床医こそが,PORのresearch questionを提起し,結果のrelevanceを理解できる立場にあり,研究チームの中心になるべき存在である。
 前述のように,わが国ではPORが欧米に比較してかなりの遅れをとっているが,福原氏はその原因として,(1)評価が低いこと,(2)DORより結果(論文)を出すのに時間がかかること,(3)患者を対象とすることの倫理的問題,などを指摘した上で,最も大きな要因の1つとして,「PORの研究方法に関する教育の欠如」をあげ,教育体制の早急な整備の必要性を指摘。
 その具体的な例として,氏が過去4年間行なってきた東大大学院医学系研究科における大学院共通講義(研究デザインの講義・実習),社会人のための臨床疫学の通信制教育プログラム,EBM・臨床疫学ワークショップなどを紹介した。

「EBM」は40校,「臨床疫学」は55校で

 また周知のように,先ごろ発表された文部省の「21世紀医学・医療懇談会」(会長=東邦大学名誉教授 浅田敏雄氏)の第4次報告「21世紀に向けた医師・歯科医師の育成体制のあり方について」は,大学における教育研究体制の改善,制度改正の必要性,卒後の育成体制の改善と適正配置の推進,需給問題と入学定員のあり方,など広範な範囲にわたって提言している。
 その「大学における教育研究体制の改善」の「学部教育の改善」では,(1)入学者選抜方法の改善,(2)豊かな人間性の涵養とコミュニケーション能力などの育成,(3)少人数教育の推進と臨床実習の充実,(4)教育内容の精選と多様化,(5)適切な進級認定システムの構築と進路指導,と並んで「今日の医療の課題に応じた諸分野の教育の充実」があげられ,(1)プライマリ・ケアと地域医療,(2)高齢者医療,(3)救急医学教育,(4)臨床薬理学,(5)予防医学・医療経済,などとともに,特に「科学的根拠に基づく医療の推進のための教育の充実」の1項が指摘され,以下のような説明が加えられている。
 「近年,国民に開かれた効果的かつ合理的な医療の提供を図り,その質を向上させるという観点から,EBMという考え方が注目されている。これは,科学的に証明された証拠を,良心的・明示的で妥当性のある用い方をして,個々の患者の臨床診断および治療を行なうことを目的としたものである。このEBMの学問的基盤となるのが臨床疫学であり,生物統計学,行動科学,コンピュータ科学などを基盤とする疫学的手法を応用した,医師の検査や治療法などの診療行為の有効性などを評価する学問である。わが国においては,従来この分野の教育研究が十分に行なわれておらず,今後その充実を図っていくことが必要である」
 また,同報告によると,下表のように,現在,「EBM」は40校,「臨床疫学」は55校で採用されている。

医学部における特定の内容に関する教育
 国立公立私立合計
EBM
臨床疫学
25
31
2
5
13
19
40
55

(表1)欧米の臨床疫学・EBM
1938年John.Paul, 「臨床疫学」を提唱(米国:臨床研究学会)
      -疾病・患者発生の社会的背景重視
      -臨床研究の定量的提示
1958年John.Paul, 「Clinical Epidemiology」出版(第2版:1966)
1967年D.Sackett, マクマスター大学医学部に臨床疫学教室設立
1968年A.Feinstein, 「臨床疫学」を再提唱(臨床研究→臨床疫学)
1980年Weinstein, Feinstein, 「Clinical Decision Analysis」
1982年INCLEN(International Clinical Epidemiology Network)設立
1982~1986年R.H.Fletcher, Feinstein, Sackett, Weissらが「Clinical Epidemiology」を出版
1989年Preventive Service Task Force(アメリカ)「Guide to Clinical Preventive Services」(『予防医療実践ガイドライン』,福井氏ら訳.1993)
1991年Gordon Guyatt, EBM提唱
1992年Cochrane Collaborating Center設立
1995年Jenicek, 「Epidemiology: the logic of modern medicine」を出版
1997年Sackett, 「EBM」を出版

(表2)日本の臨床疫学・EBM
1980年代長谷川敏彦,福井次矢,久繁哲徳氏らMOW, MTA, MEを紹介
桜井恒太郎氏ら「臨床判断学研究会」
1986年6月ライフ・プランニング・センターWS「Clinical Decision Analysis」
1990年6月ライフ・プランニング・センターWS「Clinical Epidemiology」
1994年1月第1回JEA疫学セミナー「臨床疫学」,久道茂氏ら
1996年3月第1回臨床疫学WS,福原俊一氏ら
1997年3月聖ルカ・ライフサイセンス研究所「臨床疫学WS」,東京
1997年1月愛知県臨床疫学研究会 第1回EBMセミナー
1998年1月聖ルカ・ライフサイセンス研究所「卒後研修に臨床疫学を導入するための教育的技法に関するWS」,京都
1998年4月日本医学教育学会,臨床疫学教育WS,福井氏ら「臨床疫学カリキュラムの提案」
1998年6月京大総合診療部INCLENのCEUとなる
1998年10月第3回帝京ハーバードシンポジウム EBM「医療と保健における評価」
1998年12月Japanese informal Network for the Cochrane Collaboration(JAN COC)第2回EBMセミナー(津谷喜一郎氏ら)
1999年1月第6回JEA疫学セミナー「EBM:医療における意思決定」大野,福岡氏ら