医学界新聞

 

連載
経済学で医療を診る

-医療従事者のための経済学

中田善規 (帝京大学経済学部助教授・医学部附属市原病院麻酔科)


第5章 完全競争市場での価格と生産量(1)
-医療業界の市場競争に勝つ

はじめに

 かつての医療はある意味で競争のない市場でした。すなわち1つの地域(市場)に1つの医療機関しかなく,患者はその医療機関にかかるしかありませんでした。しかし今では様子がかなり違ってきています。特に都市部では,1つの地域に病院が多数あり,病気になった人は,緊急でもない限り多くの病院の中から自分に一番よいものを選ぶことができます。病院側も黙っていては患者を他の病院に取られてしまうので,患者を集めるために宣伝を増やしたり,駐車場を完備したり,腕のよい医師を雇ったりといろいろ努力しています。
 経済学では「完全競争市場」を基本的なモデルとして議論を進めます。前回2回で需要と供給の簡単な分析をしましたが,これから2回にわたって,その需要と供給を統合した完全競争市場について考えます。そして,この完全競争市場が現実の医療機関の市場とどれほど似ているのか,どう違っているのかについても考察します。

完全競争市場での短期均衡

 「完全競争市場」では財・サービスの価格は市場の供給曲線と需要曲線の交点で決定されます(図1)。売り手は市場で決定された価格で製品をどのような量でも生産することができます。売り手は価格を与えられたものとして行動する経済主体で,価格受容者すなわち「プライス・テイカー」と呼ばれます。このとき,市場の需要曲線は右下がりでも,一生産者の直面する需要曲線は水平になります(一生産者が単独で生産量を変えても価格は変化しないので)。もちろん売り手も買い手も自分の利益を最大にすることを目標に行動していると仮定しますので,売り手は利潤を最大にするように生産販売量を決定し,買い手はできるだけ安く買おうとします。
 さて,こうした完全競争市場では財・サービスの生産者(ここでは病院経営者)はどのように行動するのでしょう。利潤を最大にしたい病院経営者にとって,自らコントロールできるのは医療サービスの生産量です。価格は市場で決まるのでどうしようもありません。病院経営者は利潤を最大にする生産量を決定しなければなりません。当然のことながら,多く生産すれば収入は多くなりますが,それとともに生産費用も多くなります。

費用について
 まず費用(C)に注目します。短期では,生産費用は固定費用(FC)と可変費用(VC)に分かれます(「短期」の概念については,次回説明します)。固定費用とは生産量と関係なく費やされる一定のコストのことで,病院では病院の土地代や建築費,設備費(ベッドや車椅子など)などが当たります。それに対して可変費用とは生産量とともに増加する費用のことで,病院では包帯や薬剤などがそれに当たります。
 ここで,さらにいくつかの新しい数値を定義します。それは,限界費用(MC),平均費用(AC),平均固定費用(AFC),平均可変費用(AVC)です。限界費用とは生産量を1単位増加させたときの全費用の増加分で,数学的には全費用を生産量で偏微分したもの。平均費用とは全費用を生産量で割った商。平均固定費用とは固定費用を生産量で割った商。平均可変費用とは可変費用を生産量で割った商。
 ここまでくるとかなり混乱してきたのではないでしょうか。生産量をqとして,もう一度整理してみると右ののようになります。
 なぜこのように,固定費用と可変費用を分けるかというと,性質の違う2つの数値が合わさって全費用を構成しているからです。“C”という疾患が,“FC”と“VC”の合併症だと考えればわかりやすいかも知れません。
 さて,限界費用と平均費用と平均可変費用を生産量を横軸にとってグラフに描くと一般的には図2のようになります。

収入について
 次に収入に注目します。全収入は,市場価格と生産量の積となります。限界収入とは,生産量を1単位増加させたときの全収入の増加分と定義されます。今は完全競争市場を仮定しているので,生産量を変化させても市場価格は変化せず,限界収入は価格と等しくなります。市場価格をP,生産量をqとすると,数学的には
 全収入(R)=P×q
 限界収入(MR)=∂R/∂q=P と表せます。Pは一定なので生産量を横軸にとったグラフでは限界収入は水平な直線になります(図2)。
 これで分析のお膳立てができました。このお膳立ては次回も利用しますので,よく理解しておいてください。

限界分析

 さて,病院経営者は利潤を最大にするように医療サービスの生産量を決定します。利潤は全収入と全費用の差です。利潤を最大化したい病院経営者はこの限界費用と限界収入(市場価格)が等しくなるように生産量を決定します(図3)。それはなぜかを説明しましょう。仮に利潤最大化する生産量q0よりも小さいq1しか生産しないと仮定します。するとこの病院経営者はあと1単位生産することで限界収入(市場価格)のPだけ収入が増え,費用は限界費用MC1だけかかります。グラフからわかるようにP>MC1ですので,この病院経営者はあと1単位生産すると利潤は増加します。このようにして生産量をq0まで増やしてゆきます。逆に利潤最大化する生産量q0よりも大きいq2だけ生産していると仮定します。このときは限界費用MC2が限界収入Pより大きいので生産量を減らしたほうが利潤は大きくなります。このようにして病院経営者は生産量をq0まで減らします。
 以上は第4章で行なった限界分析とまったく同じ分析です。つまり,利潤最大化をめざす病院経営者は市場価格(限界収入)と限界費用が等しくなるように生産量を決定するのです。
 この限界費用曲線(図3)を少し違った観点から見てみましょう。限界費用曲線はいろいろな市場価格での病院経営者の生産量を示しているので,これはまさにその病院経営者の短期供給曲線を表しています。市場全体の短期供給曲線は,市場の中のすべての病院経営者の短期供給曲線を水平方向に合計したものになります。

病院は儲かっているか?

 利潤を最大にしようとする病院経営者は限界費用を限界収入と等しくなるように生産量を決定しますが,このとき病院経営者が本当に儲かっているかどうか(正の利潤をあげているか)は別問題です。これを図2に戻って検討します。
 市場価格がP1のとき,病院経営者はq1だけ生産します。このときP1は平均費用AC1より大きいので病院経営者は図2の網点部に相当する利潤をあげています。市場価格がP2のとき,病院経営者はq2まで生産します。このとき平均費用AC2とP2が等しくなるので利潤はゼロとなります。この点(点A)を損益分岐点といいます。さらに市場価格がP3のとき,病院経営者はq3まで生産します。このとき,P3は平均費用より小さいのでこの病院経営者の利潤はマイナスになります(損失が発生)。それでもq3まで生産するのはP3が平均可変費用より大きいので生産することで固定費用による損失を最小にできるからです。さらに市場価格がP4のときはq4まで生産しても生産をゼロにしても損失は固定費用となります。ましてや市場価格がP4より小さくなると,生産をやめて損失を固定費用にとどめておくほうが生産するよりもよくなります。このP4に当たる点(点B)を操業停止点といいます。  理解を助けるために,費用(C)をFCとVCの合併症,価格(P)を薬剤と考えてみましょう。すると,P1はFCにもVCにも効く薬剤で,P2はFCにだけ効く薬剤だと考えることができます。一方P3は,VCに対しては大きな副作用があるが,FCには効くので投与を続けている薬剤。P4は,VCに対して大きな副作用があるだけでなく,FCにも効かないので,投与を中止する薬剤と考えられるでしょう。

まとめ

 今回は,短期の完全競争市場において,市場競争に勝つ条件を考えました。次回は,もう一歩現実に近づき,長期において市場競争を生き残る条件を考えていきます。


表 利潤最大のために考慮すべき数値
全費用(C)=固定費用(FC)+可変費用(VC)
……全費用は固定費用と可変費用に分けられる
限界費用(MC)=∂C÷∂q
……生産量の増加によって増える費用
平均費用(AC)=C÷q
……単純に全費用を生産量で割った商
平均固定費用(AFC)=FC÷q
……FCは一定だから,生産すればするほど減る
平均可変費用(AVC)=VC÷q
……可変費用を生産量で割った商(この値が重要)