医学界新聞

 

 Nurse's Essay

 めぐる季節のなかで

 八谷量子


 あんなに待ち焦がれた桜も散りゆき,今はツツジの花が満開だ。ベランダのプランターに植えた忘れな草の芽も大きく伸びてきた。季節はもう春から初夏へと確実に移りはじめている。
 毎年変わることのない季節の移ろいと日々の暮らし,それは当たり前のように続くと思っていた。しかしこの春,季節の風景が一変した。美しい花々を眺め,穏やかな陽光の中に身をゆだねていると,喜びよりも悲しみがこみ上げてくる。
 遠くに住む知人が,癌で「あと半年のいのち」と宣告された。家族からそれを知らされた時,今まで見慣れていた風景が突然変化してしまった。
 看護婦という仕事柄,これまで数えきれない死を見,知識としても理解していたつもりだった。しかし,これらはあくまでも「つもり」であって,現実の死を見据えていたことではなかったのだ。
 「明日のことは誰にもわからないんだよ」と口癖のように言っていた知人は,死の宣告にも等しい診断をどう受け止めているのだろう。多分,動揺しているのは私のように周囲にいる者たちで,当の本人は意外と落ちつきはらっているのかもしれない。
 「お前は何のために生きているの」
 「日常生活に埋没して流されてはいないか」
 「自分に嘘をつかないで,自分の限界を知って生きているか」
 死の宣告を受けた知人が,無言のまま,問いを突きつけているような気がする。残り半年,その間にどれだけ納得のいく答えが見つけられるか,課題である。
 「生」と「死」は表裏一体であり,「死」を意識することは,「生きるということ」を真剣に考えることなのだと,今,私は痛切に実感している。
 このエッセイの連載も今回で終りとなりました。長い間のご愛読ありがとうございました。

〔編集室より〕
長期間にわたる八谷さんのエッセイ連載は今回で終ります。7月からは新たな執筆陣と内容で再スタートします。