医学界新聞

 

 連載

「WHOがん疼痛救済プログラム」とともに歩み続けて

 武田文和
 (埼玉県県民健康センター常務理事・埼玉医科大学客員教授・前埼玉県立がんセンター総長)


〔第6回〕カンボジアのがん疼痛治療・緩和ケア対策見聞記(1)
カンボジアとWHO

急遽カンボジアの医療現場に

 今回から4回にわたり,本(1999)年2月現在のカンボジアでの私の見聞記を挿入しようと思う。WHOのような国連機関が,がん疼痛救済プログラムを立案した理由に理解を深めてもらえるとの考えからである。
 ことは,カンボジア政府が私を派遣するようにと,WHO西太平洋地域事務局に要請したことから始まるのだが,急遽,本年2月7-27日の間,「WHOコンサルタント」の資格でカンボジア保健省への協力任務に従事した。なお,ここに紹介する情報は私のカンボジア滞在中の見聞記であって,WHOの見解ではないことをお断りしておく。
 実は,内々の打診は昨年からあったのだが,WHOの派遣決定から2週後に現地入りという,あわただしい出発であった。現地からの情報不足に不安を抱きながらその地に赴いたのだが,私はマニラ所在のWHO西太平洋地域事務局へ向かい,そこでようやく大まかな情報を得た。私の任務はカンボジア保健省と協力して,(1)カンボジア国主催のワークショップ「がん疼痛治療と緩和ケア」を主導すること,(2)医学教育用のがん疼痛治療と緩和ケアの教育カリキュラムを起案すること,(3)医師,その他の医療従事者の継続的教育に用いるがん疼痛治療と緩和ケアの教材を準備すること,(4)任務完了時に報告書をWHOに提出することの4点であった。
 出発前に,私が日本国内で入手できていたカンボジアの医療情報というのは,毎年東京で国際厚生事業団が開催している「海外麻薬取締官研修会」の講師をした際に渡されたカンボジア研修生(薬務担当官)による簡単なカントリーレポートと,昨(1998)年3月にWHOが埼玉県で開催(3月23-26日,大宮市・大宮ソニックシティ)した「がん疼痛治療の職業教育強化と緩和ケア専門性確立に関するWHO西太平洋地域ワークショップ」での,プノンペンにある国立シアヌーク総合病院のキアン・ヤナ副院長によるレポート3頁のみであった。

WHOのカンボジアでの活動

 これらの資料によると,カンボジアでは麻薬不正事件増加に対処してUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構,1992-93年)時代に不正麻薬を取り締まる規則が作られ,続いて医療および研究目的で麻薬を正規に使用できる専門職が指定された。疾病構造については,下痢症,急性呼吸器感染症,結核,マラリア,デング熱などが克服できないうちにがんが増加し,子宮,胃,乳腺,陰茎,肝,卵巣,肺,食道,大腸の順に多いということであった()。しかし,それは全国規模の統計ではなかった。
 WHOは,首都プノンペンに西太平洋地域で最大規模の代表部を設置し,マラリア,小児麻痺,ハンセン病,エイズ,B型肝炎などの感染性疾患の克服に協力した。また,ワクチン接種により小児麻痺を根絶させるという成果をあげていたが,非感染性疾患,ことにがんの対策については,WHO西太平洋地域事務局が1997年にがん専門家をプノンペンに派遣し,がん克服政策の起案に技術協力。翌1998年には担当官Dr. Ham Tieruを派遣して,進展状況追跡とさらなる支援項目の調査にあたっていた。これらに基づくカンボジア政府への勧告の中で,WHOは「がん疼痛治療と緩和ケアに関するプログラムをがん克服政策の優先課題として策定する」よう,カンボジア政府に伝えた。これが私の派遣の要請につながった。

プノンペン到着

 入国ビザはカンボジア到着時に発給されるとWHOから伝えられ,単身で2月9日に日本の夏のような気候の首都プノンペンにある国際空港に着いた。WHO代表部の主任運転手であるサムオル氏に迎えられたが,以後の私の行動すべてに彼の運転するランドクルーザーが提供された。彼は,元軍人らしい姿勢と立派な体格,そして暖かい心の持ち主であったが,過去は語らなかった。
 プノンペンには全人口の1割にあたる100万人が住んでいる。街は活気にあふれ,フランス風の建物が多い街角のあちこちでは,復興の進む光景が見られる。交通整理の警官は見かけるが,兵士の姿はなく,銃声が去ってまだそんなに経過していないはずなのに,平和が定着した様子がはっきりとうかがえた。
 そのプノンペンから320kmほど離れたアンコールワットへは,空路なら日帰り旅行ができ,水上交通なら1泊2日での旅行が可能となっていたが,東北や北西の国境付近にはまだ危険地帯が残っている。街で行き交う人々は礼儀正しく,穏和で親切だ。よく働き,そして小さい声で話しかけてくれる。そこで私が日本人とわかると,「カンボジアの人々に最初に援助をしてくれた国が日本だ」と感謝の言葉をかけてくれた。
 WHO代表部で私の世話役を命じられていたヴァンダーバーグ博士は,4年前からカンボジアを任地としており,私にカンボジアの保健医療の概況をレクチャーしてくれた。それによると,全国に国立病院が6つ存在するが,いずれも首都にある。また,地方の各省の中央病院が23,その下部機構として紹介病院(referral hospital)が42あり,その下に人口1万人あたり1か所の割合でヘルスセンター(現在386)の設置が進められており,これらが医療を機能させていた。ヘルスセンターに医師はいないが,看護婦と助産婦が配置されており,地域のプライマリケアを担っている。この他にも,都市部には私営の診療所や病院があった。

この項つづく