医学界新聞

 

連載
アメリカ医療の光と影(4)

患者アドボケイト(4)

李 啓充 (マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学助教授)


 アドボケイトという言葉には,ある人の味方となってその人の権利や利益のために闘う人という意味の他に,主義や主張を唱道したり,理念を実現するために活動する人という意味もある。患者アドボケイトという言葉も,医療の現場で個々の患者の利益のために患者の味方となって働く人という意味の他に,患者本位の医療改革をめざす活動を行なっている人々という意味にも使われる。

自分で自分のアドボケイトになる

 アメリカでは,数多くの市民団体が,患者の立場からの医療改革をめざし,草の根運動を展開している。患者アドボケイトの市民団体の代表的な例が「ファミリーズUSA」である。「ファミリーズUSA」が設立されたのは15年前であるが,市民団体として患者の権利向上のための運動を繰り広げるだけでなく,そのリサーチ能力も高く評価されている。理事長のロナルド・ポラックが,クリントン大統領により設置された「医療産業における消費者保護及び医療の質に関する大統領諮問委員会」の34人の諮問委員の1人として招請されたように,消費者を代表して医療保険改革に加わっている(ちなみに,アメリカにおける患者アドボケイトの運動は,「消費者」運動として捉えられるべきであり,60年代にラルフ・ネーダーらにより始められた消費者運動の流れの延長にあるといってよい)。
 患者アドボケイトの最たるものは,患者が自分で自分のアドボケイトとなる患者団体である。ありとあらゆる疾患に患者団体が存在すると言っても言い過ぎではないほどその数は多い。患者団体の中でもとりわけ影響力の大きい団体が「全米乳癌連合」であり,その政治力の強さは乳癌研究に使われる政府予算の突出ぶりからも明らかである。1997年の乳癌死亡者は4万4千人であったが,乳癌研究予算は5億5千万ドルと,肺癌(死亡者16万人)・大腸癌(同5万5千人)・肝癌(同1万2千人)の研究予算の合計額よりも多い。

全米乳癌連合が政府高官人事へ介入

 全米乳癌連合は,患者団体として政策決定に関与するだけでなく,その政治力を行使して,政府高官人事にも介入することがある。1997年に米保健省副長官を辞任に追い込んだのはその一例といえよう。
 乳癌に対する政策を審議する機関として米保健省に「全米乳癌活動委員会」が設けられているが,この委員会の民間側議長である全米乳癌連合会長フランセス・ビスコと,政府側議長である保健省女性健康問題担当副長官スーザン・ブルメンタールが,予算の配分を巡り対立したのであった。ビスコは乳癌研究への予算配分を重視し,国民に対する乳癌啓蒙活動を重視するブルメンタールと激しく対立した。ビスコは,全米乳癌活動委員会にブルメンタールに対する不信任をはかり,委員会は7対1でブルメンタールに対する不信任を可決した。民間委員7人すべてが不信任票を投じ,信任票を投じたのはブルメンタール1人であった。ブルメンタール以外の政府側委員5人は棄権したが,予算配分に影響力を持つビスコら民間委員の反感を買いたくなかったからだと言われている。
 委員会での不信任決議の後,ブルメンタールは保健省副長官の職を辞した。辞任後,大統領の女性健康問題担当主席補佐官へ転身することが決まっていたが,ビスコらはこの人事に対しても反対運動を展開し,ブルメンタールは主席補佐官就任を辞退した。

急速に政治力を増す前立腺癌患者団体

 全米乳癌連合が強大な政治力を発揮するのと対照的に,前立腺癌の患者団体の力は弱く,前立腺癌の年間死亡者数は4万2千人と乳癌の4万4千人とほぼ変わらないのに,研究予算は乳癌の5分の1に過ぎなかった。しかし,前大統領候補ボブ・ドール,湾岸戦争で名を馳せたノーマン・シュワルツコップ将軍など,前立腺癌となった著名人が次々と前立腺癌研究の重要性をマスコミで訴えるようになり,状況は変わりつつある。
 特に,前立腺癌患者団体として大きな力をつけてきているのが,マイケル・ミルケンが創始した「CaPキュア」である。ミルケンはジャンク・ボンド(回収の可能性が低いとされる債権)を巧みに操作することで巨額の富を築き,証券業界では「ジャンク・ボンドの帝王」と呼ばれたが,1990年に証券詐欺などで有罪判決を受けた。11億ドルの罰金を課され,10年の刑で獄につながれたが,証券詐欺に対する連邦政府の捜査に獄中から協力した功績で減刑され,2年後に出所した。出所後,前立腺癌と診断され,1993年に自らCaPキュアを創設した。
 経営コンサルタントとしてのミルケンの顧客には,CNNの創始者テッド・ターナー(アトランタ・ブレーブスのオーナーでもある),オーストラリアのマスコミ王,ルパート・マードック(昨年,彼の企業がロサンゼルス・ドジャースを買収したが,ターナーとマードックは犬猿の仲といわれている)など,著名人が名を連ね,その人脈と財力にものを言わせ,ミルケンは前立腺癌患者アドボケイトとして積極的な活動を行なっている。ジャンク・ボンドを手がけていた時代の裏の情報を握られているので,ミルケンから前立腺癌研究への寄付を頼まれて嫌と言える財界人は少ないのだと噂されている。
 アメリカ人は,「自分で自分の身を守らなくて誰が守るか」という意識がとりわけ強いが,患者団体によるアドボケイト運動も,その強固な自衛意識の現れといえる。そして,医療をめぐる政策決定に大きな影響力を及ぼすなど,現実の政治の場で患者(消費者)が大きな力を握っているのである。