医学界新聞

主体性から「互尊」へ

小島通代 (東大大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻/教授)


看護職の主体性とは

 「看護職の主体性に関するシンポジウム」を年1回,6回にわたって主催した(表参照)。看護職が,(1)健康の原理に基づき,(2)患者の立場に立ち,(3)心を通わせる行動原理に基づいて看護をすることが,主体性を発揮することである,との趣旨による開催であった。看護職の主体性について考えるということは,看護に期待されていることとはどのようなものであり,また,それをどのように実現するかを,臨床現場の看護の立場から考えることでもあった。そして,そこでは考えただけでなく,後に述べるように臨床の現場で用いる方法,ガイドマップなどを作り出した。
 看護職が,このような意味での主体性を発揮すると,患者に届く医療の質が高まる。またそのことによって,看護職に誇りと喜びがもたらされる。これらのことが,シンポジウムでの各地の看護職との交流から,日常の実践で成果として得られているということがわかった。
 1例を紹介する。ある老人保健施設では,平成11年冬季のインフルエンザの猩獗にあたって,死者や重症患者は1人として発生しなかった。施設長はその原因を探った。そして見出したことは,看護長が,施設の創設以来,他施設に先駆けて加湿器を設置し,冬季のうがいの励行を定着させていることであった。これは看護職が主体性をもって働きかけた成果である。

主体性が不足している

 シンポジウムで,看護職の主体性をテーマにした理由は2つある。1つは,看護職に主体性の発揮が不足しているからに他ならない。
 施設内医療の最小単位は,患者と医師と看護職との相互作用である。その相互作用の中で,看護職には,先に述べた3つの行動原理から医療を担うことが期待されている。それにもかかわらず,看護職は医師の指示に従って動くことに慣れすぎ,必要な範囲を超えていることに気づかない。その結果,本来期待されているはずの役割を果たしていないという面が多くみられる。
 例えば,看護職が健康の原理に基づくことに徹底していれば,必ずしも安静を必要としていない患者が,1日中ベッドにいるしか方法がないような病院の使い方,あるいは病院の設計にはならないはずである。
 看護職が患者の立場に立つことに徹底していれば,ベッドで寝ている患者に,職員の靴音が響くような病院にはならないはずである。
 また,手術を受けて,退院するまでの患者の日々のスケジュールを書いて,患者に渡して説明することなどは当然のこととして,とうの昔から行なっているはずである。
 医師には強い面を見せている患者の弱い面を看護職が聴いて,医師が認識を修正してよりよい判断に至るのを助けることが,もっとできているはずである。
 説明された副作用にだけ患者が気をとられて,有効な治療の機会を逸するような不幸を,患者にも医師にも味わせないですむはずである。
 つまりは,チーム医療がうまくいかないとすれば,それは看護職の主体性の発揮が十分でない場面も多いからなのでもある。
 したがって,患者も医師も社会も,看護職がもっと主体性を発揮することを望んでいるといえるだろう。

主体性を誤解している

 主体性をテーマにしたもう1つの理由は,主体性が誤解されやすいからである。
 医師の立場や考えを理解しないまま,医師をむやみに攻撃したり,看護から医師を排除して,それが主体性を発揮したことだと思っている看護職がいる。だとすれば,それは主体性の誤った理解である。誤った理解でことをなせば,看護は孤立して魅力がなくなり,やせ細っていくだろう。
 主体性を発揮するということは,相手を非難したりないがしろにすることではまったくない。相手の主張を理解し認めつつ,自らの主張を整理して相手にわかっていただくことなのである。その上でよりよい方法を見出す過程をリードすることなのだ。さらに言えば,責任をとるべきところでは,いさぎよく責任をとることであり,患者と医師が,それぞれの主体性を発揮しやすいようにすることが,看護職の主体的な仕事なのである。すなわち,相手の持っているよい面,リソース(成果を得るのに役立つ状況,情報,考え方,人,もの,財源など)を発見して,尊重することだと言える。

主体性から「互尊」へ

 看護職に本来求められている主体性を,現在の医療現場で正しく発揮するためには,看護職は看護そのものの内容とともに,コミュニケーション技術を豊かにする必要があるだろう。熱心なあまり,医師と対立することが増えたために職場の雰囲気が暗くなってしまい,「これはおかしい」と自ら気づいてシンポジウムに参加したという前途有為な看護職がおられる。私は,そのような方々の手がかりとなるように「看護ジレンマガイドマップ」1,2)を開発した。また,相手のリソースを発見するという立場からの技術も提示した3)
 このように,主体性について考え実践してみると,趣旨を正しく伝えるには,「主体性,主体性」と唱えるよりも,これからはむしろ,「互尊」をテーマにするほうがよいと考えるようになった。互尊とは,「互いに尊敬しあい,助け合って人間の値打ちを発揮し,幸福な世界を造るという精神」である。看護の場の基調は「互尊」なのである。
 「あなたの欠点,弱点は?」と聞くと,すらすら答える人は多い。しかし,逆に「あなたの長所は?」と聞くと,答えはなかなか返ってこない。自己の,看護職の,医療職の,日本人の,世界人の,それぞれのレベルでの自己の長所を自覚し,自己を尊敬できてこそ,周囲の人々の長所をより深く認められるようになる。そのようにして相手(患者・医師を含む)の立場に立ててこそ,当方の考えも通りやすくなるといえるのだ。
 「互尊」であるべきだという当然な結論になった。

将来の看護・介護教育

 さらに,将来に目を開こう。活字・図版・教科書などの意義は厳としてある。だが,「互尊に基礎をおく看護の主体性」を身にしみてわかってもらうこと。さらにそれが看護の現場で実践できるようになってもらうためには,教材のコンテンツ(内容)とともに,教育情報の媒体を大幅に工夫しなければならない。
 看護(介護を含む)哲学,情報工学,医用電子工学,EBN(Evidence-Based Nursing;科学的根拠に基づいた看護)を柱として学ぶこと,それもゲームセンターや家庭用ゲームソフトなどにおいて急速に進歩しつつあるコンピュータ技術をもとりいれ,ゲーム感覚で看護学生も介護学生も熱狂しながら,あるいは沈思しながら研修できるようになればより効果的であろう。さらに指導者も2人組となり,対立する立場にある場合などを含めたより内容の高いレベルでのゲームを考えること。また,その地域の特性などを生かしながら,実践的に演練できるようにコンテンツ等も工夫したい。究極的には,その演練の全過程をコンピュータソフトとし,パソコンレベルで記憶・再生できるようにすれば反復学習も可能となり,研究資料・教育資料としても活用されることは当然のことである。
 以上,これまでに記したことを要約すれば「後述する参考文献のような,活字教材ができたことで満足するな!」との自戒であり,それとともに東京大学という学習に至便なところに長く在籍し,その目を開かせていただいたことへの感謝である。
(なお,5面に関連記事を掲載している)

〔参考文献〕
1)小島通代,他著:看護ジレンマ対応マニュアル-患者中心の看護のための医師とのコミュニケーション,医学書院,1997.
2)小島通代,他著:看護を一生の仕事とする人・したい人へ-あなたのジレンマ・専門性を共に考えよう,日本看護協会出版会,1998.
3)小島通代,他著:ナースだからできる5分間カウンセリング-看護現場で役立つ心理的ケアの理論と実際,医学書院,1999.


「看護職の主体性に関するシンポジウム」開催一覧
回数開催日テーマ
第1回1994年2月22-23日診療の補助における看護婦のジレンマ
-専門性と協調の知恵を生み出すために
第2回1995年2月20-21日看護職と医師の協調をより効果的にする
第3回1996年2月19-20日看護の主体性と協調
第4回1997年2月20-21日看護の主体性を支える経営
第5回1998年2月18日看護職が主体的に動くと医療のシステムはこう変わる
第6回1999年2月18-19日看護職が主体的に動くと医療のシステムはこう変わる(2)
※1-3回は小島通代氏を組織委員長に「国際シンポジウム」として開催された。会場はいずれも東京大学山上会館