医学界新聞

【座談会】

呼吸器疾患の分子生物学

曽根三郎氏
(徳島大教授・内科学第3)
川上義和氏
(北大教授・内科学第1)
木田厚瑞氏
(都老人医療センター・
呼吸器科部長)



川上 本日は呼吸器内科の第一線でご活躍の先生方にお集まりいただき,特に分子生物学のめざましい発展が呼吸器疾患に与えた影響を中心に,研究の現状,呼吸器疾患の臨床への応用とその展望などをお話しいただきたく存じます。
 そこで,呼吸器疾患の様々な局面をお話しいただく前に,本日の話題の中心となる,呼吸器領域における分子生物学の発展のプロセスをご紹介ください。

分子生物学の発展-結核から考える

曽根 呼吸器病学自体が進歩したというよりもむしろ,細胞生物学や分子生物学の進歩による成果が呼吸器病学の発展に大きく貢献していると思います。例えば結核を中心に考えてみましょう。年代別では,1960年代には免疫学が飛躍的に発展し,T細胞の概念が出てきました。そして結核の病態として乾酪壊死を取り囲むように多核の巨細胞が出現し,それから類上皮細胞とリンパ球が取り囲みますが,その免疫病態が何であるかが問題になりました。1970年代は細胞生物学の時代だと思います。
 80年代になると「細胞と細胞のクロストーク」という,シグナルを担う伝達因子の考え方が出てきました。しかしその後免疫細胞だけでなく,他の様々な細胞とのクロストークや刺激を伝える因子としてサイトカインの存在が注目されるようになってきました。80年代は病態におけるサイトカインの役割について分子レベルでの解明が本格的に進んだ時代だと捉えています。
 90年代になると,様々なサイトカインや受容体の遺伝子レベルでの解析が可能になり,細胞内シグナルが受容体を介した時,どのようなを役割を担い,またどのような経路を通って機能が発現されるのかを,分子あるいは遺伝子レベルで解明しようという考えが大きな発展と考えています。
 結核菌に対する生体防御機構にはインターフェロンγが非常に重要ですが,肺結核に対するインターフェロンγ吸入療法が臨床の場で行なわれ,実際に治療効果が示唆されています。これは細胞生物学から分子生物学の進歩の過程で病態の解明が進み,治療に応用されつつあり,すばらしい成果があがるのではと期待されています。

分子生物学の成果を臨床の現場へ

川上 それに続いて,現時点で分子生物学の遺伝子領域の研究成果がどのように臨床応用されているのかをご紹介ください。
木田 診断については,PCRを利用した結核菌の同定が短時間で可能となりました。まだ日本では一般的には使用されていませんが,欧米ではα1アンチトリプシン,肺癌のリスクの高い患者の抽出が非常にうまくいき,生物マーカーとして分子生物学の成果が導入されています。
 しかし現実には,臨床の最前線でどこまで使われているかは,PCRを用いた結核診断や,免疫学的な情報の一部にとどまっているのが現状のようです。
川上 PCRなど分子生物学的手法を用いたDNA診断が結核菌,非定型抗酸菌,マイコプラズマ菌の同定などに用いられていますね。このような診断法は今後も増えていくと思います。

TNMプラスG分類

曽根 少し話を先に進めると,現在の肺癌のTNM分類に遺伝子の「G」を加えた新しい分類が,近い将来なされるのではないかと考えています。つまり遺伝子レベルでのステージングや予後の判定がなされるべきだろうということです。例えば,肺癌でRB遺伝子やp53遺伝子の変異,血管新生因子VEGFの過剰発現などがみられると患者の予後は悪いと考えられていますが,TNM分類にそれらの知見を加えると,予後を考える上で重要になるのではないでしょうか。遺伝子解析によって,肺癌のあるタイプにはある分子が異常発現あるいは欠損していることがわかってきます。今後は,ある特定の異常分子を標的にした治療法の開発が進むのではないでしょうか。
川上 TNM分類プラス遺伝子の「G」分類という,新しい言葉が出てきました。癌遺伝子,癌抑制遺伝子はいくつか発見されていますし,実際にそれを癌組織で染め分けることもできます。特に肺癌の場合,組織型も多様ですが,それぞれにどの癌遺伝子,癌抑制遺伝子が何パーセントぐらい関与しているかが明らかにされつつあります。非小細胞癌であればどのような予後が期待できるか,特にp53などの癌抑制遺伝子が発現しているかどうかで予後が決まるのではないかというレベルまで達しています。曽根先生がおっしゃるように,遺伝子がますます重要になってきますね。
木田 また,病態生理学の面でも大きな進歩が見られます。ARDS(急性呼吸促迫症候群)と今まで漠然と言われていたものが,Eセレクチン,Pセレクチンなどが病態のどのステージで働くのか,またARDSがどのようなプロセスで起こり,それに対して何を抑えれば治療に結びつくのかなど,かなり見えてきた点がありますね。喘息などの他の疾患に関しても,治療に結びつく基礎研究も出てきているように思います。

予防医学における遺伝子の役割

川上 もう1つ診断面で強調したいのは,正常値についてです。生化学領域の正常値,標準値がありますが,それに遺伝子が大きく関与していることが明らかになってきました。例えば,ACE(アンジオテンシン・コンバーディング・エンザイム)の正常値は非常にばらつきがありますが,その原因は遺伝子型の違いによることがわかってきました。標準値として一括されていたものが,実は遺伝子型によってその値が異なってくるのです。近い将来,遺伝子型によって正常か異常かを判断する時代が来て,正常値に対する遺伝子レベルからの見直しが行なわれるのではないかと思います。そのあたりはいかがですか。
木田 疫学でも一部に考えられると思いますね。例えばACEの多型性を調べた研究では,動脈硬化になりやすい家系があると言われています。現在の手法では疾患のハイリスクグループはつかめませんが,将来,この人はハイリスクであるかそうでないかを分けることができるでしょう。そうすると,予防医学は今までとは違った視点で行なわれる可能性があると思います。
川上 おっしゃる通りですね。医学の将来は予防医学に尽きますが,治療よりも先に予防の面で遺伝子レベルの話が進むと思います。それも消極的な予防でなく,例えば遺伝子操作を加えて,積極的に病気を予防していくことも含むわけですね。
木田 それも含めての遺伝子治療が考えられるでしょう。今の1次,2次予防という考え方に加えて,ハイリスクグループをスクリーニングする1次予防や,患者の増悪をスクリーニングする2次的なものなどが考えられます。例えば,COPD(慢性閉塞性肺疾患)に罹患しているかどうかに,バイオマーカーとしての遺伝子が使われる可能性は十分にあるのではないでしょうか。

治療への応用

川上 今度は,現時点における呼吸器疾患の治療において,分子生物学の知識やテクニックがどのように使われているかをご紹介ください。
木田 ブロディー教授(ボストン大呼吸センター)によると,「分子生物学はこの40年間に爆発的に進歩した。1950年代にはDNAの3次元構造の解明が中心だったのが,90年代にはジェネティックに薬剤を作ることが可能になったことが最大の変化」と述べています。病態生理が解明され,それに合わせてジェネティックな,あるいは3次元構造をコンピュータで決定して新薬が開発されるようになりました。またプロテアーゼ,プロテアーゼインヒビターもそうで,このあたりが現在の焦点の1つではないでしょうか。
川上 薬剤を遺伝子工学などの手法を用いて開発する,いわば間接的な方法もありますね。これは抗生物質,GCSF,インターフェロンとたくさん出ています。表には出てきませんが,実は分子生物学を駆使した薬剤によって多くの命が救われており,これは無視はできないと思います。
 遺伝子治療はほんの一部で行なわれ,コストに見合わない,十分な効果をあげていないなどいろいろ言われています。つまり,分子の情報をフルに活用した治療法というのは,まだ足踏み状態という印象ですが,いかがでしょう。
曽根 分子生物学的な手法は,診断ではかなり使われていますが,治療にはまだまだという印象があります。呼吸器疾患の分子レベルでの病態解明は,今ようやくスターティングポイントに立ったのではないかという感じがしています。
 しかし90年代に入って,遺伝子レベルでの異常がかなり明らかになりました。結果的にはうまくいってはいませんが,遺伝子異常のある細胞に正常の遺伝子を導入することによって治療する,という遺伝子治療の考えを実践する動機づけができたことは大きな成果だと思います。現在,欧米においてcystic fibrosisに対し,cFTR遺伝子治療や肺癌のp53遺伝子の異常に対する遺伝子治療が行なわれています。それらは以前には想像できませんでした。
 免疫学的な面では,マウスの癌は免疫力の強化で治りますが,人間では話が違ってきます。しかし腫瘍の退縮抗原ペプチドが最近明らかになり,そういった抗原を認識し,キラーT細胞に伝えるdendritic細胞という樹状細胞の役割がわかってきました。いかにそれを分化誘導するかも明らかになり,抗原ペプチドと併用したワクチンとして治療に結びつけることも積極的に行なわれています。
川上 喘息の患者さんに対してのアプローチで,β2アゴニスト吸入においては効果にばらつきがあることが言われてきました。それも実は,β2レセプターに対する遺伝子の多型性が関与していることが明らかになりました。同じように,薬剤を投与しても効く,効かないことの裏側には,受容体や代謝に対する遺伝子の働きがあることがわかってきて,これも治療の方向性を示すものと思います。
木田 抗癌剤の耐性を獲得するメカニズムも解明されつつあり,治療に応用される可能性があります。もし耐性を獲得しないようにできれば,化学療法を持続的に行なって,快適に生活することは可能になりますね。抗生物質も同様です。

分子生物学がもたらした新たな問題

遺伝子を追跡すること

川上 院内感染でMRSAがどこから発生したかを追跡することも可能になりました。こういったことも非常に大事な部分だと思います。DNAフィンガープリントによって発生源をつきとめることを「探偵物語」と言っていますが,感染源をつきとめることも実際に行なわれています。結核菌ももちろんそうです。
木田 最近の「Nature」誌に,福山型ジストロフィーを追跡したところ,たった1例のポイントミューテーションからスタートしたという話が掲載されました。呼吸器疾患でもそのような疾患が見つかる可能性は十分あり得ると思います。それが疫学的にきちっとできれば,例えば他のいろいろな疾患についても発症しやすい家系がわかるようにり,ある人にはこの仕事はリスクが高いなど,予め言えるようになるかもしれません。あるいは,統計のとり方が変わってくる可能性もあると思います。
曽根 日本には現在疫学を研究されている方は少ないのですが,これは今後やらなくてはいけない分野だと思います。特に家族内での発症が多い症例を大切にして,全国ネットで情報化し,できればサンプリングしていくという作業が必要です。
 呼吸器疾患の場合には,分子生物学,細胞生物学での解析がそこまでいっていないのが現状です。疾患の原因遺伝子が候補としてあがってくれば,もっと疫学的な研究が増えてくると思います。
川上 遺伝子を突き止めるという仕事はまず家族調査から始まり,特定の病気を持った人を探して家系内で調べて,そこから見つかる遺伝子は何かという方法で進められます。「家族調査が基本」ということから,各疾患についてプロジェクトを組むべきだと思います。
 喘息については日本でもかなり行なわれていて,そこからアトピー遺伝子,β2遺伝子といわれるものを探しています。アトピー喘息は11番染色体長腕の異常や多型性などある程度まではわかっていますが,責任遺伝子は決め手がつかめていないのが現状ですね。
木田 発症の原因である「環境」と「遺伝」については,10年前は漠然としていたものが,環境と遺伝の絡みのところで,どこまでが遺伝かという点がはっきりしてきました。そういう意味では,疫学がますます大事になってくるだろうと思います。

遺伝子研究の発展と倫理問題

曽根 疾患の原因遺伝子を疫学調査・研究する場合,人権や倫理の問題をどうクリアにしていくかが常に問題だと思いますが。
川上 これはどの疾患でもそうですし,特に精神疾患の疫学調査を行なう場合には問題になりますね。倫理委員会でもよく議論になりますが,研究としては非常に大事ではありますが,プライバシーを厳密に守ることをクリアできたら認めようと言っています。
 情報公開法案の中でも,1つだけ例外を設けています。個人の情報でその個人が知りたいというのは法的な開示に入らないそうです。例えば自分の入試の成績や,病院のカルテなどを本人が開示せよといっても,情報公開法案の埒外と書いてあります。
 それと同じで,われわれが今カルテ等をどこまで開示しなければならないかは,社会が成熟していく過程の中で,道義的にどこまで開示するかを議論していくべきと考えています。
木田 私どもの病院でも,アルツハイマーの遺伝子を調べるプロジェクトがありますが,見つかった時に本人に教えるべきか教えざるべきかは非常に困る問題です。
川上 責任遺伝子を持っていても,それに対する治療が可能であれば患者さんにも教えますが,それができない段階では教えてはいけない,ということではないかと思います。これは私の個人的見解ですが。

インフォームドコンセントとの関連

曽根 患者さんが情報として知りたいのであれば拒否はできないのではないかと思います。それをインフォームドコンセントの段階でどこまで含ませるかということになりますね。ある試験に本人が承諾して参加したにもかかわらず,結果の意味について告知しないというのは,インフォームドコンセントにはならないと思います。
木田 それはとても深い問題です。分子生物学時代に突入して,医療倫理の考え方は仕切り直して,新たに枠を決め直さなければいけません。従来の考え方では解決できない問題が出てきたと思いますね。
川上 その通りです。新しい倫理の問題が出てくる可能性は大いにあります。癌の告知によく似ていて,本人が教えてほしいと言った時に,この人は癌であるかを本当に知りたがっているのか,家族もそれを望んでいるのかを確かめた上で言いますよね。  それと同じことが遺伝子にもあてはまるのではないですか。結果を知りたいというインフォームドコンセントにサインをしたとしても,それが本当に心底から知りたいのか,軽い気持ちで知りたいと書いたのか,いろいろあります。そこのところを見抜くのが医師ということになります。総括的に,統合的にものを考えて判断を下さなくてはなりません。

医師の役割

曽根 分子生物学が急速に進んでくると,以前には不可能と思われていた技術も可能となります。例えばアメリカでは,新しいテクニックを導入する場合,素人も1-2日トレーニングすれば次の日から誰でもできるようにシステムが構築されます。
 同じようなことが医療の現場でも起こると,倫理的あるいは総合的に新しい医療技術の導入の適格性を誰が考えていくのかという点が問題になってくると思います。ようやく分子生物学が病態の解明から診断,治療への応用と進み,トンネルの先が見えてきた今,医師として何をすべきかを,もう1度整理する必要があると思います。
川上 確かにそうですね。そのような最終的判断は医師がしなくてはなりません。同時に,患者側にも高い倫理性が求められるるのではないですか。医師側だけでも患者側だけでもだめで,両方に高い倫理感があって初めて遺伝子を操作するなどという話がよい方向へ進むのではないか思います。

分子生物学を用いたガイドライン

 曽根 その点,喘息の診療は進んでいる分野だと思います。ガイドラインが作成されているということは,病態がある程度解明され,治療の方法もそれに基づいて考案され,いかに整合性を持って最大の効果をあげていくのかが明らかになっている,ということだと思います。他の呼吸器疾患についても,同様に進んでいくと思います。
 肺癌では,腫瘍マーカーの発現が非常に大きな成果です。病態に絡んで,血中に高い濃度で現われるので,予防の推測や治療効果の判定に使われている基礎研究の大きな成果だといえます。今後は遺伝子診断とも合わせて分子生物学的な面から治療的なガイドラインを作ることが,21世紀の課題であろうと思います。
木田 分子生物学をとり入れたガイドライン。これは非常に興味深いですね。バイオマーカーがいろいろと出揃えば,それはあり得ると思います。
川上 将来の治療ガイドラインは,分子レベルの考えを入れたものになるでしょうし,そうすべきだと思います。
 いま曽根先生のお話を聞いて,これからの臨床医学は共同作業がますます重要になると思いますね。作業の中心には分子生物学の知識を持った臨床医が望ましく,その周囲に分子生物学者,PhD,技術者が必要ですし,生化学者や基礎の研究者がいるという研究グループが,今後,疾病の原因解明や,診断・治療を推進していくのではないかと思います。
曽根 宗教家,哲学者および倫理学者にもできれば参加してもらうとよいですね。

21世紀の医療-統合へ向けて

 木田 医学書院から発行された『呼吸器疾患の分子生物学』は,疾患を主体に分子生物学の最先端がどこまで来ているか,また何が問題なのか,将来の課題は何か,それを解明するうえでどのようなテクニックがあるのかという順序で編集されています。
川上 曽根先生,本書をお読みになった感想をお聞かせください。
曽根 1つは,分子生物学,細胞生物学の分野は日進月歩で進み,常に動いている分野ですが,本書では分子生物学の基本的技術に多くのスペースを割いています。その点と臨床医が新しい分子生物学,細胞生物学を使った情報や知識を得ることができるという非常によい点とを併せ持っていることはすばらしいですね。
 もう1点は第4章の「インターネットを利用した新しい情報の入手法」です。分子生物学に関する情報の集め方を具体的にわかりやすく親切に紹介してあるのはよいですね。臨床に限らず基礎医学についても,いつでも情報が得られるようにアドレスまで書いてあります。これは他には見たことがない企画です。
木田 本書を企画した際に,例えば「New England Journal of Medicine」など先端の臨床論文を読むと,分子生物学に関する情報がふんだんに出てきます。その度にこれはどういう意味なのかと資料を探し歩くような煩雑なことをしなくても1冊ですむような,そういう意味での教科書が必要だと思ったのです。その点は満足しています。ちょっとわからない時に調べてもいいし,あるいは順番に通して読んでも,領域ごとに現在までの問題点がまとめられていると思います。
曽根 本書は文献もかなり重視して記載されていますね。
川上 各論については,疾病によって進歩の具合がいかに違うかがわかります。
木田 本書をみると,研究者の興味がどこに向いているかが大体わかりますね。
川上 1つの疾患でも,それこそ研究者の興味によって未開発の部分と,深くなされている部分があります。いかに病気というものは難しいのかがつくづくわかります。

個体を見る視点

曽根 分子生物学がここまで大きく発達した時代において,問題は,「分子レベルでの異常が固体レベルで病的か」という疑問意識です。これは学生や若い研修医を見ているといつも感じます。そこに要求されるのは総合力ですね。学生たちには「固体を見るという点では,生物学について常に勉強しておかなくてはいけない。そして分子生物学的技法を使って解析していく時には,いつも生物学にかえって判断しなくてはいけない」と教えています。もし分子レベルで異常があり,また病的でもあれば診断・治療は必要です。一方異常でも,病的でなければ治療は必要ありません,そういう考えが少なくなったような気がします。
木田 分子生物学によって生物学は先端的に細分化したと思いますね。そしてこれから求められるのは統合化だと思います。「21世紀の医学は統合化だ」とよく言われますが,まさしくそうだと思います。情報を取捨選択し,それが人体の中でどのように統合されて,何が異常で何が正常なのか,何が生理的変化で何が疾患なのかというところでしょうね。 今,医療費が増大していますが,その意味でも有力な情報とそうではないものと取捨選択されていくのではないでしょうか。分子生物学は今後もっと臨床分野に入ってくると思いますが,本当に有効なものだけが残っていくのではないかと思います。

分子生物学時代における統合化

 川上 実はある先生から「あなた方が考えている統合とは何だ」と問われました。木田先生はこの「統合」とはどのようなことだとお考えですか。
木田 私自身は,「21世紀の医療はコスモロジーである」と考えています。そして生命をどのように考えるかという,最も基本的なことが問題になると思います。
 例えば,肺という臓器を見た時,メアリー・ウイリアムズ教授(ボストン大呼吸センター)によると,1970年代には40種類だった細胞は92年には60種類ぐらいになったそうです。フィブロブラストをとっても3種類ぐらいに分かれています。つまり,今まで1種類と思っていたものがそうではなく,40種類の細胞で全部説明できると思ったものが同様に,今後ますます増えるということです。細胞を見た時,どれも肺の機能,あるいはこれが肺に特有であるというものはないわけです。マトリックスや細胞の中でもⅡ型上皮細胞が主体であるとか,様々な問題が出されていますが,どれをとってもその細胞のみで肺の特徴を決めているものはないのです。肺というのは全部集めて肺であり,単独で存在するのではなく,他の臓器と相互に関係し合うような,いわば「オーガントーク」が当然あるわけです。そういうことをもう1度統合的に考えるというのがコスモロジーではないかと,漠然と考えています。

治療をエンドポイントに

川上 曽根先生はいかがですか。
曽根 医学では治療がエンドポイントであるべきだと思います。治療とは,細胞1個レベルの異常,あるいは分子レベルでの異常を進歩した診断技術で見つけたとしても,それを是正するのが治療ではありません。治療はあくまで患者さんのQOLの改善をめざすべきです。細胞生物学,分子生物学とは要するに個別化であり,病気の解明はミクロの領域に入っていきますが,「治療」がエンドポイントにあれば,そのような情報はすべて集約化されて統合化されるべきです。そういった作業が常にあって進歩していかないと,統合化は新しい治療と形では出てこないだろうと思います。
 現在,分子生物学の進歩によった標準的な治療法は,呼吸器疾患の分野ではっきりいってほとんどないというのが現状だと思います。それはまだ治療まではいかないかもしれないし,ややもすれば,治療ということを考えずに研究していることが多いのかもしれません。
川上 曽根先生の言われる治療面での統合とは,生体全体としての治療ですよね。
曽根 個体全体を常に把握していくことで,異常とは個体の中でどういう意味があるのかが理解できます。先ほど木田先生がおっしゃった,細胞間の反応だけではなく臓器間の反応などさまざまな因子を総合的に考えていくことも必要です。

医学における哲学の問題

川上 つまり生物学ではなく,心の問題をどうするかということだと思いますが。
曽根 患者という自己を持つ人間を対象にする場合,哲学を加味していかないと本当の意味での統合はできないのではないかという疑問は,なんとなく理解できますね。
木田 哲学者の西田幾多郎氏は,「真理」とは1つの理屈で全体を説明できるような丸いものであるという言い方をしました。ところがノーベル賞を受賞した利根川進氏は,「生体のいろいろな現象はきわめてアトランダムで理屈がない」ということを言っています。そうすると,まったく偶然の重なりである生命体と,真理は1つで丸いという中で説明できるものは,かなりの距離があるという気がしますね。
川上 生命現象は分子レベルでもかなり解明されましたが,まだまだ神秘的な面があります。それがおそらく哲学や心の問題につながっていくという面もあるでしょう。
曽根 現在は医療技術や知識が先鋭化し,それら1つひとつが鋭いナイフとしてできあがったような感じがします。医学におけるコスモロジーが問題になるのは,その鋭いナイフや武器をどのようにして使うかが問われていると思います。
 私たちは移植,遺伝子治療など鋭い道具をたくさん持っていますが,倫理的な面,社会的な面での整備が追いつかないため,それを思うように使えないという点で,非常に悩みが大きいのではないかという気がします。
川上 本日は誠に多岐にわたるお話しをいただきました。ありがとうございました。