医学界新聞

「実践知」と「暗黙の了解」の関係を論議

第18回日本看護科学学会シンポジウムより


 昨年12月3-4日の両日,札幌で開催された第18回日本看護科学学会(参照)では,3つのシンポジウムが企画されたが,ここでは,「文化に根ざした」看護技術をどのような文脈で捉えるべきかについて,共通の理解を得る目的で企画されたシンポジウム I「文化に根ざした実践知の鉱脈-看護学をデザインするために」(座長=中西睦子氏,武田宜子氏)を報告する。なお,シンポジストとしては,パトリシア・アンダーウッド氏(兵庫県立看護大),阿保順子氏(北海道医療大),田中靖代氏(豊橋市民病院),能條多恵子氏(札幌脳神経外科病院)の4人が登壇した。

「暗黙の知識」を「明瞭な知識」へ

 まずアンダーウッド氏は,日本の看護婦との長年のかかわりから得られた「万国共通の問題-文化的な解決」を,牧本清子氏(金沢大)の逐次通訳を得て口演。文化について,「文化は世代から世代へと受け継がれていくもので,経験により学習され,無意識,潜在的に働く微妙な力である」と定義づけ,「明瞭にされない含蓄的な文化は,そこで暮らす人にとっては受け入れがたいものがある。日米間では行動,考え方に相違があり,異なった世界観などが文化的価値観にも相違をもたらしている」ことを述べた。その背景には,宗教や,抽象的な考え方と実践的な考え方の違いがあることに触れ,「暗黙の知識を明瞭な知識に変化させる」重要性を論じた。
 その上で氏は,「看護の科学を発展させ続けるためには,明瞭な知識と同様に含蓄的知識も尊重し,文化の影響や行動について理解する必要がある」とまとめた。
 一方,阿保氏は精神看護領域の立場から,「患者との長いつきあいから『暗黙の了解』が得られ,結果として優れたケアを形成することで看護者としての『実践知』となっている」とし,「暗黙の了解が実践知に至る階段」を口演。
 阿保氏は,精神障害者だけでなくこれからの高齢者にも共通する食事,排泄,睡眠など,生活における最低限の事柄への援助は,計画的ケア以前のケアの入口であるとし,これを「WORK」と名づけた。また,このWORKを経て看護者と患者は信頼を増し,患者のことをわかるようになり,予測も可能になることを指摘。さらに,精神分裂病患者の精神構造を4つの円で図示し解説を加えた。その上で,「看護者は,患者の病気の治っていくプロセスを経験的に学びとっている」と述べ,「看護の『実践知』は,看護者の実践内容を支えている暗黙の了解から観念へ,そして再度実践へという階段の昇り降りの繰り返しと,『暮らしている』と実感できる生活の再構成が看護の着地点と考える確かさによって形成されていくだろう」と結んだ。

「実践知」と「研究」の融和

 一方臨床の現場からは,「食べること」にこだわったた嚥下障害患者とのかかわりを通して嚥下訓練を試みた田中氏が,「看護の未来をみつめて」を口演。経口摂取困難な患者は,肺炎防止のためのチューブ栄養が望ましいとされていた時代に,時間と手間のかかる摂食訓練は歓迎されなかった。田中氏は,医師,同僚の了解を得て実施したが,そこでの工夫からの学び「コツ」となりは教科書にはない,実践知となったとし,「実践で得た知識が研究者の知識と融和することで,臨床看護がさらに発展することを期待したい」と述べた。
 また,遷延性意識障害患者を重複生活行動障害者として規定し,身体機能を整えることを基本に生活支援プログラムを確立・実施している札幌麻布脳神経外科病院の能條氏は,同病院でのプログラムとともに実践例を紹介。感覚刺激,全身入浴による温浴刺激,座位・起立訓練,口腔ケアを中心とする摂食・嚥下訓練,清潔を維持する陰部ケアなどを通して,身体機能を保つことが患者にとってどのような意味を持つのかについて解説し,これらが大脳の活性化,意識回復につながることを証明した。能條氏は,「これらの実践行為は限界がない専門職としての看護職だからこそできること」と述べ,「臨床現場で求められる文化に根ざした看護の実践知とは,看護職としての役割意識に基づいて,科学的で主体的な看護実践ではないか」とまとめた。
 総合討論では,「暗黙の了解」と「実践知」をめぐり熱い論議が交わされた。