医学界新聞

看護における質的研究方法の選択

第18回日本看護科学学会学術集会の交流集会から

朝倉京子(日本赤十字看護大学大学院・看護学研究科博士後期課程)


 例年より1か月ほど早い大雪で,あたり一面雪景色となった北海道・札幌市。昨年12月3-4日に,最高気温がマイナス4度という寒さの中,第18回日本看護科学学会学術集会が開かれた(参照)。
 本学会では,数多くのプログラムが企画されていたが,初日(3日)の夕方からは,7つの交流集会が行なわれた。黒田裕子氏(日赤看護大教授)を代表とする私たちQNRC(Qualitative Nursing Research Conference)のメンバーは,その1セッションとして「看護における質的研究の選択肢と選択の合理的根拠」と題する交流集会を主催した。この集会は60人程度収容の会場で行なわれたが,実際には私たちの予想を大幅に超える,会場に入りきらないほどの多くの方々の参加があり,有意義な意見交換を行なうことができた。
 この交流集会のそもそもの目的は,いくつかの質的研究方法をどういった根拠に基づいて選択していったらよいかを話し合うことであったが,参加者の方々との討議を通して,質的研究にはこのテーマ以前に根本的な問題があることに気づかされた。
 交流集会を開催して,私自身が考えさせられたことなどを記してみたい。

3つの質的研究方法についての討議

 現在,看護で用いられている質的研究方法には,社会学や文化人類学などの周辺諸領域で発展した方法論がいくつかあるが,それらの中から本交流集会では(1)エスノグラフィ,(2)グラウンデッドセオリー法,(3)現象学的アプローチの3つを取り上げた。まず,それらの特徴についてプレゼンテーションをした後,それぞれの方法論を看護に取り入れる際に生じる問題点についての討議を行なった。討議の内容は以下に代表される。
 1)エスノグラフィは,もともと人類学で発展してきた方法論であり,共通の文化を持つ人々の集団を,その人々の視点から明らかにすることを目的とする。しかし看護研究でエスノグラフィを用いる場合には,文化をどのようにとらえるのか?
 2)グラウンデッドセオリー法を用いる場合は,この方法が発展した学問領域の象徴的相互作用論に基づき,相互作用を対象としなければならないのか? また理論構築に到達しなければこの方法を使う意味はないのか?
 3)現象学的アプローチは,個人の体験世界の意味や主観性を追求するが,それは科学的研究として意義があるのか?
 これらの討議の内容に共通して言えることは,これらの問題がすべて他の学問領域で発展してきた研究方法論を,看護学にそのまま取り入れようとする時に生じる問題であるということだ。会場からも,他領域の研究方法論について議論することよりも,看護学独自の研究方法論が必要であるとの貴重なご意見をいただいた。

他領域で発展した研究方法を用いることの問題点

 それでは,なぜ私たちは,さまざまな領域でそれぞれ発展してきた研究方法論を比較検討し,どれがより妥当な研究方法なのかを判断しようとするのだろうか?
 もともと,これらの方法論はそれぞれの学問領域で,それぞれの目的に沿って開発されてきたものである。ただ,そのデータ収集の手法はフィールドワークや面接が主であり,扱うデータは言語的なデータや写真などの記録物で,分析は研究者という測定用具を通して行なわれるという点では共通している。つまり,それぞれの手法は限りなく類似している。それでは一体何が違うのであろうか。
 その違いはそのよってたつ学問的立場,すなわち学問それぞれの基盤となっているパラダイムであろう。したがって,それぞれが同じ土俵で排他的に存在しているのではないし,グラウンデッドセオリー法がだめなら現象学的アプローチというように,代替的で並列的な関係にはないということが考えられる。
 看護にも何らかの立場(パラダイム)があると仮定するなら,その立場にある看護研究者が,社会学や人類学の立場をとって研究をする際には,何らかの矛盾点が生じるはずである。先に述べたようなこの交流集会での討議の内容に,この矛盾点が反映されていると思われた。
 その他,これらの討議の中では,今回取り上げたこの3つの研究方法論があまりにも大きすぎて使いにくい,自分のみている現象に一致しないという意見が出された。これはまさに,研究者の看護観に基づいて現象を探求する際に,他領域の立場をとることに対して違和感が表現されていると思われた。実際にこれらの方法を使った研究は,日本においてはそのほとんどが一部の修士論文,博士論文に限られている。
 今回の交流集会では,エスノグラフィ,グラウンデッドセオリー法,現象学的アプローチという,文化人類学,社会学,哲学の分野の研究方法論を取り上げたが,それだけが看護に応用しうる研究方法ではないし,それを諸学問領域に忠実な形で看護に取り入れることが看護学の研究を発展させることのすべてではないということを強く感じた。

看護学独自の研究方法論はあり得るか

 周辺諸領域の研究方法論がそのまま使えないのであれば,討議の中で出されたように,そろそろ看護学独自の質的な研究方法論が必要なのだろうか? そうなると,問わなければならないのは,看護のパラダイムとは何か,という大変難しい課題である。
 しかしながら,看護という学際的な領域では,現状のようにいろいろな領域の方法があってもおかしくはない。問題は,それらをどう応用していくかであろう。どこまでを取り入れ,どうアレンジしてもよいのかということに加え,1人ひとりの看護研究者が,自分の看護に対する考え方や前提に気づき,それを質的研究の中に生かしていくことによって,看護学独自の質的な研究方法論に近づいていくのではないだろうか。
 最後に,これらの議論は今回限りで終わるのではなく,継続していくことも必要だと痛感させられた。そして,多くの看護研究者によって論議されることで,看護学の質的な研究方法論がより確実性を持って構築されていくことを期待したい。