医学界新聞

1・9・9・9
新春随想

胃腸診療30年

新谷弘実(米国アルバート・アインシュタイン医科大学
外科教授/ベス・イスラエル病院内視鏡部長)


 順天堂大学医学部を卒業し,アメリカ横須賀海軍病院でインターン終了後,渡米した。ニューヨークのベス・イスラエル病院(1400床)で外科のレジデント1年生を始めたのが1963年7月10日であるから,早や35年が過ぎたわけである。
 幸い健康に恵まれ,体力もアメリカ人医師達に引けをとらなかったおかげで5年間の外科のトレーニングの重労働を何とかこなした。30人の競争者の中からチーフレジデントになることができた。
 この年(1968)年に食道鏡・胃カメラファイバースコープ,CF-SB,CF-LBの大腸ファイバースコープ(オリンパス)を入手した。アメリカではベス・イスラエル病院とメイヨ・クリニックが最初のオリンパス製コロノスコピーを使用した病院であったそうである。
 1968年(昭和43年)はチーフレジデントとして年間650例のmajor surgeryを手掛け,週40例の食道・胃・気管支鏡およびコロノスコピーを施行するといった非常に忙しい毎日であった。
 日本ではその頃2人方式の大腸ファイバー検査がさかんに拡がりつつあったようだが,アメリカでは1968年に私が先駆者として試行錯誤で独自のone-man方式とも新谷式挿入法とも言われている方法を開発したのである。
 1969年には,95%以上のトータル・コロノスコピー成功率と,世界初のコロノスコープによるポリペクトミー(高周波使用)を院内で発表した。この時,オリンパスの技術担当だった市川弘氏に頼み,スネヤーワイヤーを開発した。
 ポリペクトミーの成果は1970年にニューヨーク外科学会で発表し,翌1971年に消化器内視鏡学会(マイアミ)で報告した。

新谷式コロノスコープを日本でも広めてくれと頼まれて

 日本では私のone-man法と言われる(私自身は1つの器械を1人の人間が操作するのは当たり前だと思うが)コロノスコープ挿入法とポリペクトミーの手技をセミナーで教えるようになったのは1980年である。
 以前から知己であった故相馬智(杏林大学外科教授),藤田力也(現昭和大学教授)両先生からぜひ新谷式コロノスコープを日本でも広めてくれと言われ,杏林大学・昭和大学で年2-3回のセミナーを開くようになり,その後も名古屋(小林世美先生)・秋田・北海道・福岡・京都・熊本などチーム医療(梅本氏)の協力で多くのセミナーが開催された。
 現在,世界中でコロノスコピーの指導者または成功者として活躍されている先生方の多くは私のセミナー出身者または生徒である。日本では20数名の方が数か月から1年間をニューヨークで直接私の指導を受けた人たちである。例えば,岡本平次(東京),前田京助(前田病院),村田博司(半蔵門胃腸クリニック),瀧上隆夫(倉敷・チクバ外科),掛谷和俊(大分・古賀病院院長・半蔵門胃腸クリニック),大政良二(慈恵医大)などである。
 この30年で私の大腸内視鏡のケースも20万例以上に達している。ニューヨークでは2人の弟子が手伝ってくれているので,今日でも毎日平均45例の検査・ポリペクトミーをこなしている。臨床例は多いので,面白い例は山積みにしているが,時間と人材の制限でペーパーがなかなか書けないでいる。日本の若い先生方がニューヨークに来て,コロノスコープの勉強かたがた論文をまとめてくれたらと願っている。
 昨年7月に5-6年がかりで書いた『胃腸は語る-胃相・腸相からみた健康・長寿法』(弘文堂)を発刊した。幸い4か月で第4刷を出すほど好評である。多くの医師・ナースの皆様の他,医療関係の方々に読んでいただき,ご意見,ご批評をお願いしたいと思う。新年に際し皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。