医学界新聞

「高齢者と死の臨床」をテーマに

第22回日本死の臨床研究会年次大会開催


 第22回日本死の臨床研究会年次大会が,昨年11月7-8日の両日,柿川房子(佐賀医大),三木浩司(久留米大)両会長のもと,佐賀市の佐賀市文化会館で開催された。
 同研究会が発足してからの20余年の期間は,急速な高齢化を迎えた時期であり,全国的にも介護保険の導入に向け準備,整備が始められている現在,高齢者・死・在宅の問題に真摯に取り組む時期との判断から,本大会でのメインテーマに「高齢者と死の臨床」を掲げた。

メインテーマを支える多彩な企画

 なお本大会では,開催前日に市民公開講座として日野原重明氏(聖路加国際病院理事長)による「高齢者に有終の美を-明るさと生きがい」の講演が行なわれた他,医療職者を中心とした教育研修セミナー「医療者のコミュニケーション-あなたの命は長くない」を開催。参加者は,医師,看護職,患者,家族,ケースワーカーなどの役になりきってロールプレイを行ない,臨床現場が抱える問題点などを抽出するとともに,それらの問題に関して議論された。
 また,大会初日には特別講演「死の臨床への関わり」(聖路加看護大 水口公信氏)や教育講演「高齢者の生きがいと死」(都精神研 松下正明氏)の他,基調講演として「Breaking Bad News-悪い知らせを伝える実践的方法論」(英・シンシアスペンサーホスピス ピーター・ケイ氏)を,またランチョンセッションとして「緩和ケアにおけるセデーション」(京大 星野一正氏),「老いを豊かに生きる」(阪大 柏木哲夫氏),「高齢者と『死への準備教育』」(上智大 アルフォンス・デーケン氏)の3題を企画。さらに2日目にはメインテーマに沿ったシンポジウム「高齢者と死の臨床」(司会=柿川氏,三木氏)が開催された(シンポジウムの概要は,次週2323号に続報として掲載する)。

末期癌患者と疼痛緩和

 特別講演「死の臨床への関わり」は,現在同研究会の世話人会代表を務めている水口公信氏によるもの。氏は,1970年代後半の前任地である国立がんセンター病院での「ブロンプトンカクテル」との出会いと,癌患者への著効な鎮痛効果について語るとともに,1986年に出されたWHOの癌疼痛治療指針よりいち早くモルヒネを使用し除痛を促進していたことを,当時の実績を提示し解説した。
 また,1994-97年の聖路加国際病院での成績として,男女70例から94.5-96.1%で疼痛コントロールできたことを発表。著効45例(64.2%),中等度改善22例(31.4%),不良3例(4.2%)の結果で,「患者のQOLの改善が図れた」と述べた。
 その一方で,氏は「患者がどのような気持ちで闘病しているかを知ることで,疼痛へのニーズに応えることができる」として,文章完成法と樹木画による心理テストが末期癌患者の気持ちを理解する有力な情報源であると判断。ターミナル期の患者の心理状態が樹木画に表わされたとして,その実例をスライドに映写しながら,鎮痛促進と患者の心への援助の関連を述べるともに,癌患者の身体的,精神的心理研究の必要性を指摘した。

老年期は挑戦期

 また,イギリスで緩和ケアを実践しているピーター・ケイ氏による基調講演「悪い知らせを伝える実践的方法論」では,癌の告知に関して,(1)その準備から,(2)患者は何を知り,何を知りたがっているのか,(3)患者が否認することを許す,(4)警告を与える,(5)求められたら説明する,(6)感情の表出ができるように励ます,(7)希望を抱かせる計画を提示する,(8)自分が相談相手になれることを伝える,などより具体的な実践法を解説した。
 さらに,「老いを豊かに生きる」を講演した柏木哲夫氏は,一般論として老年期に失うものとして,(1)心身の健康,(2)経済的基盤,(3)社会的つながり,(4)生きる目的,の4つをあげた上で,「果して老年期は喪失期なのか」と疑義を提示。スポーツや旅行を楽しんでいる老人,老人大学やボランティアとしての参加などの実態をあげ,「人は喪失感を持ったままでは生きつづけることはできない。喪失感が強いから,それを補う意味で何かに挑戦することによって,満たされた毎日がおくれるのではないか」と述べ,「老年期は挑戦期」(筑波大 井上勝也氏による言葉)を強調した。また,ライチャード(老年学)による老いへの適応パターン分類として,(1)円熟型(柏木氏は,日野原氏を例にあげた),(2)安楽椅子型(悠々自適型),(3)逃避型(防衛型),(4)憤慨型,(5)自己嫌悪型を紹介。氏はその上で,「多くのお年寄りに接してきて,もう1つの“感謝型の適応”が考えられる」として,「個人的には感謝型の老い方をしたい」と述べ,ユーモアを持った老い方を論じた。その後,老人の死のイメージや老人の心配ごと,老人のターミナルケアなどについても考察を加えた。