医学界新聞

1・9・9・9
新春随想

ダーウィンと生殖医療

石原 理(埼玉医科大学総合医療センター助教授・産婦人科)


 ウェールズに近い北西イングランドの田舎に,シュロスベリー(Shrewsbury)という小さな町がある。英国で2番目の大都市であるバーミンガムの少し西と言ったほうが,むしろわかりやすいかもしれない。この町は,シュロップシャー(シュロップ県)の中心地で,石畳の道路や建築物,城壁など,中世からの長い歴史を随所に刻む商都である。また,ここはチャールズ・ダーウィン(Charles Darwin,1809-1882)の生まれ育った町として知られる。

進化論と生殖遺伝学のルーツ

 ダーウィンは,シュロスベリーの有力者である医家に生まれ,医者になることを望んだ父親の希望に反して,ケンブリッジで神学を学び,結果的には再びドロップアウトして,自らの進む方向を博物学の分野に切り開いた。もちろん,彼にとって,ビーグル号による航海が,進化論を確立し,後世に残る偉業である「種の起源」に取り組むための,直接のモチーフとなったわけである。しかし,シュロスベリーにいる頃から,彼が,ろくろく勉強もせずに熱中していたのは,昆虫採集であった。見るからに神経質そうな1人の男の子が,捕虫網を持ってセヴァーン河畔にある大きな楡の木に集まるカブト虫を採取しているところに,進化論と生殖遺伝学のルーツがある。
 生殖医療は,1978年に,体外受精胚移植(IVF-ET)により妊娠した母親よりルイーズ・ブラウンが生まれた時,新しい段階を迎えた。これまで,子どもを持つことがまったく不可能とされてきたカップルに対して,生殖医療が子どもを持ち育てるチャンスを提供した。それから約20年間に,生殖医療技術はさらに著しく発展している。顕微授精など配偶子(卵子と精子)と初期胚に対する操作は,不妊症治療の限界領域をさらに拡大した。また,この技術は,もはや不妊症の治療目的のみに用いられるのではない。例えば,胚生検による着床前診断は,各種遺伝性疾患の診断や治療などをその視野に置いた,大きな可能性と多くの問題点を内包した方法論である。このような方法論の進歩は,分子生物学と生殖遺伝学の応用を,臨床医学がプラグマティックに進めてきた必然的な結果と考えられる。

「ヒトによるヒトの生殖への介入と選択」

 産業革命後,応用科学としての近代医学が芽生えるのとほぼ同期して出現したダーウィン進化論は,いわば科学を宗教的制約から解放した。また,犬やサラブレッドも含む家畜に対して行なわれてきた,「ヒトによる他動物種の生殖への介入と選択」を体系化し説明した。現代,生殖医療は,ダーウィン進化論の系譜でいえば,直系子孫の1つというべきである。したがって,人々のこの医療に対するリアクションは,「ヒトによるヒトの生殖に対する介入や選択に対する不安感や危惧,批判」として十分理解できる。
 これらの批判が,正確な事実の把握から離れ,時として,やや的外れな感情論に陥りやすいことは問題である。しかし,一方では,これらの不安に対する論理的でかつ理解しやすい回答や啓蒙活動が十分に行なわれていない。漠然とした感情にすら,多くの場合,その背景と歴史的必然性がある。したがって,臨床医学のプラグマティズムが,立ち止まったり振り返ることを軽視し,少数の専門家による現場重視が行きすぎると,人々の不安感や危惧はますます増幅されることとなる。
 現代は,もはやダーウィンが昆虫採集をしていた時代ではない。恐るべきスピードで事態は展開している。生殖医療の専門家あるいは生殖医療にかかわる医療関係者はこれまでの歴史的経緯を把握した上で,ない交ぜになった可能性と問題点の糸をほぐし,人々にわかりやすく提示する義務がある。19世紀のセヴァーン河を流れていたしずくの一滴は,20世紀末の現在,大河となっている。外見はろくに中身を示さぬもの,世の人はとかくうわべに騙される。