医学界新聞

1・9・9・9
新春随想

環境化学物質対策の展開

鈴木継美(東京大学名誉教授)


 この数年,日本も含めいわゆる先進諸国における環境行政は次第に様変わりしている。環境化学物質対策も例外ではない。それどころか,環境行政のニュールックを,地球環境問題対策とともに作り出している主役となっている。例えば1998年9月に国連環境計画とヨーロッパ環境庁がまとめた化学物質についての報告(Chemicals in the European Environment)の中で,化学物質管理の新しいパラダイムが取りあげられ,その中で対策を進めるにあたっての基本的な考え方の変化とそれに伴う具体的な手法の変化が論じられている。

「予防原則」の問題

 基本的な考え方として取りあげられているのは予防原則(The Precautionary Principle)で,この原則は1992年リオデジャネイロで開かれた国連環境会議ではじめて登場したものである。その時の定義は次のようなものである。“環境を守るために予防的アプローチがそれぞれの国の能力に応じて広く適用されなければいけない。深刻な,あるいは不可逆的な損傷の起こる恐れのある場合,科学的確実さが十分でないからといって,それを理由にして環境破壊を防ぐための費用―効果的に意味のある施策を延期してはならない”
 予防原則は地球の気候変化についての議論に取り込まれているのは周知のことであろうが,これを化学物質対策に適用する時の解釈は立場によって微妙に異なっている。その中でどの立場でも共通なのは,化学物質は実際の事例あるいは毒性試験によって,有害性が証明されるまでは無害であると考えて扱うというのを止めようということで,化学物質はその性質に従って何らかの有害性を持つ可能性があり,予防的に扱うべきだというのは共通している。確かに,「黒」という証明の得られるまでは「白」と考えて何もしない,というのがまずいことは言うまでもない。しかし,その逆に白という証明が得られるまでは黒として扱うというのも,その扱い方によってはいろいろな混乱の原因となる。そもそも完全な白であるという証明はあり得ないし,また毒性は量によって定まるものであり,かつ生物の感受性は生物自体の特性とその生息の場の特性によって変化する。予防原則に取りあげられた,深刻な,あるいは不可逆的な損傷の恐れをどのようにして判断するのかが現実の課題となる。

事業者・市民を含んだ化学物質対策

 不確実性を含んだ部分的な情報に基づいて,行政が法令や規則を作って取締りを行なうことが難しいことはよくわかる。一般に,「コマンドとコントロール」と呼ばれる,例えばある基準値を示して,それ以下に納まるように指導,監督する手法が用いられているが,この手法は予防原則とは馴染まない。不確実さを知った上で,社会の各セクターが予防的措置をとるようにするには,何をすればよいのかが問題になる。わが国ではあまり研究されていないが,費用・効果分析によって予防の有効性を示すことも有効であろうし,また他の方法も工夫されてしかるべきである。例えば「汚染物質排出・移動登録」と呼ばれる制度を作ろうという機運にある。経済協力開発機構(OECD)の提唱したこの方法は,社会の各セクターがどんな化学物質をどれだけ環境に放出しているかを自発的に報告してもらうシステムで,結果として人々の知る権利に繋がり,かつ企業体の排出削減の自主努力を引き出すものと期待されている。各種産業が「売ったらそれっきり」という態度でなく,製品の廃棄のところまで面倒を見る方向に転換しつつあり,行政だけでなく,事業者,市民(消費者かつ生産者としての)も含んだ化学物質対策へと,変化はようやく浸透しつつある。