医学界新聞

1・9・9・9
新春随想

未来の医療制度

井形昭弘(あいち健康の森・健康科学総合センター長)


 わが国の医療保険は高い評価を受けてきたし,このために長寿世界一を達成したともいえる。しかしこれに要する医療費は増加の一途を辿り,経済の低迷と相俟って抜本的改革を迫られ,種々の議論が続けられている。

新しい医療をめざして

 従来の医療では病気中心で,1人の人格としての患者を診る目が必ずしも十分でなかった。今後は単なる延命でなく生活の質,人生の質,生命の質(QOL)の維持,向上を最大の目標とすべきであろう。特に高齢者は生命が有限であることを意識しており,健やかに生き抜いて,有終の美を飾って人生を終えたいと願っている。つまり,QOLの維持,向上こそ医学,医療の大きな目標でなければならず,その観点から医療が施設から住み慣れた在宅にシフトするのも当然の帰結であるといえよう。
 また,医療費を単なる金銭の支出として論ずるのではなく,医療があげる効果との関係において論じられねばならない。本来,医療は金銭では換算できない健康と幸福という大きな利益をめざす以上,その医学の進歩とともに医療費が増大するのはむしろ当然であろう。また,わが国の現在の医療費はGDPの約7%強に過ぎず,この比率は世界的に見て低いことを認識すべきであるが,今のまま医療費が増加し続けるならば,早晩制度そのものが破綻を来すことも必至である。包括払い,急性期,慢性期病床の区別,薬価差の解消など医療の合理化,改革を図るべき点は多々あり,真に有用な方策ならば,まず試行し効果の検証を経て未来へ前進すべきであろう。医療の未来は試行錯誤の上にしかないことを強調しておきたい。

医療は未来への投資

 しかし,これらの諸問題は経済的な矛盾が少なかった高度成長時代にこそ議論し,合理化しておくべきで,経済低迷,医療費抑制の流れの中で議論するのでは誤りが生まれやすいことを懸念している。多くの医療経済の専門家は,医療が健康と幸福を期待しての大きな投資であることを忘れている。かつて明治政府は義務教育を施行し,各市町村は血の滲む出費で対応した。そして現在,その出費の何万倍も利益をその子や孫のわれわれが享受していることを忘れるべきでない。正に保健,医療,福祉も教育と同じく未来に対する壮大な投資である。
 かつて明治34年1月2日の報知新聞に「20世紀の予言」として100年後,つまり現在を予測した記事があるが,そこには今日の衛星放送,情報化時代など多くの項目で予言されており,その先見の明には驚く他ない。今われわれが模索している施策も100年後の子や孫が見て評価に耐えるかと考えれば,少しでも先見の明を持とうとする努力が不可欠であることを痛感する。例えば医学部定員の問題を論じた経験からいえば,1県1医大の構想(人口10万人当たり医師150人達成)は発足後10数年で目標を達成した上,30年で見直しが余儀なくされていることは,やはり当時の将来予測は必ずしも十分でなかったとの誹りを免れまい。先見の明がいかに重要であるかを感じている所以である。

試行錯誤の時

 本来,医療と福祉,介護とは一体であるべきで,両者は一体となってはじめて大きな成果をあげることができる。2000年に新たに導入する介護保険もその意味で医療制度と密接な関係にある。いわゆる社会的入院の解消は介護保険導入の一因であったが,介護保険法第一条にも明記されているように,自立へつなげるとの大きな目標を掲げており,この目標は医療のそれと同一である。介護保険導入にはなお批判も少なくないが,ここでは未来は試行錯誤の上にはじめて花が咲くことを強調したい。世界のいずれの国でも血の滲む試行錯誤の上に今日があることを忘れてはなるまい。通産省は保健,医療,福祉産業は未来の基幹産業と言っているが,正に正論で,医療は国を支える産業という視点が求められている。
 以上,最近の若干の感想を述べ,未来に向け全力を傾注したいと決意している昨今である。