医学界新聞

BOOK REVIEW


実験国アメリカの経験に学ぼう

市場原理に揺れるアメリカの医療 李啓充 著

《書 評》今中孝信(天理よろづ相談所病院・総合診療教育部長)

 わが国は国民皆保険によって「誰でも,いつでも,どこでも,平等に」医療を受けられることを誇りとしてきた。しかしながら,検査漬け,薬漬け,3時間待ちの3分診療などと言われるように,医療の質やサービスについて国民の不満が大きい。さらに,国民は現物支給方式によって窓口で医療費を支払わないため医療はタダという意識を作り,医師は出来高払い方式によってコスト意識が働かず,医療費の増大を招いてきたことは事実であり,これからの高齢社会に対応するためにも医療の抜本的な改革が求められている。
 このような状況に対して,厚生省はもっぱら医療費対策の面から矢継ぎ早に対策をうとうとしている。すなわち,平均在院日数の“しばり”によって急性期病床と慢性期病床に分け,過剰になった一般病院の病床数を削減する。いろいろな方法によって医師数を減らす。医療費の支払い方式としてDRG・PPS(診断群別定額支払い方式)を慢性疾患だけでなく一部の急性疾患についても導入する,等々である。

日本の医療改革への危機感

 筆者の李啓充氏はアメリカに在住しながらこの動きを見て強い危機感を抱いた。改革論議に人間の顔が見えてこないのはおかしい。患者のための医療改革の視点が欠落している。たまたま筆者の母親が首都圏の某大学病院に入院して数々の信頼を裏切る医療行為を体験し,「医療の主人公は患者である」というメッセージを伝えたい。医療の根幹をなす医師患者関係の改善こそ先決である,との思いから本書の執筆を思い立ったという。
 したがって,本書のタイトルから受ける印象はアメリカのDRG/PPSや管理医療の紹介だけのように見えるが,実は違う。本書の内容は大きく3つの主題から成り立っているといえる。第1に「銭勘定」だけで医療に市場原理を導入すれば,現実の医療現場でどのようなことが起こるのか具体的に示される。第2にそれに対して医療従事者らはどのような動きを見せているのか。病院や医師はコスト削減のための経営努力を強いられる一方で,支払い側の過剰な要求に対しては,患者の権利が損なわれることがあってはならないと毅然と立ち向かっていることが紹介されている。

「人間の顔をした医療」

 第3には,筆者の一番強調したい「人間の顔をした医療」がいろいろな形で紹介されている。肺癌患者の手記,ダナ・ファーバー癌研究所における抗癌剤過剰投与事件の顛末(てんまつ),ベーブルースやテッド・ウィリアムズが癌治療の歴史に果たした役割などであるが,この中で契約社会のイメージと異なる人情味あふれるアメリカのもう1つの顔が生き生きと描かれる。「ある癌患者の手記」は,医療問題を専門とする法律家が40歳にして進行期肺癌と診断されてから死亡するまでの手記である。その中で医療従事者が彼のために泣いてくれたこと,自分自身の個人的体験を患者の状況と結びつけて話してくれたことが,どんなに孤独感を和らげてくれたか語られる。一般に,医療従事者はプロとしての冷静さを失わないために患者に共感しても共鳴してはいけないと言われる。しかし,患者と十分なコミュニケーションをはかるためには,時に感情を露わにしたり,自分の生い立ちや生活を吐露することも必要であることを示している。

めざすべき医療とは何か

 現在の医療改革案は医療の現場からの声が反映されているとはいえない。狭い病室や少ない病院職員数で医療サービスをよくすることができるのか。医者患者関係の改善にはコミュニケーションが基本であり,十分患者の話を聴いたり説明したりするためには時間が必要である。そうなれば医師の数が多いとはとてもいえない。医療費にしても厚生省は医療費抑制の必要性のみを強調しているが,GDP(国内総生産)対比でいえば先進国の中で最も低い。
 本来,質の高い医療,よいサービスを提供するには人,物,金,情報が必要である。国民に医療のありのままの情報を提供し,「国民はどんな医療を求めているのか。どこまで経済的負担をするのか」について関係者全員で検討しなければならない時である。そのために,いろいろな意味でわが国の先を歩むアメリカの経験に学ぶ点は多く,医療関係者の方々に本書を推薦したい。
A5・頁200定価(本体2,200円+税) 医学書院