医学界新聞

“成熟社会における看護学のデザイン”とは

中島紀恵子第18回日本看護科学学会長(北海道医療大学・看護福祉学部長)に聞く


 第18回日本看護科学学会学術集会が,きたる12月3-4日の両日,札幌市の厚生年金会館において開催される。今回の学会テーマは,「成熟社会における看護学のデザイン(The Design of Nursing in a Mature Society)」。
 18回目にして初めて北の地で開かれる学術集会開催を前に,会長の中島紀恵子氏(北海道医療大学・看護福祉学部長)に,開催に当たっての抱負を語っていただいた。


テーマに込めた願い

――今回の学会テーマは「成熟社会における看護学のデザイン」ということですが,このテーマにはどのような思いを込めておられますか。
中島 成熟社会とは,価値の転換やシステムの複雑化を内包しつつ,個人がそれぞれ多様な価値観で物申している時代だと思います。そうした中で,医療や看護は内省的に内側の議論を深めていくだけでなく,人々や社会とともに何を変えなければならないのか,という外側に向けた議論を意識的に示すこと,そのようなデザインを語り合う必要があるのではないかと考えています。そういった思いを込めていると考えていただければと思います。
――時あたかも,介護保険導入で世の中が騒然としている時代です。ますます看護と介護の違いや,看護とは何かという問いが内外から発せられると思いますが。
中島 ナイチンゲールには,社会に向かって看護を論じたもののほうがずっと多いですよね。看護を操作・限定的に捉えることなく,もっと広く社会的な視点から看護を捉えることが重要だと思います。
 看護と介護は同じではないかと多くの人が言ってきました。今,私も原型としては同じだと考えています。100年以上にわたる看護の歴史や知識体系を考えても当然のことです。その時代の行政支配や法律で看護があっちだこっちだと決めつけるのは,基本的に間違っています。現代社会における保健・医療・福祉の中で,看護ほど幅広い実践や知識体系を持っている職種はない,という意味をもう一度よく考えてみようということです。

テーマを具体化した3つのシンポジウム

――シンポジウムは I「文化に根ざした実践知の鉱脈―看護学をデザインするために」,II「看護における『時』」,III「看護実践から政策へのエンパワーメント」と3つの柱が立てられていますね。
中島 座長は I を中西睦子先生(神戸市立看護大)と武田宣子先生(横市大看護短大部)に,また II を野嶋佐由美先生(高知女子大)と高田早苗先生(北海道医療大)に,III を南裕子先生(兵庫県立看護大)にお願いしました。
 それぞれのテーマは,座長をお願いした先生方が,今回のメインテーマをご自分なりに深めていただいた結果だと思います。ですから,私が個々のテーマについてあれこれ講釈する立場にはないのですが,1つ言えることは皆さんが“臨床”ということを非常に大事にした結果として出てきたテーマだと理解しています。
 臨床という言葉は,現在は「地域」と「臨床」のように対句として違和感なく使われることが多くなっています。しかし,そういう分け方は本来おかしいわけで,実践知が臨床を築いているわけです。それも,日本には日本の文化に根ざした実践知があります。例えば,シンポジウムの I で今回麻生脳神経外科病院の能條多恵子さんがシンポジストに入っていますが,あのような素晴らしい看護がアメリカではたしてできたでしょうか。文化を探っていくことで,もっと広く深い鉱脈を探り当てることができるのではないかと思います。
――「看護における『時』」の“時”という問題はいかがですか。
中島 そうですね。看護過程という一連の流れの中で看護が行なわれるのが一般的になっていますが,その中で,対応する側にとって時間の密度は本来均一ではありません。『時』のタイミングを逸すると,よい看護はできないのです。実践知の場合,かなり意識的に『時』を意識していないといけないでしょうね。
――シンポジウムの III は「看護実践から政策へのエンパワーメント」ですが。
中島 介護保険の問題もそうですが,行政がますます私たち看護に大きな影響を及ぼす時代になってきました。よくも悪くもその部分を避けて通れないわけです。
 行政が吹かせる風向きひとつで看護が,ひいては私たちが相手にするクライアントが大きな影響を受けます。南風か北風かでまったく違うわけです。であるならば,私たちはできるだけよい風を吹かせる方向に行政に働きかける必要があります。それも,本当に看護実践に根ざした説得力のある言い方で,政策に反映してもらうことが必要です。
――ワークショップも2つありますね。
中島 「看護セラピー」と「成熟社会を担う市民運動:多様化する専門職との連携」です。例えば,アメリカではタッチやマッサージまでセラピーに入っています。日本でも「よもぎ療法」とかいろいろありますね。もっとこういう実践に役立つテーマを学会として取り上げるべきだろうと思います。毎年こういうものをやっていただけるといいと思いますね。もう1つは市民運動ですから,それこそ今日的テーマです。

学会テーマの背景にある大学の教育理念

――いろいろおうかがいしていますと,先生の口から度々出てくるのは「実践」という言葉ですが,これは先生の大学の教育理念である臨床重視ということにつながるような気がしますが。
中島 臨床重視というよりも,今関わっている相手を大事にするということ。関係を重視するということです。しかし,これを教育の現場で体現するのは並大抵のことではありませんね。
 私たちの学部は看護学科と医療福祉学科(医療福祉・臨床心理)が一緒になっているのですが,これに共通するのは,人間,健康,ケア,社会という4つの柱です。その共通の柱のもとにお互いの理解を深めていこうとしているわけです。ただ,そうは言っても,違う領域の人たちが「臨床」に対して共通の認識を持つのは至難のことです。しかし,福祉・心理領域をはじめヘルスケアの全領域が「臨床」という「もう1つの学問領域・実践領域がある」と考えはじめています。世間の人々も,これまでになく臨床で働いている人に非常に敬意を払っているんです。例えば一般科学研究の方法論は,ある方式に従えば誰でもこなせるようになる。でも臨床は誰にでもできるわけではないというように理解しているのではないかと思います。ならば,看護学こそ,その「しにせ」ですから。この学界全体のリーダーシップをとっていかなければ。

全国に先駆けて「臨床教授」制度を導入

――全国の看護系大学に先駆けて,北海道医療大学で臨床教授という制度を作ったこととつながりますか。
中島 21世紀医学医療懇談会で,「“臨床教授”を作って教育・研究に正統な形で参加できるしくみを考えるように」という提言がありました。看護系大学協議会ではこの検討をしているところでもあります。
 私どもの大学の考え方は,臨床教員を採用するとしても,その人を大学に連れてきて教育してもらうという意味ではありません。臨床にいるからこそ輝いている人たちですからね。
 大学で研究して立派な業績をあげることも重要ですが,臨床で立派な実践成果をあげている人,そういう人も教育指導者として対等なんだということを世間にアピールしたかったというのが第1です。それから1970(昭和45)年以降の新カリ導入以来,病院は場所だけは貸しましょう,というような事態が20年近く続いているわけです。でも,現場の人々の力量は年々高くなっておりますし,本来はこうした臨床に秀でた人にも臨床指導や教育に加わってもらったほうが有効です。
 ただ,今の時代,定員の問題などもあってなかなか難しいですね。一つひとつ乗り越えていきます。
――教育と実践の狭間で大変ご苦心していることがよくわかりました。ぜひ,今度の日本看護科学学会学術集会が,そこを少しでも埋めるきっかけになればと思います。
 学会のご成功を心からお祈りします。

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