医学界新聞

【鼎談】

精神医学の現在と今後の展望
「専門医のための精神医学」発刊によせて

鈴木二郎氏
(東邦大教授・精神医学)
西園昌久氏
(福岡大教授・精神医学)
野田文隆氏
(東京武蔵野病院・社会療法部長/
ブリティッシュ・コロンビア大臨床教授)


変貌を遂げつつある精神医学

役に立つ精神医学

西園〈司会〉精神医学が変化してきていると言われています。社会の大きな変化の中で,精神医学に問われるものも変化しつつあり,精神医学はそれに応えていかなくてはなりません。まず,現在の精神医学におけるさまざまな状況や問題点を整理していきたいと思います。
 野田先生,現在のわが国の精神医療で,今多くの関心を集めている事柄について,お考えをお話しください。
野田 私の視野から見て,近年,精神医学は「役に立つ精神医学」をめざしているのではないかと思います。医学の他の分野は主にメディカル・モデル(医療中心モデル)で動かされていますが,精神医学は生物学的,心理学的,社会的アプローチが必要とされます。最近では医療面のみならず,患者の心理学的,社会的な部分をフォローしなければ,病気そのものが改善しないという考え方が他の医学部門にも浸透し,そこで初めて精神医学の持つ手技や特徴が「役に立つ」と認知されてきているのではないかと思います。
 そのことから,医学の他の分野とほどよいリエゾンが成立しつつあるのではないかと思います。
西園 鈴木先生,この「役に立つ」という方向に精神医学に携わる人間の意識が向かっていくとなると,精神医学はどのように変化していくのでしょうか。
鈴木 現代は日本の精神医学の歴史の中で,大きい変動の時期にきています。それは2つの面で言えると思います。
 1つは精神医療のやシステムの面です。すなわち,「ノーマライゼーション」が前面に出て,リハビリテーションや患者さんの社会復帰等に意識が集中している気がします。それは非常に大事なことで,まだ日本では遅れています。
 もう1つの面は,それに対して神経科学や分子生物学の進歩によるものです。野田先生と逆になりますが,そういった進歩しつつある身体的,医学的な知識を十分に持たない精神科医も多く,逆にその面を持つ医師は社会的側面にあまり目が向かないという,不思議に二分化,分極化しているところがあると思います。それをきちんと統合化した形で,精神科医としての力量を持たなくてはいけないと思っています。これには,病院で行なわれている精神医学と大学の精神医学とが両極化しすぎている部分があるのではないでしょうか。
 最近,開業診療所の医師が増えてきて,そこから実践的で包括的な見方ができなくてはいけないと,分極化しているものが統合され,いい意味での専門医になる必要性が要請されはじめていると思います。
西園 アメリカでも,第2次世界大戦前まではそれほど精神医学の質が高かったわけではありません。これは誤解される言葉ですが,戦争が精神医学を進歩させた一面もあり,その中での苦境や体験などが精神障害を作り出していく中で,1つの精神障害のモデルとしてわかってきたことがあげられます。1950-60年代の心理主義あるいは精神分析万能主義の時代があり,それが「ブレインレス(脳のない精神医学)」と言われています。その後,生物学的精神医学が台頭して,今はその黄金時代です。一方ではそれが「マインドレス(心のない精神医学)」と反省されています。いまアメリカの中では,この両方をめぐって論争になっています。
 日本に移して考えると,患者さんの人権や1人の人間としての重さを精神医学が考えはじめていると思います。医の倫理や「医」というもの本来の意味に乗った上での生物学,心理学,社会学であることが,改めて築かなくてはならない状況になっているのです。
鈴木 精神医学が本来持つべきであったものが,いままであまり実現されませんでした。狭い意味の精神疾患だけに目が向けられてきました。人間の存在を基本的にきちんと見ることは,本来精神科の特徴だと思いますが,円満に進んできてはいません。その点を修正するために,精神科医としてあるべき姿を示すためにも,認定医や専門医があったほうがよいと思います。

医学教育の問題点

西園 いま,医学そのものも変わりつつあります。ただ診断ができればいいという段階ではなく,面接やインタビューができ,治療者・患者関係を持たなければ医療そのものが成り立たないという温かい関係が医師に求められています。一方,欧米ではこれらを学問として教育されています。
 先日,医学教育振興財団が指導者フォーラムを開催し,招待したバーミンガムの先生から伺ったのですが,イギリスの医学部は5年制ですね。1年時に行動科学を,2年で面接の講義を,3-4年でロールプレイをするそうです。その間に患者さんとの面接を実際に行ないます。5年時には他の職種とのコミュニケーションの訓練があります。そういうことでチーム医療がきちんとできるのですね。一般医のための教育であって,これは何も精神科医になるためのトレーニングではありません。
 日本でもコミュニケーション技術の教育が広がってきています。本来はその専門が精神科医です。その点で,医学教育の中にも精神科医への期待があると思いますね。
鈴木 精神医学は非常に広い裾野を持っていて,他の医学とすべてつながっている面があります。しかし,医学だけでなく,一般社会の中にも種々の問題に精神医学は直面しているのに反して,いままで精神科医は異常な現象だけに目を向けてきました。もうそういう時代でなく,一般社会の中に精神科医が溶け込むためには,先生がおっしゃるように,行動科学あるいはチーム医療などの教育を早くから取り入れていく必要がありますね。

教育が偏見を生んだ時代

西園 日本の精神医学が誤解されている点は,1つは精神病に対する偏見と重なっていると思います。
 昔私たちが受けた臨床講義では,患者さんに来ていただくのですが,そこでは患者さんの異常性が強調されてきました。ですから医師の中に自然に「精神障害は異常なものだ」という偏見を植えつけてしまった歴史がありました。
 しかし,現在は病棟実習の中で,2週間前に診たうつ病の患者さんが看護婦のケアによって1週間目には微笑みを回復するとか,家族との間に大変よい関係ができて外出や外泊が可能になるなど,治療者あるいは家族と患者との関係がいかに大事かを経験するようになってきています。いままでそういう点が医学教育の中で欠けていたのではないでしょうか。
鈴木 私どもの大学では4年時に2週間の実習がありますが,病棟は鍵がかかるものですから,学生たちは最初は恐るおそる入ってきます。しかし,次の日には患者さんと話ができますし,急性の症状の人たちはごくわずかで,しかもその方たちが治ってきたら同じ人間だと気がついてくれますね。
 しかし,医学生の親御さんの中には,「精神科になんか行くな」と偏見をお持ちの方もいますが,これからは,精神科の患者さんに偏見を持たない新しい世代の医師が育ってきて,われわれが考えるより早く,このような偏見が変わってくるだろうと思います。
野田 わが国の精神科に長くあった土壌が,病気そのものの偏奇した概念を植えつけてきたとも思います。いまはそれも変わり,治療の手法そのものも非常にわかりやすくなっています。ですから,他科の先生からも理解されやすい分野になると思いますね。

日本の精神医学の新しい展開

患者の人権を守るということ

西園 いま日本でも,精神保健福祉法改正やノーマライゼーションなど,患者さんの人権を大事にする動きが急速に進んでいます。現在,医療の現場よりも法律のほうが先へ進んでいるとも言えますね。
鈴木 精神保健福祉法は改正される方向で動いていますが,現行法には,人権尊重が基本にあると言いながら,「人権」という言葉はどこにも出てきません。それを改めて入れなければいけないという点から始まります。しかし,患者さんの自己責任をもっと表に出す形にしようとする動きも強く出ています。そうなると,患者さんが自分で責任を持ち,自己決定が要請されてくると思います。しかし現段階では,患者さんは保護されているとは言えない状況で自己決定を迫る形になるので,多少の混乱が生じる可能性があります。
西園 患者の自己責任や自己決定権を尊重するのは,新しい認識だと思います。そうであるほど精神医療に携る人間は,障害者の人間性を徹底的に受け入れ尊重する謙虚な態度がないと,患者への自己責任を問えないでしょう。出会った時から1人の人間として見る態度を身につけなくてはいけないと思います。
野田 要するに,患者さんを普通のヒューマン・モデルとして捉えて,そこに疾病や障害が乗っていると考えれば,特異なアプローチはしなくても,普通のアプローチをしながら他のメディカルな考え方を延長していけばできるのではないかということですね。

生物学的精神医学の発展

西園 患者さんとの関係を作るのに,生物学的精神医学の進歩が大きな貢献をしていると思います。興奮や幻聴,妄想などに対して薬を適切に使えば,そういう心理状態から解放される事実があります。落ち込んで絶望的になっている人が,抗うつ剤でまた人生に希望を持ち始めたり,分裂病で陰性症状のある人も,薬によって元気が出てくるという具合になります。
鈴木 西園先生が以前からおっしゃっている「Pharmaco-psycotherapy」が奏効していると思います。分裂病の急性症状や躁うつ病の躁状態,うつ状態を非常に早い段階であるレベルに治めることは可能になっていますね。
 しかし,最後のところはなかなかうまくいかなくて,難治性うつ病や,ラピッドサイクラーを作ることになってしまい,そこに問題が集中しています。急性症状の処理の次に,現在では「OCD(強迫性障害)」や「パニックアタック」といわれるものの治療に目が向けられ,それに対して生物学的精神医学に何ができるのかという方向に進んでいます。今回のCINP(国際神経精神薬理学会議)でもずいぶん演題が出ていました。
 その1例として強迫性障害は,ある程度の遺伝的なベースがあること,難治性うつ病と強迫性障害が,ある意味でいちばん基底のところでは共通したものがある,また,セロトニン系の抗うつ薬を大量に使うことで,OCDの治療ができるのではないかとも言われ始めています。
西園 精神科医は薬剤に関して専門家でないといけません。加えて新しい学問に対する感受性がないと,精神医学が何か特別と思われる歴史を変えることはできにくいと思います。その点でいい方向に進んでいるとは思いますね。

社会的治療の効果

西園 薬剤の発達に加えてもう1つ,心理的働きかけや社会的な治療が発達してきています。社会的治療がどのように進み,また何が問題になっているのかを野田先生,お話しくださいますか。
野田 薬物療法と精神療法は,いままでは1つの大きな峰だったと思います。薬物療法や精神療法に関してはきちっとしたプロトコールもあり,トレーニングの方法もあります。
 ところが社会療法は,「何かやればいいだろう」という感じだったと思います。しかしここ10年ぐらいで,社会療法そのものが非常に発展してきました。この療法も舞台の中央に迫りつつあると思います。
 例えば,薬物と社会療法のコンビネーションでとてもいい予後を引き出せる,分裂病の治療に,家族に働きかけることによって薬物量を減らすことができるなど,さまざまな知見が出ています。特徴的なのは,社会療法の技法が細やかになってきたことと,ある社会療法と別のものとをインテグレイトして行なう手技が進んできたことによって,薬の効果も非常に上がり,用量も減らすことができ,よい相補作用が起こっていると思います。
西園 そうしますと,SST(Social Skills Training;社会生活技能訓練)も心理教育もとなると,とても1人の医師ですべてをカバーしきれませんね。それと患者さんも,集団治療や集団活動を行なうことがより効果的な場合もあるわけでしょう。
野田 よくチーム医療と言われていますが,それは倫理的側面が強調されています。むしろ,チームで行なわないと治療的な効果が上がらないという結果が出ていますので,そういう視点でのチーム医療を取り入れるべきだと思います。ですから,1人の医師だけではできない仕事が,コメディカルと医師などのチームを有機的に組むことではじめて成就できるというのがチームの概念です。

精神科クリニックの台頭

西園 最近,精神科クリニックが広まっていますね。10年ぐらい前は全国で200もなかったのが,いまは1500を越えて,精神病院の数よりはクリニックの数が多くなり,また増え続けています。
 クリニックに通う患者さんたちの中では,慢性分裂病の方も多いと思いますが,彼らに2週間に1回,1か月に1回と薬を渡すだけであれば,患者さんが本当に社会復帰するのに,問題がありはしないでしょうか。同時に社会治療あるいはグループ治療,家族治療などを行なわなくては,幻覚や妄想は再発しなくても,陰性症状はずっと続くというケースがないだろうかと心配もしています。
野田 そうですね。外来クリニックが増えてきて,病気の機能分化が進んだのではないかと思います。精神科の中でサブ・ディビジョンのように,外来クリニックが機能分化を受け持っているのではないですか。おそらく外来クリニックに行く人は,わりと神経症的な人や軽いうつ病,安定した分裂病の人ですので,私の印象として,外来クリニックでは持ちきれない人は病院に送られてくるという,なんとなく融通無碍な機能分化ができていると思います。
 ただ,西園先生がおっしゃったように,統合的な包括的なリハビリテーションを行なう時に,クリニックだけでは不足な部分はあると思います。地域ないしは病院のどこかで,リハビリテーションに対してインテンシブに関わる施設や組織を立ちあげることが必要ではないでしょうか。
西園 東京など大都市はとても進んでいますが,地方にいくとそうではありません。台湾の葉先生の疫学調査で,都会のほうが治りやすいという結果が出たそうです。それだけ社会資源が用意されているということでしょう。その点は今後,精神科医が考えて,いろいろな社会資源を都会ではないところでも活用できるネットワークを作ることが望まれますね。

社会が精神医学に求めるもの

西園 市民の方々が精神科医に求めていることで,さまざまな問題が起こっているのは,具体的にはどのような傾向がありますか。
鈴木 私どもの大学病院も大都会に属しますが,本当にさまざまな人が来ます。日常の生活,人生の問題などの解決の相談にきます。例えば,若い方が「恋人とうまくいかなくて落込んでしまったから相談に来た」と外来に来ます。そういう方々が求めるのは,「カウンセリングを受けたい」。つまり,自分の生き方に関してサジェスチョンを貰いたいのです。昔でしたらお寺や教会に行くと思いますが,それを精神科医に求めていることがあると思います。
 それから,慢性化した精神分裂病の患者さんで,家族と一緒に来て「これからの生き方についてカウンセリングを受けたい」と言います。「お薬はどこかで貰うから,先生のところでカウンセリングを受けたい」。またその逆もあります。
 われわれは「精神科医というのは両方を行なうことになっているので,時間があればカウンセリングしましょう」としています。しかし一般のクリニックだと,なかなか時間が取れない場合も多いでしょう。ですから,クリニック自体が包括的なことができなくてはいけません。

多文化間精神医学

西園 新しいニーズとして,在日外国人あるいは海外在住邦人への精神医学,精神医療サービスがありますが,その特徴を野田先生からお話しください。
野田 外国人が日本の人口の1%を越え,日本は単一民族といえなくなり,非常に多文化的になってきました。それだけに精神医学の手法が単一文化的な方法論だけではもう立ち行かなくなってきました。さまざまな文化を理解していないと,患者さんを診ることができないし,また逆に,この試みを通じて日本人の多文化への理解も進んでいくのではないかと思います。
 一方で,日本から海外へ出ていく人口が圧倒的に多くなっています。海外で多くの日本人が日の丸を背負いながら問題を起こしているわけです。海外に出る日本人が文化的な衝突を起こして,そこで生じる問題は,精神医学がカバーしなくてはいけない大きな分野だと思います。
 いわゆる“Cross-culture(transcultural)psychiatry(多文化間精神医学)”は,まだ精神医学の傍流と見られていますが,これまでのメインストリームの精神医学とリエゾンさせながら,幅広くいろいろなエスニックな人たちに対応できるようにしなくてはいけません。これは正しい精神医学のニーズだろうと思います。

誰が精神医療を行なうか

西園 現在は医師過剰時代と言われ,いかにして医師を減らそうかという議論があります。ところが,精神科クリニックは「1日患者さんをどれぐらい診療するとペイする?」と聞くと,「20数名」と言いますね。実際は30-40人の患者さんを診ているクリニックがあります。一般の人が持つ精神科のイメージからすると,ずいぶん遠いところですね。
鈴木 私は,未来永劫精神科医が過剰になることはないと思います。
 それは市中のクリニックの問題もありますし,またどこも精神科の常勤医が不足しています。200-300人の患者さんを抱えているところでも,常勤医は院長と他にもう1-2人ぐらいです。一般科の病院と同じレベルの医師の数を揃えようとすると,現在の精神科医の補給状況では,間に合いません。
西園 これは,それだけ患者さんが増えたのと,患者さんの要求水準が高くなったからだと思います。以前は薬だけで治療していたのが,それでは患者さんは満足しなくなって,心理社会的な理解を求めてくるようになったことがあげられます。
 それと同時に,精神医学的な問題を,何もかも精神科医だけではカバーしきれません。心理学者に協力を求めて,われわれの領域に看護婦やPSW(精神科ソーシャルワーカー)に仲間に加わってもらうことも必要でしょう。

一般診療科の中の精神医学的問題

西園 一般診療科の中での精神医学的問題,あるいは心理的問題にどう対応していくかという問題があると思います。
 鈴木先生は,大学附属の総合病院の中の精神科におられますが,総合病院の中には「リエゾン精神医学」と言われる分野がずいぶん出てきていますね。例えば産婦人科だと産後のうつ病やマターナルブルーの方が,あるいは臓器移植後の精神保健の問題や癌のターミナルケアの対応を求められると思いますが,その点はいかがですか。
鈴木 先生がおっしゃるように,大学病院とはそういうことがいちばん求められる場所です。いろいろ問題はありますが,われわれはリエゾン精神医学を協調して行なわなくてはいけません。
 私たちのところで,いま問題になっているのは腎センターです。当院では,腎センターが非常にアクティブに活動しており,腎移植等を積極的に行なっています。あらかじめ腎移植の予定の方には,外部から招いている講師を中心にして,手術前に家族・本人とのインタビューを,また移植後のケアは教室の者が対応しています。
 それから慢性的に腎透析を受けている方にも,非常に大きい問題がありますね。腎センターの方々も,「自分たちは手術や透析はできるけれど,それ以上のケアは精神科でなくてはできない」ということでお手伝いしています。
 私自身,癌のターミナルケアまでやりたいですし,本来はそこまで携わるべきと要請されていますが,まだ十分対応できていないのを反省しています。それは必要なことになっていくと思いますね。
西園 精神科医が加わると,他の科の先生たちが診療しやすくなる,とよく言われますが,それは確かにあるということですね。
 総合病院内に精神科があると,入院患者さんの入院日数が減り,医療経済的にも総合病院に精神科を設けたほうが有利である,という総合病院に勤務する精神科医の研究データも出ています。
 それは何も総合病院に限ったことでなく,通常の精神病院やコミュニティ・クリニックにもそのようなニーズがありますので,うまくネットワークできるといいと思います。

質の高い精神医学を提供するために

精神医学教育に必要なもの

西園 家族制度が大家族から核家族に,さらには単一家族になって,家族のサポートがだんだん減少してくるとなれば,さまざまな精神医学的問題が増えてくると思います。そして,それに応じて,学問も進歩し,期待される精神科医の数も多くなりましたが,今後はどのように質を確保して,高めていくかが課題です。
 野田先生がバンクーバーのブリティッシュコロンビアにいらした時,私にある患者さんを紹介されたことがあり,その時の先生の添書を見て,私は感激しました。すぐ教室員にそれを見せて,「日本人が外国に行って,こんなにいい勉強ができているよ」と言いました(笑)。
野田 過分にすぎるお褒めの言葉と思いますが,私がカナダでトレーニングを受けていて,いちばん辛くて苦しかったのは,「きちんとしたアセスメントをして,自分の診断に責任を持って,それを誰に見せても恥ずかしくないことをやれ」ということでした。例えば退院サマリー1つにしても,よくないとスーパーバイザーがサインしてくれません。つまり,「弟子の恥は指導者の恥」という判断です。また,北米社会は常に書類が回りますが,そうすると自分で書いたものに責任を持たなくてはいけません。そういう形で,書いたものにしっかり内容を書き入れるトレーニングを受けました。それは自分にとって最も役に立ったと思います。
 いま論議されているように,いろいろなカリキュラムをこなすことや,幅広くいろいろなものを見ることはとても大事ですが,自分のアセスメントそのものの力をつけるためのスーパービジョン(監督し,指導することで,ここでは上級医師の1対1の指導を受けること)はさらに大切なのではないかなと思います。
西園 スーパーバイザーの質が大事ということですか。そういう方は日本にもたくさんいらっしゃるので,いかに彼らを動員するか,後輩に対しての教育熱を引き出すかということでしょう。
野田 日本でも,在野に優れた人がたくさんいると思います。例えば大学の中のスタッフだけをスーパーバイザーにするのではなく,大学から離れたいろいろな人たちを繰り込んでいくとよいと思います。そのような人たちは北米では「クリニカルプロフェッサー」(臨床教授)という,1つの称号が与えられます。そして,その見返りに教育に責任を持つというシステムをとっています。ですから,アカデミックなスタッフだけでなく,クリニカルなスタッフがたくさんいます。それがいいスーパービジョンが与えられている1つの大きな要素ではないかと思います。
西園 わが国でも,私も加わっている文部省「21世紀医学医療懇談会」の中で,臨床教授制を導入しようと提案されています。卒前の段階から臨床教育を行なうことが必要だということです。
 大学にきていただくのもよいけれど,学生も外に出して,実際の診療の場で教えてもらおうと提言しています。
野田 それは,よい教育を受けるチャンスになると思います。

精神医学の「専門医」

西園 16-17年前に,「大学精神医学講座担当者会議」を結成して,毎年1回集まっています。そこでは精神科の主任教授が教育と研究,特に卒前・卒後教育を共通の問題としてディスカッションしています。
 精神医学の卒後教育について,わが国には多くの問題があります。また,他の学会には学会認定医制度がありますが,決して法律や制度として日本の医療の中に位置づけられているわけではありません。認定医を持ったからといって,法律的に保障されたり,経済的に有利な点があるといった点はなく,学会の良心として設置しているのですが,精神科の場合はなかなか条件が整わず,専門医制度は導入されていません。
 しかし,医師免許を取得した直後の医師の80%が何らかの形で大学と関係を持って臨床研修を始めている現実があります。制度が整わないからと,それをそのままにしておくわけにはいきません。制度的なことは,ある時期から学会が認定医制度に取り組み始めたため,それを見守りながら,その中身を考えようということになり,本書『専門医のための精神医学』の編集の4人の先生が集まって,このような形となったわけです。
 書名に「専門医」という言葉を使っていますが,先ほども言いましたように,わが国には精神科専門医という制度はありません。しかし,精神医学についてのさまざまなニーズや学問の進歩を考えると,精神医学の専門性を身につけることが求められることから,そのレベルを身につけるための精神医学の教科書としました。
鈴木 西園先生はいつも「精神医学のレベルを上げたい」というお気持ちをお持ちですね。認定医の問題もずっと主張されて,学会でも認定医のことを来年の総会で議論しようと思っています。本書はそのもう1つ先の段階になるべきものですね。
 この本の中で先生が,「精神医学が変わりつつある」と最初に書かれているように,精神医学はまさに変貌しつつあり,そのあたりが現代的にきちんと書かれていると思いました。

社会と積極的に関わる精神医学の構築

西園 鈴木先生は日本精神神経学会の理事長をなさっていますが,日本において認定医の問題をどういう形で進めていくのか,あるいは,いかにして質の高い精神科医を創り出していくのかの問題について,いかがお考えですか。
鈴木 まさに学会が中心になると思います。日本精神神経学会は,医学会の基礎科目といわれる学会のうちで唯一,学会認定医を持っていません。それでは精神科医のレベルが疑われることもありますので,実施したいと動き始めています。
 認定医という名前が先行したために,いろいろな反発もありました。そうではなくて,卒後研修をきちんと行なうことを目的としたものにしたいと考えています。それは西園先生がずいぶん前からおっしゃっていることですが,大学の中だけではなく,いろいろな施設や社会資源を利用し,広く研修の場を結集した形の制度を作ろうと考えています。その上で「その研修を終えた人は認定医である」としたいと思います。来年の総会にはその成案を出したいと思っております。
西園 私はアメリカ,イギリス,ヨーロッパ連合,オーストラリア,ニュージーランド,韓国,台湾などの精神医学卒後教育について調査して,わが国の場合と比較したものを,「精神医学」(医学書院発行)の「展望」欄に投稿しました。
 アメリカの場合は市民,つまり医療の消費者側が医師の卒後教育を要求します。質の高い医師でないとお金は払わない,ということで卒後教育が始まっています。イギリスも同様で,オーストラリア,ニュージーランドなどもそうですね。韓国や台湾も多くの人がアメリカで勉強し,そこで働きたいと望む人もいますから,どうしても質の高いものを狙うのだろうと思います。
 日本の場合は,そういう目に見えた形でのプレッシャーが起きてこないですね。
 「護送船団方式」という言葉がありますが,「医師免許を持っていればプロフェッショナル・フリーダム」という時代がずっと続いています。患者さんは「あの先生は腕がいい」と思っていても,それは幻想かもしれないということはあっても,要求はしません。しかし今後,いろいろな関連団体や組織のグローバリゼーションの中で,「質の国際比較」が当然起きてくるのではないでしょうか。
鈴木 日本では,他国に比べ市民からの要求が少ないのは事実です。しかし学会の理事長になってみて,日本の精神医学そのもの,あるいは世界の精神医学も,時代や社会から変化を要求されているように感じています。
 1つには,例えば去年からあげられている性同一性障害の問題について,精神医学はどう考えるかが明らかに要求されています。また成年後見制度で,いままでの禁治産者,準禁治産者といった二分法ではなく,三分法になっていく時に,精神障害をどう含むかも問題です。超高齢社会の中で,痴呆の人たちをどう扱うのかという問題に対して,社会から回答を要求されていますが,精神科医はそれに対して十分な答えを持っていないのですね。精神科医は,社会に関わっているようで関わっていなかったのです。しかし,社会に否応なしに関わることが求められて,しかもそれは高度な専門性が要求される問題だと思います。
 私は最近,「学会だけでなく,精神科医全体が揺さぶられていますよ」とよく人に話していますが,それに対応するには患者のこと,一般社会のことも知らなくてはいけません。つまり,子どものいじめや不登校にしても,精神科医が声を出すことが少ないのです。私たちがきちんと答えを出さなくてはいけない。社会に対してもっと積極的に答えを出す力を持ちたいと思っています。
西園 それは冒頭に出た「役に立つ精神医学」の方向に共通すると思います。そのためにもこの『専門医のための精神医学』を1つのガイドラインとしていただきたいですね。本書で「精神科医はこの程度ぐらい身につける」というガイドラインを示せたのではないかと思います。
 本日はありがとうございました。(了)