医学界新聞

 シドニー発 最新看護便
 オーストラリアでの高齢者対策[第7回]

 移民・高齢者・痴呆症3つの壁を越えて

 瀬間あずさ(Nichigo Health Resources)


 オーストラリアが移民の国であることは,誰もが周知のことであろう。
 特に,戦後の1950年代と60年代の資本主義が拡大される時期にあたっては,多くの移民を必要とした。その中には,非英語圏の人々も含まれていた。当初,移民たちは「The Notion of Assimilation」として,アングロサクソンのオーストラリア文化に融合するよう奨励された。その後,「The Notion of Integration」として移民たちは現地人として統合するよう薦められ,そして1970年代半ばより,「Multiculturalism:多文化主義」がうたわれはじめた。
 これにより,移民たちはそれぞれの文化を維持する権利があり,それを国が奨励していこうという方向になっていった。かつて,移民へのサービスは慈善団体が主に提供していたが,この政策の変更により連邦政府,州政府レベルでの,移民たちによる移民たちのための福祉サービスに改善されていった。保健分野における通訳サービスや,新たな移民への健康プログラムなども整備され,特に通訳サービスは,非英語圏出身の移民たちが保健サービスへアクセスするための戦略として整えられた。
 結果として非英語圏出身の患者は,NSW州の公立病院に入院すると,無料で通訳サービスを受けることができるようになった。

コミュニティビジター計画

 非英語圏出身の移民で,高齢者であり,そして痴呆症を呈している場合,3つの壁を乗り越えていかねばならない。そんな彼らは,社会の中では弱者=少数派(マイノリティ)としてとらえられるだろう。オーストラリア連邦政府はそうした人たちに対しても,何かしらのシステムづくりに取り組んでいる。その1つにコミュニティビジター事業計画があげられる。この計画は,高齢者ケア施設の入所者,その中でも家族や社会と接触を断たれ,障害または社会文化的理由から一般のコミュニティより孤立してしまう危険に立たされている人々の生活の質の向上を目的としている。
 1人のボランティアが1人のお年寄りを定期的に訪問し,孤立した入所者を援助しようとするこの試みは,1990年クイーンズランド州と南オーストラリア州で開始された。そして,その効果が認められ各州に広がっていった。連邦政府の保健家族サービス省が財政的な援助を行ない,実際の運営は地域を基盤とした組織,例えば赤十字社や慈善団体などが実施している。現在,全国には170の組織が形成され,5500人以上のビジターがボランティアとして活躍している。

ビジター計画の効果

 シドニー組織のコーディネーターであるベロニカに話を聞いた。彼女は,「少なくとも,この10年間で移民高齢者に対するケアは格段と向上した」と語り,このプログラムの効果を説明してくれた。
 彼女は,現在120名近くのボランティアのコーディネートを行なっている。ボランティアの年代層は,55歳以上の定年者が70%ぐらいを占めるが,中には最年少の17歳のポーランド系の学生さんも含まれている。彼女は祖母を最近亡くし,ポーランド系のお年寄りとコミュニケートしたくてこのプログラムに参加するようになった。その他のボランティアの動機としては,(1)定年後,社会に貢献したい,(2)宗教的理由により,(3)英語の上達のため,(4)就職活動の一環としてなどがあげられる。
 訪問を受けるお年寄りにとって,自分と意見の合わない見知らぬ人に,2週間に1度訪問されたのではたまったものではない。そこでボランティアとお年寄りがミーティング(面談)を行ない,両者の合意の上でコミュニティビジターの訪問が開始される。ボランティアに対しては,あくまでもボランティアとの理由から報酬は支払われないが,ガソリン代の一部や傷害保険費用は政府が支払っている。
 ベロニカによれば,一般人の中には,まだまだ家族をナーシングホームに送ることを他の人に知られたくない人も多く,またボランティアとしてナーシングホームを訪問することにも抵抗があるそうだ。「家族をナーシングホームに送ることも,ボランティアとして訪問することも,問題のないことなんだ」と市民に啓蒙していくことも,彼女の役割の1つであるそうだ。

施設にいる日本人高齢者

 現在シドニー中心部の高齢者ケア施設に2人の日本人が入所されている。そのうちの1人は,今年100歳を迎えた。施設内で「グランマ」と呼ばれている彼女は,かつてどの程度英語が話せたのかがわからないが,現在はスタッフと英語でコミュニケーションをとることはできない。ただ,痴呆症を呈していても,日本語で話かけると反応がある。これまで述べてきたように,彼女に対しても,家族の許可を得てからだが,日本人のコミュニティビジターが定期的に派遣され,彼女を訪れるようになるだろう。
 100歳になっても,そして痴呆症で言語的コミュニケーションが取れなくとも,飄々と日々を送っているグランマをみていると,人間のたくましさに脱帽してしまう。また,「自分の老後もそんなに悪いものではないだろう」という気さえしてくる。
 現在は英語を話せても,将来,年をとり,痴呆症を呈し,日本語だけに反応するようになるかもしれないが,それでも「この国では誰かが手をさしのべてくれる」という安心感は,私の中に少なからずある。