医学界新聞

 ミシガン発最新看護便「いまアメリカで」

 優しさの中にみる看護の原点(1)
 酒と紫煙と張先生 [第5回]

 余 善愛 (Associate Professor, Univ. of Michigan School of Nursing)


 今回は,これまでとは少し形を変えて,私的な要素を交えながら,このミシガン大学の街について述べてみたいと思います。

飄々とした存在感

 尊敬する張知夫先生が亡くなられて1年が過ぎました。クラシック音楽を心から愛しておられた先生の突然の死を知ったのは,初めてのウィーン出張から帰ってきてすぐだったように思います。亡くなられたことを,知り合いの方々や家族から知らされてもしばらくはピンときませんでした。
 生前から,張先生は神出鬼没なところがあり,その存在感が先生の物理的肉体とは何の関係もないところにあったのは,張先生を知る人にはわかっていただけると思います。先生の死を学部内の同僚にE-mailで伝えた時は「ずいぶん時間もたっているから,覚えている人も少ないだろう」と思っていたのですが,多くの方が懐かしさを込めて先生の思い出を語ってくれたのには,私のほうが驚きました。そのせいかどうか,未だに先生はアンアーバーのあちらこちらに居られるような気がします。
 張先生がアンアーバーを訪れたのは1992年の秋でした。大阪府立看護短大の学長をしておられた先生は,ミシガン大学の客員教授として2週間滞在されたのですが,先生はその飄々とした存在感を多くの人々の心に植えつけました。先生の興味は人に会うことでした。建物やコンピュータシステムにはあまり興味を示さず,アメリカでも十指に数えられる大学病院の中を見学されても,気がつくと隅っこのほうで,そこで実習していた看護学生を見つけて楽しそうに話し込んでおられました。もちろん,先生は建物や器械を見せて説明してくれる方々に対しては,感心した様子を熱心に装って眺めてはおられましたが……。
 先生はまた,「図書館の機能にも関心を持っている」と公式には表明しておられましたが,いきつくところは,なかなか魅力的であった医学図書館の司書の方と知り合いになることでした。それから,古典音楽に対する深い憧憬もあって,「ミシガン大学の音楽部も訪問したい」と希望され,音楽部の教授と会われた後は,音楽部の学生が公演していたオペラに私も連れていってくださいました。ところが,なんと先生は,その後もう1度劇場に戻って楽屋に忍び込み,出演者である学生と話し込み,「彼等と写真をとって来た」と,翌日の夕方,私に嬉しそうに報告したのでした。

スモーカーであるがゆえに

 張先生はそのタバコ好きがゆえ,アメリカの奇習「ノースモーキング」にかなりうんざりされていました。こちらの喫煙人が,晩秋の肌寒いアンアーバーで,建物の外で寒そうに肩をすぼめながらそそくさとタバコを吸っては中に飛び込んでいくのを,悲しそうな目でみておられました。しかし,批判がましいことは一切おっしゃいません。唯一,先生がミシガン滞在の印象を書かれた文章の中で,看護学部でただ1人喫煙人である博士課程の部長であるK博士の部屋に会いに行かれた時のことを,「そこに灰皿はなかった」と一文書いているだけです。ミシガン大学は当時,大学の建物(公共の建物)の中でタバコを吸うことを禁止していましたから,自分のオフィスに灰皿を置くことも禁止されていたのです。「当時」などというと,いまはどうかと思われるかもしれません。今はもっと厳しくなり,公共の敷地内でタバコを吸うことを禁じています。ですから,1992年頃は,K博士は建物のドアのすぐ外で吸うことができたのですが,今は前庭を通って道の反対側,つまり誰かの私有地に行って吸わなければならなくなったのです。

新たに加えられたバーマップ

 張先生はまたお酒を大変に楽しまれました。お酒に対して未開人である私は,先生の滞在に先立って作った毎日のアイテネラリーの1日の最後に,「一杯飲む」という儀式を入れるのをすっかり忘れていました(実は思いもつきもしませんでした)。
 最初の数日間,私がそれと悟るまで,先生はそれを言い出すのに苦労されたようで,食事の後,私が帰りの車のほうにバタバタッと走って行こうとするのを,「こっちからちょっと歩いてみましょうよ。ねっ,余さん」などと誘います。そして,お酒のありそうなところの前を通ると(これがアンアーバーでは,そんなに簡単には起こらないことなのですが),「あっ,余さん。ちょっとここに寄って行きましょうか」,とこれまた大変に優しい,しかも一切批判的でない言い回しで提言されるのです。
 さすがに未開人である私もようやく気がつき,急遽周りの人たちに,アンアーバーのどこにバーがあるのかを聞いて廻り,地図に書き込んでは夕食の後,手近な距離にバーらしきものがあるように,アイテネラリーに手直しを加えました。先生のおかげで,私もアンアーバーのバーを経験することができました。

この項つづく

※張知夫先生:大阪府立看護短大学長(1988-93年),仏教大教授(1994-97年),1997年5月急逝(合掌)。