医学界新聞

 連載
 ものの見方・考え方と看護実践(4)

 気の概念

 手島 恵 ミネソタ大学大学院博士課程


 今回からは,これまでの連載で述べてきたものの見方が実践とどのようにかかわりがあるのかについて述べていきたい。
 1991年の夏に,アメリカの全国看護連盟(NLN)の関係者の方が私用で東京に滞在され,昼食をともにする機会があった。その席で,彼女は日本の伝統的療法が看護教育のカリキュラムにどのように反映されているか質問されたが,その場で即答できた人はいなかった。この質問は私にとってとても刺激的であったし,1993年に渡米してからはなぜ彼女がそういう質問をしたのか少しわかったような気がした。

ホリスティックな看護実践

 図書館で文献を検索していると,「按摩」「指圧」「霊気」「茶道」というような,日本の伝統的な療法や技が疼痛,不安,ストレス管理へのホリスティックな看護実践の手段としてアメリカで研究・報告されていることに驚かされた。そもそも私が渡米したのは,「手のマッサージが痴呆老人の興奮行動を緩和するのに効果があるか」という研究に共同研究者として携わるのが目的だった。研究自体は私が参加した時点で既に計画されていたが,それを東洋的観点から考えてみると,手には全身を反映した“つぼ”があるのでそれを柔らかくマッサージすることは,興奮行動があるために全身をマッサージして緊張緩和を促すことが不可能な人に効果的なのではないだろうか,という私の意見は他の研究者たちの興味を刺激することになった。
 大学院生として3年間で選択した看護理論に関する6つのコースの中で,看護の概念枠組みを作るコースでは気の概念モデル」を試作したが,創造性の刺激という点からとてもおもしろかった。創造性が重要視され,囚われのない発想が尊重される雰囲気の中で自由に学ぶことができたのは学生として恵まれていたと思う。
 日本にいた時の私は,舶来崇拝主義ともいえるような,自国の文化よりも他の国で開発・発展された知識や技術に興味を抱いていた。しかし,外からアジアや日本を見てみることは,アメリカの人たちが興味を抱いているような東洋的な思想や文化を欧米文化と対比させ明確にする機会になった。また,難民としてアメリカに渡ってきたアジアの人々が自国の伝統を持ち込み,それらの養生法にアメリカの人々が強い興味を示すというような状況も目の当たりにした。

気の概念

 このような刺激的環境の中で,私が興味を抱いたのは「気」という概念である。医療専門職は健康の概念について強い関心を抱いているが,日本では手紙や日常の挨拶も含め人々は「元気」かどうかを実際には気遣うことが多い。元気とはどういうことなのだろうか。「心やからだの活動のもととなると考えられる力」と辞書には定義されている。元気を失った状態,病気とは「気」が病むと書く。三省堂国語辞典第4版を見てみると「気」で始まる表現は88あり,辞書の中で最もスペースを占めていた。このことからも,「気」という言葉が私たちの文化に密接にかかわりがあるといえよう。
 西洋では心―身体という二分化したものの見方が伝統的科学の中で首座を占めてきたが,東洋では心と身体は常に一体不可分のものとしてとらえられてきた。湯浅泰雄氏(桜美林大名誉教授)は,「気」を心と身体を1つに結びつけている生命体に特有なエネルギーとして定義している。また,雰囲気というような用法にみられるように,気は全体から感じられる様子をあらわす言葉としても辞書に定義されている。
 この気の概念は,非還元的な全体性の観点からの,ホリスティックな実践を導く看護理論としてよく用いられているマーサ・ロジャーズの言っているエネルギーの場の概念ときわめて近い。
 次回はこのようなものの見方にかかわる実践が,アメリカの中でどのように位置づけられているかについて述べたい。

(つづく)