医学界新聞

第48回日本病院学会が開催される


 さる6月18-19日の2日間,京都市の国立京都国際会館にて第48回日本病院学会が開催された。
 武田隆男学会長(武田総合病院会長)は,メインテーマに「今世紀医療をふりかえる-次世紀への飛翔のために」を掲げ,「疾病構造の変化,医学医療の高度化,社会の高齢化,福祉社会への要望,新しい倫理的問題の出現,医療費の増大など,病院を取り巻く情勢が大きく変貌しつつある今日,今世紀医療の功罪を明らかにするとともに次世紀に向けての展望を模索したい」とそのねらいを述べた。
 演題には,学会長講演の他,5題の特別講演,3題のシンポジウム,1題の国際シンポジウム,多数の一般演題が企画され,多角的に今日の医療を検証するものとなった。


「今世紀医療をふりかえる-次世紀への飛翔のために」

 シンポジウム「今世紀医療をふりかえる」(座長=京府医大名誉教授 橋本勇氏)では,西村周三氏(京大教授)が「戦後日本の医療制度」について医療経済学の立場から口演。以下のように,医療費から見た時代区分を設定し,今日に至る医療制度の歴史的問題点を整理した。
第1期(1945-60年)
・自由開業医制
・医薬分業をめぐる紛争
・診療報酬をめぐる紛争(制限診療と規格診療)
第2期(1961-72年)
・国民皆保険実現と超過需要の発生
・民間主導による供給体制
第3期(1973-82年)
・老人医療費の無料化
・保険給付の拡大
・公共料金としての診療報酬
第4期(1983年-現在)
・医療費の抑制政策

歴史に規定された現在の医療

 西村氏は「対GDP費における医療費は,国民皆保険の実現(1961年)と同時に下降から上昇へ転じる。経済成長を上回るスピードで医療費は増大し,73年の老人医療費の無料化でそれに拍車がかかった。そして,83年を境に抑制政策が施されることになる」と医療費の推移を概観。
 皆保険の成立により「医療機関の1日平均の外来患者数は急増した」と超過需要の発生を指摘した。同時に,「50年代には国保や社会保険関係団体の病院が医療機関の中心であったが,皆保険実現後,民間の医療法人や個人による一般病院が増加し,次いで,精神科病棟が,さらに老人医療費の無料化により老人病院が急速に増加した」と述べ,皆保険成立を契機に,民間主導による医療供給体制が構築されていった過程を示した。
 また,「医療費の患者負担は縮減の方向をたどったにもかかわらず,診療報酬は,消費者物価や賃金の上昇に比べ,低い水準で推移したこと,および低コスト医療の収入が高く,高コスト医療は逆に赤字が出るという仕組みであることが,いびつな経営構造や医療を生み出している」と指摘した。

何をなすべきか

 さらに,今後の進むべき方向性としては,「国民皆保険により,国民が容易に医療機関にかかることができるようになった反面,予防の意識は根付かなかった。21世紀に向けて,医療機関は予防への関わりを重視していくことが大切だ。また,医療のあり方を考えていく際には,欧米には研究が乏しい『医師・患者・家族関係の研究』を日本独自に展開していく必要がある」との考えを述べた。
 一方,シンポジウム「次世紀への飛翔に向けて」(座長=阪医大教授 勝健一氏)では,川渕孝一氏(日本福祉大教授)が医療経済研究機構が行なった「米国における疾病分類の妥当性に関する研究」(主任研究員=川渕氏)を基に,日本におけるDRG(Diagnosis Related Groups)の導入について検討。(1)病院のマネージメントへのDRGの使用方法の例示,(2)17病院のデータから見た病院間コストと在院日数の差異の検討,(3)現在の運営方法で問題があると思われる分野の提案などを行ない,注目を集めた。

シンポジウム「中小病院の経営戦略」

 経営状態が弱体化しつつある民間中小病院の実態と役割を認識することを目的に企画されたシンポジウム「中小病院の経営戦略」(座長=織本病院名誉院長 織本正慶氏)では,織本病院を含めた5つの病院の代表者が各病院の現状を語った後,原価計算や電算化の導入について意見を交わし,今後の中小病院の役割を模索した。

5病院の経営戦略と「原価計算」「電算化」

 最初に発言した京都専売病院長の西谷裕氏は,大病院の激戦区にある中小病院の苦悩を述べた上で,“優しい心と温かい手で納得のいく医療の提供”というスローガンのもと,「プライマリケアの導入や成人病予防研究センターの設立などにより,在院日数の短縮を実現し,経営を建て直した」と語った。
 同じく病院の激戦区にある永寿総合病院長の崎原宏氏は,「病院経営に王道なし」という経営方針を掲げ,(1)医療連携のモデル地区であったために在宅総合診療を進めていたこと,(2)MRやRIを設置していたこと,(3)地域医療をめざしていたことなどにより,急性期疾患を中心に紹介率が上昇していったと説明した。
 また,清水病院長の清水鴻一郎氏は,「患者自己負担の増加による外来・入院収益の減少を乗り切るには,自分の専門分野である脳神経外科を強化することが有効だった」とし,また,大病院に対抗するには“人間の輪”が大切であると語った。
 特定の分野に力を入れるという戦略は織本病院でも行なわれており,織本氏は,「人件費率は高いが,人工透析,脳外科の充実,植物人間の受け入れ等が経営を支えている」と語り,また,「借入金は多くても,減少傾向にありさえすれば問題ない」と付け加えた。
 医事システムの改良が成功した八日市場市民総合病院副院長の菊池紀夫氏は,(1)長期入院の非収益性,(2)医薬分業のメリットの少なさ,(3)外注導入によるリストラの難しさ,を指摘。それに対して,(1)コメディカル部門の独立,(2)レセプトの点検,(3)薬品購入担当者の変更,(4)パート削減,(5)電算化による連携強化,等の実施により経営改善を図り,さらに「かかりつけの100%受け入れ」と「救急への対応強化」をめざした結果,紹介数が倍増し,経営優良病院となったと述べた。
 また,原価計算に関しては,菊池氏から,「人件費や薬品費の投入量の配分が計算でき,公的機関を動かすには説得力があり有効」という意見が出された。一方,電算化については,「省力化や合理化のためだけでなく,情報提供に役立てることがコストパフォーマンスにつながる」(崎原氏),「患者のデータベースが大きくなれば,検査が減少し,増収になる」(織本氏)といったメリットがあげられた。

中小病院が生き残る道

 最後に中小病院の役割について意見が求めらると,フロアから福井済生会病院長の藤澤正清氏が,「中小病院という名称を特殊専門病院と改めるべきだ」と指摘。「消防員に覚えられるような病院になってほしい」と救急医療の大切さを訴えた。また,日本病院会長の諸橋芳夫氏も,「その病院の専門の科が病院を左右する。多くの領域に手を出すと,患者も増えるが支出も増える」とし,中小病院の専門特化を促した。
 今シンポジウムでは,患者に対する中小病院の役割というより,大病院に対する中小病院の役割について意見が交わされたという印象が強かった。また,「原価計算」や「電算化」に関しては,まだ,これらが経営改善への特効薬になるという認識は薄く,特殊な技術や特定の分野に力を注ぐことが収益増につながるという意見には説得力があった。今後はこれらの戦略の見極めが重要となるはずであり,シンポジウムの冒頭で織本氏が述べた,「中小病院の相談窓口のような機関がほしい」という提案が,中小病院を救う第1歩となるのではないだろうか。