医学界新聞

〈連載〉

国際保健 -新しいパラダイムがはじまる-

高山義浩 国際保健研究会代表/山口大学医学部3年


〔第2回〕世紀末から新時代へ

 国際保健が挑もうとしている状況は複雑に絡み合っており,またその1つひとつを凝視すると,そのあまりの底の深さに眩暈をもよおす。難民問題,人口問題,食糧問題,環境問題,そして多発する地域紛争。これらを国際保健の対象として把握するには,どのように読み解いていけばよいのだろうか。まずは人類史観的な立場から順を追って考えていこうと思う。

人口の増大

 地球の収容力を超えた人口の増大が,私たち人類が直面している最大の問題と言える。人類史において3度の人口爆発があったといわれる。最初の人口爆発は10-100万年前の「技術革命」によるものであった。この時人類は言語を獲得し,木,骨,石の道具を用いて集団猟を行なうようになり,火を利用することも覚えた。この「技術革命」により世界人口は100万人を超えた。
 2度目は「農耕牧畜革命」である。1-2万年前に,人類は大河川流域で農耕牧畜を開始した。これによる食料安定供給は人類の定住を可能にし,4大文明を発祥させるに至った。この革命が世界各地でほぼ実現された頃,人類は1億人を突破した。
 最も最近の革命は「産業革命」である。科学技術の急速な進歩は,化石燃料の使用による大規模エネルギーの獲得,社会制度の近代化,それにともなう大量消費文化をもたらした。この革命は,完全な世界化をめざし現在も進行中である。もしこれが実現されるとすれば,おそらく世界人口は100億人を突破すると考えられている。
 ただし,「産業革命」は重要な点をクリアできていない。それは持続可能性の問題である。近代社会は土地,自然環境の破壊,もしくは他者からの搾取を前提として形成された場合がほとんどで,ある社会の人口収容力が増大したにしても,別の側面から見れば環境の人口収容力を低下していたり,他の社会の人口収容力を低下させているのである。つまり,「産業革命」とは,これまでの革命と異なり,地球生態系の視座からはゼロ・サム,あるいはネガティブ・サムの革命にすぎなかった。これが冒頭で述べた,「地球の収容力を超えた人口の増大」の意味である。

エネルギーと食料の不足

 1990年の世界の人口は約58億人であり,2020年には79億人に膨れ上がると予想されている。こうした人口増大は具体的に何をもたらすのだろうか。まず,直接的な衝撃として,エネルギー,とりわけ食糧不足が深刻化する。
 現在,世界の人口は毎年約9000万人ずつ増加している。これは,年間2800万トンずつ穀物を追加する必要があることを意味している。ところが,世界の穀物収穫量は,年間約1800万トンのペースで減少しているのである。一方,漁獲量も海洋生態系を維持する限界とされる1億トンを1989年に突破しており,やはり減少しはじめている。
 今,人類は穀物備蓄量を切り崩しながらしのいでいる。1995年の世界備蓄量2億9400万トンは,96年に5000万トン消費され,2億5400万トンになる。この計算からすると,世界人口が現状のままに維持されたとしても,6年で底をつく勘定となる。

環境破壊

 そして,人口の増大は環境を悪化させる。
 食料を求めた土地からの過剰な収奪もあるが,木材,化学燃料などの持続不能な収奪,とりわけ近代化に対応するための急速な工業化は,さまざまな有害物質を地上にまき散らした。こうした環境破壊は,さらに酸性雨,温暖化など世界的な環境破壊へと発展している。そして次第に人々の健康を蝕み,農地を減少させている。
 国連による1990年の世界的土地劣化調査によると,1945年から90年の間に劣化した農地の15%以上が回復不能,もしくは大規模な土木作業を施さなければ生産能力を回復できなくなるほど,ひどく損なわれている状態だったという。これは15億人の人々を養えるだけの農地であり,今なお同じ速度で農地は劣化しつづけている。

多発する地域紛争

 冷戦後の世界において,残念ながら「平和」と「共存」がキーワードとはならなかった。期待とは裏腹に,「紛争」と「難民」の世紀末が訪れたのである。
 ボスニア・ヘルツェゴビナに代表される冷戦後の紛争は全世界で62件発生している。そして,これらはすべてイデオロギーの対立,民族,宗教,もしくはその複合型の対立とされている。ただし,ここで注意すべきことは,イデオロギーや民族,宗教などが異なることが,すぐさま戦争に直結するわけではないということだ。もし,イデオロギー・民族・宗教を紛争の原因と見なし,それを主張する者を危険視する風潮が私たちにあるとすれば,それは世界の現実を見過ごしていたと言わざるを得ない。
 人権と健康の保障が成立していれば,武力衝突が発生する可能性は限りなくゼロに近づく。噴出している数々の紛争も,そのほとんどすべてが,国内の食糧物資の行き詰まりと偏在に起因している。つまり,概して紛争の根底には,エネルギー・食糧不足が見え隠れしていると考えてよい。
 ルワンダ内戦は,こうしたプロセスの典型的な例である。1950年から94年にかけて,ルワンダの人口は250万人から880万人にまで増加していた。92年の女性1人当たりの出産数は世界最高の8人であった。そして土地不足が顕著になり,食糧が根本的に不足するようになっていた。これが,ツチ族・フツ族間の緊張を高め,武力衝突に発展させてしまったのだ。
 小さな地域紛争であっても,外部勢力の偏った介入がなされたために伝統的な仲裁の方法が阻害され,さらに紛争が拡大してしまうというのは20世紀の人類が獲得した悲しい教訓である。ソマリアへの国連軍介入による紛争の激化は,この種の悪夢の典型ともいえる。

難民にあふれた20世紀

 また,地域紛争が,必ずといっていいほど難民を発生させるのも20世紀の紛争の特徴であった。古典的な戦争と異なり,現代の戦争は民間人を巻き添えにするばかりか,民間人の虐殺,浄化を目的としたり,武器の軽量化にともない女性や子どもまでも兵士として徴用するなど,まさに総当たり戦の様相を呈している。
 難民とは,こうした状況から逃れるべく国境を越えてきた人々のことである。そしてほとんどの場合,彼らは歩いて国境を越え,庇護を求めてくる。ところが,しばしば周辺諸国が難民保護を拒否するケースが見られる。とりわけ,すでに国内に貧困を抱え,政治的混乱や環境破壊という問題を抱えている国では,これ以上不安定要因を国内に抱え込みたくないという思いが作用するようだ。
 こうした庇護の拒否は,国際条約に違反するものであり,正当化できないが,難民の流入によって資源がさらに逼迫したり,数万人の難民が一斉に燃料を得るため周辺の森林が伐採されてしまうなど環境破壊の要因となりうることは十分に配慮すべきである。
 ツチ族のキガリ制圧後,ザイール東部に流入したフツ族難民の例は,受入国の不安が現実となってしまった悲しい例である。流入したフツ族難民が,流入先に定住していたバニャムレンゲ族を迫害したため,バニャムレンゲ族が本格的な反ザイール政府武装闘争を開始してしまったのである。このように,難民の発生が新たな紛争の火種となる可能性もあるようだ。

そして私たちの世紀

 ここまで,人口の増大から紛争の拡大にいたる道筋を追ってきた。人口爆発という状況をベースに,食糧不足が紛争を引き起こし,これがまた農民を難民にしたり,環境を悪化させるなどして食糧不足をさらに加速させてしまっている。いわば,「殺戮をともなう悪循環」という人類の現実であった。しかし,ここまで示したすべての局面で,同時に国際協力という不屈の努力が開始されているのもまた,人類の新たな一面といえる。
 ともすれば絶望しそうな人口問題には,さまざまな試みが続けられている。とりわけ,日本が短期間に経験した多産多死から少産少死への転換において保健医療が果たした役割は大きく,その国際保健への応用が期待されている。環境問題に対しては,多くの環境NGOが監視の目を光らせている。環境の改変は,健康問題とも大きく関わっており,保健医療の立場からも発言を求められる機会は多い。
 地域紛争についても,国家レベルでの軍縮は世界の潮流となっており,ミクロな軍縮を実現すべく多くの研究者が武器の流れを監視している。また,紛争を未然に防ぐ手段として,人権の意義を各国に広めるNGOの活動が目立ってきている。農村開発と歩調を合わせ,地域の健康を増進させる活動を続けている国際保健の意義は言うまでもない。健康は確かに紛争を抑止しているはずである。
 フリチョフ・ナンセンによって開始された難民保護の歴史は,20世紀の人類が誇るべき足跡であろう。現在,すべての難民の法的立場が認知され,そのほとんどがUNHCR(国連高等難民弁務官事務所)の庇護の下にある。そして,すべての難民キャンプにおいて,緊急医療援助がNGOを通じて展開されている。
 おそらくは,こうした不断の努力こそが光明を見出させるに違いない。いたずらに生活レベルを退行させ,殻の中にこもることが解決なのではないだろう。ささやかながらも栄光と呼ばれるかつての人類史を振りかえりたい。たぐいまれなる知性と団結を誇る人類の一員として,21世紀を「驚くべき希望の世紀」とするかどうかは,私たちの双肩に委ねられている。

・国際保健研究会
〒755-0032 宇部市寿町3-4-27 サバービア紀村103(高山義浩)
TEL&FAX(0836)310-9134
E-mail:ihf-ygc@umin.ac.jp(高山)
http://square.umin.ac.jp/ihf/index.htm