医学界新聞

アメリカ留学日記

ペンシルベニア大での臨床研修〔後編〕

長浜正彦(日本医大6年)2285号よりつづく)


病棟での1日

受け持ち患者ができて

 初めてのコンサルトを何とかこなしたあと,アテンディングが私に受け持ちの患者を与えてくれるようになった。自分の受け持ち患者ができたお陰で,毎朝7時に病棟へ行って,患者を診察し,所見をカルテに書き込むことが私の日課となった。
 アセスメントやプランは難しく,大したことは書けないが,カルテ記載の最後に自分のサインをするのは責任と同時に一種の快感も与えてくれる。また,病棟へ行くと嫌でも受け持ちのナースやドクターに聞かなければならないことが出てくるので,それが会話の練習にもなり,彼らとも仲良くなれる。
 そういうわけで,私の1日は7時に受け持ちの患者の診察,8時から1時間,フェローの講義に出席し,昼まで外来の患者の診察。その後急いで昼食をとり,午後にはアテンディングの回診に加わり,自分の患者のプレゼンテーションをして皆と一緒に病棟を回るということになった。病院から自分の部屋に帰ってくるのは7時頃であるが,ラグビーとは違う筋肉を使うらしく,疲れ果ててベッドに崩れ落ちて1時間ほど眠りこけることがある。早起きするのは苦手ではないが,月曜から金曜まで6時起床の毎日を命からがらくぐりぬけて,翌日が休みの週末にまとめて12時間ほど睡眠をとるというのが私の生活パターンになった。
 学生は土曜日は休みであるが,最近私は場合によっては土曜日も病院に診察に行く。理由は2つある。1つはもちろん少しでも早く臨床技術を身につけたいということであり,もう1つはアメリカの入院日数は日本に比べるとはるかに短いため,金曜日に入院した患者が月曜日にはもういなくなっていることがめずらしくないからである。土曜日も病院に行くとフェローには驚かれて「日本人は勤勉だなあ」と私個人にではなく,日本人に感心されてしまうが,この際それはどうでもよい。逆に日本人であるがゆえに信用してもらえたりすることもあるし,外国へ行くと自分の意志と無関係に日本の旗を背負って立っていることに気づく。

アメリカの外来

 病棟の仕事とは別に外来も週に3回あり,それは私にとってよい診察の練習場である。3つの診察室で午前中に診る患者の数は10人以下であり,日本の混雑した外来とはかなり違う。これは医療費の違いからくるものであり,医者が忙殺されながら3分診療を余儀なくされる日本と,ゆっくり時間をかけて診てもらえるが,医療費が高いアメリカと,どちらがよいかは一概には言えないが,いずれにしてもアメリカの外来ではまず学生,レジデントやフェローが病歴聴取,診察を行ない,それを別室でアテンディングに報告することになっている。そこで全員で診断や治療法に関して数10分間ディスカッションした後,再びアテンディングと一緒に患者を診察して最終的な決定をするといった具合で,1人の患者あたり約1時間の診察時間である。
 比較的ゆっくりしたと外来ではあるが,私がカルテの記載までする余裕があるほどゆっくりはしていない。普通は私が病歴聴取や診察をしている脇で,レジデントがカルテを書いてくれ,私の診察をサポートしてくれる。診察が終われば患者から「Thank you,doctor!」と握手までされてしまう時がある。「ありがとう」と言われて嬉しいような申し訳ないような気分になるのは,その言葉が,練習台になってくれた患者に対する私のセリフでもあるからであろう。

ついに1人で診察

 このように外来ではカルテの記載はレジデントに任せていたのだが,ある日レジデントが急病で来られず,ピンチヒッターとして私が1人で患者を診ることになってしまった。診察自体の練習はしていたが,外来で診察して同時にカルテに記載していくのは初めてである。入院カルテは比較的多くのドクターが入れ替わり記載していくので,仮に私が不十分な記載をしてしまっても許されるのかもしれない(本当は許されない)。しかし,外来カルテは外来で診た者のみが記載するので,私が不適当なことを書けばそれがそのまま残ってしまう。実際,私も患者を診る際,前回の外来カルテをかなり参考にする。
 最初の患者は,53歳の男性,フォローアップの患者で,比較的やさしい症例であった。2日前の血液検査をチェックしてから患者を待合室へ呼びに行った。外来には夫人同伴でくる患者が多く,そういう場合は,たいてい夫婦で診察室へ通す。私にとってはこの付き添い人がクセ者で,ただでさえレジデントに監視されているのに,さらに夫人の厳しい視線にもさらされるとプレッシャーは一段と大きくなる。その上,黙っていてくれる付き添い人は少なく,病気のことや薬のことをよく質問してくる。考えてみればそのためについて来ているので当然と言えば当然なのだが,それに上手に答えるのは大変だ。幸い私が初めて1人で診る患者には付き添い人がいなくて,ほっとした気持ちで満面の笑顔でその患者を診察室へ迎え入れた。
 まず,握手をしながら自己紹介するのがパターンである。われわれ日本人にとってアメリカ人の名前を覚えるのは容易でない。しかも,「How are you, Mr. Webb?」といった具合に質問の最後に名前を呼びかけるのが普通であり,これが意外と難しい。アメリカには例えば“Zykowscovitch”など発音の難しい名前もあり,こういう人の名前を呼ぶのは大変だ。私はカルテから事前に名前を見やすいところに書き出しておくが,最近は名前の代わりに“Sir”を使うと大変便利であることを発見し,多用している。しかし先日,名前を覚えないで女性の患者を診察した時は絶句した。
 診察室は個室でプライバシーが保たれるよう配慮されており,また静かなのでこちらも診察しやすい。コンピュータもあり,その場で検査値や放射線のレポートなど,大部分のデータを見ることができる。診察台は自由に角度が変えられ,頸静脈怒張を診るのに便利である。また,眼底検査のための直視鏡が備え付けてあり,糖尿病や高血圧の患者に対しては内科の医師でも平気で散瞳させずに眼底を診てしまう。私も何度か診せてもらったが,今のところ使いこなすのはかなり難しい。

アメリカの患者

 さて,患者の話に戻るが,その患者は比較的簡単な症例であったとはいえ,私はいつものように既往歴や家族歴を聞いた上で,頭から爪先まで診るというアメリカ式の診察をした。この患者のフォローアップの目的は血圧のコントロールであるので血圧は念を入れて測定しなければならない。これはまた余談であるが,アメリカにはとてつもなく大きく,しかも肥っている人がいて,普通のカフでは腕に巻ききれない患者も少なくない。おもしろいことにアメリカの病院の外来には大,中,小の3種類の血圧測定用のカフが用意されており,必要に応じて使い分ける。私は「大」のカフを選び思いきりカフ圧をあげて血圧を測ると収縮期圧が210であった。前回の診察で血圧の薬を変えたようだがまったくコントロールできていない。
 アメリカの患者は自分の飲んでいる薬の名前も用量もよく理解している。何を飲んでいるか聞くと薬品名,用量,回数とカルテの記載とまったく同じ答えが返ってくることが多い。医学用語もかなりよく知っている患者が多い。これは日本の患者と異なる。例えば,日本語で“浮腫”や“紅斑”と言っても患者には伝わらないことが多い。しかしアメリカでは医師にも患者にも同じ“エデーマ”であり“ラッシュ”である。アメリカでも日本のように医師と患者に別の言葉があり,その言葉を使い分けなければならなかったら,今頃発狂していたことだろう。
 薬を確認する。カルテにはラシックス(ちなみにレイシックスと発音する)が1日2回になっているのに,本人は1回しか飲んでいないと言う。病棟と違ってあまりのんびりしてはいられないので,ほどほどに診察を切り上げてアテンディングに報告しに行った。
 この患者の場合,アテンディングから,この患者は収縮期圧に比べ拡張期圧は低いし,浮腫もあるため,降圧薬ではなく利尿剤を使うべきであると指導を受けた。ラシックスに関しては薬剤部の手違いで1日1回と指示していたこともわかった。カルテは正しかったのでそれを正すとともに,今回の診察でその用量が増やされた。この他にもう1人患者を診察して午前中の外来は終了した。その後,アテンディングから思いがけなく,「君のおかげで今日の外来は助かった」と言われて驚いた。始めてアメリカに来た時のことを考えると信じられない思いであった。

アメリカ流の臨床を学んで

実習をしていて思ったこと

 実習も終わりに近づいてくると,初めてフェローに連れられて初めて病棟を訪れたのが遠い昔のことのように感じられる。周囲の人たちにアメリカ流の医学教育を,まさに白紙の状態から教えてもらえたおかげで,私もどうにかアメリカ流の病歴聴取,診察,ケースプレゼンテーションができるようになりつつある。まだまだわからないことばかりで,できないことのほうが圧倒的に多いが,1つひとつ学んでいこうと思っている。ひたすら訓練あるのみと思っている。
 英語もろくに話せず,患者も診られない役立たずの日本の医学生を,よくも辛抱強くここまで教えてくれたものだと本当に頭の下がる思いだ。時には,アメリカの医学生にとっては当たり前のことができない私に「お前は何しに来たんだ?」と露骨に冷たくする人もいる。しかしそれは考えてみれば当然のことである。こういう人に対して彼らとよい関係を築いていくには,言葉を超えた何かが必要で,しかもそれは社交性といった簡単な言葉で言い表せるものではないと思う。
 私は誠心誠意,彼らのしてくれることに反応することにした。何か教えてもらったら,その日の夜,自分でさらに勉強した上で翌日に再び質問をするとか,自分の部屋で何度も練習して翌日にはもっと上手に発表できるようにしておくとか,とにかくその人に対して自分が頼りにしていることをわかってもらうようにした。不思議なことにこのようにすると以前には少し軽蔑的に見ていた人も,その後人が変わったように親しくしてくれていろいろと教えてもらえることがわかった。
 アメリカ流の臨床は本を読んで理解するものではなく,彼らに直接叩き込んでもらう以外に吸収する方法はないので,誰でも食いついていかなければならず,このようにこつも何とか覚えた。また,何か仕事を与えてもらったら跳び上がって喜び,どれだけ時間がかかろうとも自分なりにどうにか仕上げるようにした。アメリカの医学生なら1時間でできることが,私には5時間も6時間もかかるが,仕事をさせてもらうことによって自分の存在をアピールできる。アメリカは,熱意のある者にはチャンスを与えてくれる国である。

おわりに

 私が病棟で腎臓チームの一員として扱ってもらえたのは,とけ込みやすい雰囲気を作ってくれた医学生のDreell Porterのおかげであり,ランチで講義してくれたレジデントのDr. Parvaneh,よいタイミングでコンサルトを受けさせてくれたアテンディングドクターのDr. Fernandezにはこの上もなくお世話になった。彼らに出会い,チャンスを与えてもらわなかったら私が患者を診ることは不可能であったと思う。彼らには本当に心からお礼を言いたいし,人生で出会える人間が限られているなか,彼らにめぐり会わせてくれた神様に感謝したい気持ちである。
 最後に,私の留学に際していろいろと温かくご尽力いただいた母校の早川弘一学長,小川龍教授,飯野靖彦助教授,それから今回の留学をアレンジし,こ素晴らしい経験をするチャンスを与えてくださり,行き詰まりそうになった自分にいろいろと助言をしてくださったペンシルベニア大学医学部の浅倉稔生教授に心から感謝したい。

(おわり)