医学界新聞

〈短期集中連載〉

激変するアメリカ合衆国医療事情(2)

日野原重明 (聖路加看護大学名誉学長・聖路加国際病院名誉院長)


病院合併と看護体制への影響

合併により病床数削減

 ベス・イスラエル・ディーコネス・メディカルセンター(以下BID)の誕生は,旧病院のそれぞれの看護体制に大きな影響を与えている。
 旧ベス・イスラエル病院の看護部長であり,かつ新病院でも副院長(合併後に院長は替わったが,看護部長としての副院長の地位はそのまま継続されている)クリフォード女史から次の情報を得た。
 ベス・イスラエル病院とディーコネス病院のベッド数は,合併前は前者が495床,後者が297床であった。単純に両者を合計すると792床になるはずであるが,合併によって590床に減少した。ベス・イスラエル病院は495床から351床に,ディーコネス病院は297床から239床になった。つまり,ベス・イスラエル病院では29%もカットされ,ディーコネス病院も19%カットされ,全体としては202床,約25%の削減である。
 旧ベス・イスラエル病院では,入院患者1人に対し,ナース2人の割合で配置されてきた。普通は患者1人に対しナース(R.N)1.5人という場合が多いので,ベス・イスラエル病院の看護は米国でも最高レベルの名声を得ていたと言える。したがってベス・イスラエル病院としては144床の削減で,ナースを300名余り減らさなければならないという計算になる。しかし,ナースの数を,病床数との対比だけで論じるには無理がある。つまり,患者の在院日数が短い病棟ほど忙しいからである。
 ベス・イスラエル病院は学士号を持つナースが大部を占めている急性期の病院で,患者の平均在院日数はわずか4.5日であるという事実からすれば,ナースの定員は日本よりはるかに多いといっても,医師やナースの仕事は密度が濃く,日本より多忙であるのは事実であるから,そう看護婦数が多いとは言えないであろう。

在院日数の短縮と病院経営

 クリフォード副院長によると,病床回転の早い病棟では,1日のうちに2回転することはよくあり,はなはだしい場合は,1日に3回転をすることさえあるという。例えば,朝7時に入院,午後1時に退院,そこに2人目の患者が入り,午後7時に退院,午後8時にまた新しい患者が入院する。こういったことは例外的とはいえ起りうるというのである。
 患者の在院日数を減らすことは病院経済に大きく貢献する。つまり,公的保険(65歳以上のメディケアや貧困者へのメディケイド)やHMOなどの民間の団体保険会社は,1987年から始められたDRGによる疾病ごとの契約料金に基づいて,病院側に支払うことになっているからである。
 例えば心臓のACバイパス手術は7日間の入院に対する治療費の合算が払われるという協定がなされているために,7日以内に患者を退院させても病院は7日分の定額を支払われて得をするが,逆に10日間の入院となると,余分な3日間の入院費は病院の持ち出しになるというわけである。つまり,技術の高い医師が扱うと診断も早くつき,手術やその他の処置も手際よくなされ,平均在院日数は短くなり,病院にとっては有利となる。しかし有能な医師への報酬は当然アップせざるを得ないという一面を伴う。
 これは,その後米国の国立移植協会長のR. Mendez教授(南カリフォルニア州立大学医学部)から直接聞いた話であるが,腎移植手術では,術後10日で退院,そのうちに1週間ですむようになるだろうと言う。このように入院期間が短くなると,早期退院者の中には帰宅後悪化して,すぐ再入院してくる患者が増える傾向があるとのこと。米国ではDRGの下で,病院の医療経営の逼迫を防ぐためには,入院期間を期限内に収めるか,あるいは短縮せざるを得ないのであるが,Quality of Life(QOL)が低くなるきらいが生じるので,医師,看護婦など医療者側も,また患者側でも診療・看護のレベルの低下を懸念している。

病棟閉鎖と看護婦の配置転換

 ベス・イスラエル病院とディーコネス病院とは,もちろんICUもCCUも合併させた。ベス・イスラエル病院は32床のICUを持ち,ディーコネス病院は16床を持っていたが,ベス・イスラエル病院のICU病床は全部ディーコネス病院側に移り,24床のICUとして機能する。ここでもICUベッドは半減されたのである。
 したがってICUの入院日数はこれまで以上に短縮したばかりか,占床率も高まり,フル回転を余儀なくされていることから,当然病院収入にも大きく寄与している。米国は心臓病の罹患率・死亡率とも日本の2倍以上と思われるので,循環器内科や循環器外科の医学的水準は,日本に比べると明らかに高いといえる。
 心臓カテーテルを行なう頻度は,ベス・イスラエル病院は年間に1500件,ディーコネス病院は2000件といわれていたが,心臓部門は両院の合併ですべてイースト・キャンパス,つまり旧ディーコネス病院に移った。当初は,ベス・イスラエル病院で吸収するという案もあったが,ディーコネス病院は近年に建物を新しく建て替え近代化を図っていたので,手術室やCCUはそちらのほうが適当だということになったのだという。
 救急センターも,ディーコネス病院が引き受けたが,10年後には救急センターの設備を一新する必要があるとの予測をたて,それはウエスト・キャンパス(旧ベス・イスラエル病院)側に設置するプランだという。
 産科病棟はウエスト・キャンパス(ベス・イスラエル病院)に移り,またベス・イスラエル病院の旧一般外科の病床の80%は外来棟での日帰り手術に回され,残りのわずか20%の病床だけが旧ベス・イスラエル病院に残され,消化器の癌手術患者,その他の病床になったという。
 このようにベス・イスラエル病院では大規摸な病棟閉鎖が行なわれた結果,大勢の看護婦が入院病棟から外来棟も,しくは在宅ケアの訪問ナースとして転出するか,またはBIDと関連する郊外のサテライト診療所への配置転換を余儀なくされているとのことである。現在,BIDの590の病床と外来で,正看護婦は1667人,ナーシング・アシスタント308人,外来診療助手119人という。

無資格者が末端の看護力に

 看護面についても,米国ではさまざまな変革の波に洗われている。日本のように入院期間が3-4週間,またはそれ以上の長さになっていると,その患者の回復期の看護にはある程度手数を省くことが可能だが,患者の回転が早いと普通病棟もICUやCCUと同様に看護婦は超多忙となる。
 米国では大学卒の看護婦と,看護専門学校卒の看護婦のほかに,日本の准看護婦に近い短期間の実践看護教育を受けたプラクティカル・ナース(practical nurse=PN)が働いてきた。その他にフィジシャンス・アシスタント(physician's assistant)という医師の診察や手術の介助をする短大卒程度の助手が働いている。
 上記の専門職のほかに,高校出身後の若者を病院の現場で訓練し,ある程度看護ができるnon-professionalの働き手が,ナースを補助して,専門ナースが本来の意味での看護を行なうに要する時間をなるべく多くするようにする手段がとられつつある。米国ではこの無資格者を末端の看護力として使い始めている。この無資格の助手的存在が,ベッドメーキングや全身清拭,排泄に関すること,患者の移動などを担当し,さらにもう少し高度なレベルまで訓練された助手には,体温測定などの簡単なバイタルサインの一部の測定も受け持たせるといった,驚くほどの看護の足切りがまかり通っているのである。
 以上のような実情についてクリフォード副院長は看護ケアのレベルを高く保つ上で非常に困難を感じていると言っているが,病院経営の根底が揺らいでいる現状では,この状況を受け入れざるを得ず,看護婦数の削減とノンプロ要員の増加を許容しながらも,いかにして看護の質を高く保つかに腐心しているかを話された。
 医療の質については,HMOや政府の医療費緊縮の強い規制の下では明らかに患者のQOLは低下するという非難の声が医師・看護婦から上がってはいるが,しかしGNPの13%を超えようとしている医療経済の危機を脱するためにはやむを得ない面があり,患者や家族をもっと教育して,病気にならないような自助努力に期待することがこれからの課題とされている。

医療と医学の連繋-研究と教育

 ボストンのような大都会では,BID(ケアグループ)とは別に,ハーバード大学の代表的な教育病院で日本の医師の間にも有名な病床900床の大病院,マサチューセッツ総合病院と,これまたハーバード大学と緊密な関係にある632床を持つ有名な教育病院ブリガム&ウィメンズ病院とが,さらに1997年には180床のケンブリッジ市立病院の3病院が連携したが(パートナーズ・ヘルス・ケア・システムと呼ぶ),これは米国医療界にとって特記すべき出来事であった。ボストン市には,以上の病院のほかにもボストン市立病院,小児専門病院,眼科専門病院,ヘブリュー・リハビリテーション・センターなど大小いくつもの病院やリハビリテーション施設があるが,それらがまた別のグループを形成している。

研究者自身が設備費用を獲得

 これらのメディカル・センターはいずれもハーバード大学医学部との協定で,医学生やレジデントやフェローがそれぞれのメディカルセンターで学習や研究ができるようにスケジュールが作られており,医学生やレジデントやフェローはその病院間でローテーション勤務をしている。
 ハーバード大学のフルタイムの教授やその他の研究者は,かなりの者が大学医学部の基礎医学教室以外に諸メディカルセンターの研究室で研究を続けている。
 施設にある研究室の設備費用は,以前はそれぞれの病院で得た収益の一部を充当していたが,昨今の事情では各病院の経営が苦しくて,研究費に回す財源が大幅に削減されてきたという。しかし,研究者に実力があってNIH(National Institute of Health)などの政府機関から多額の研究費を取得できれば,ハーバード大学に所属するその研究者には,研究助成費(grant)として当人に支給される金額の最高で約80%が,直接ハーバード大学にオーバーヘッドという名目で上乗せされて寄付されるという。国立や州立の研究所では,税金ですでに人件費や建物の維持費が補助されているので,私立の研究所に比べてオーバーヘッドの率が低いのが普通で,ミシガン州立大学医学部では55%,BIDでは74%,ハーバード大学医学部基礎部門では79.9%(上限は80%)という。
 私が親しくしている東大出身の出雲正剛教授は現在ハーバード大学の内科教授としてベス・イスラエル病院内に循環器科の研究室を持っており,多額の研究助成金の申請をNIHにしているが,この申請が通れば,その額の8割近くがNIHから大学に上乗せして入金されるという。
 私は出雲教授の研究室を訪れ,分子生物学的手段を用いた心筋の遺伝子研究の成果を興味深く見学した。現在,345頁の先天性の心臓病の発生の分子生物学的機序についての研究報告書を書いており,さらに,心筋の細胞死の研究のgrantにかかるという。非常に精力的な研究を展開している。また,彼はすでにNIHのgrantの審査員にも加わっている。
 研究室では,彼自身が獲得した研究費によって多くの研究者を集めて研究し,指導している。その3分の2は日本の医学校からの若手研究者であるが,米国,ドイツ,韓国,スロバキアからの研究者も採用されている。ハーバード大学医学部の教授職としての協定では,1年の中で2か月を学生やレジデント,フェローのための講義数回,病棟教育,学生の個人指導(tutorial)4回を行なえばよく,他の10か月は自分の研究活動に専念できるという条件である。彼はその他にハーバード大学医学部循環器系の研究の副主任としての地位に就いている。

ハーバード大学医学部の教育

New Pathwayの成果と学生の臨床教育

 私は12月29日の午前8時に,ハーバード大学医学部に「プライマリ・ケアと予防医学」講座の主任を務めるイヌイ(Inui)教授(日系三世)の部屋を2年ぶりに訪れ,ハーバード大学医学部学生の教育についての新しい知見を得た。
 ハーバード大学医学部のD. C. トステソン元学部長は,約25年前,彼が北カロライナ州のデューク大学生理学教授であった頃からの知り合いである。彼はデューク大学の教授時代から,細胞膜内外のK+-Na+の交換に関する生理学的研究の大家であるが,その後シカゴ大学の医学部長に招かれ,さらに約20年前にはハーバード大学の医学部の学部長となった。トステソン先生は学部長当時,ハーバード大学医学部において「New Pathway」と名付ける小集団(平均8名の学生)にテューター(1グループに2人)をつけて自己学習をするグループ学習(Tutorial learning)を始められた。
 ハーバード大学に入学した医学生は,入学早々,毎朝1時間の基礎科目の講義があるが,その後にはいきなり患者に触れる自主学習が続く。講義としては,(1)解剖・生理の講義としては,からだの構造と機能とX線所見について(8時間),(2)物質代謝と各系統の器官の機能としては分子生物学,生化学,生理学,生体物理学(1週間),(3)薬理学(11週間),(4)遺伝,胎児学,生殖(6週間),(5)免疫,微生物学,一般病理(10週間)がある。
 1学年度の学生は,外来部門で午前中患者を問診して病歴作りをし,そこでは,各自が経験した症例(例えば大腿骨折)について,もしそれが骨折であれば,午後に解剖学教授の教室から,大腿骨の模型を借りてきて,なぜ大腿骨頸部で骨折が起こったかを追求し,それをグループの仲間に説明する。仲間からの質問に答えられない場合は,翌日また解剖学教授に会って質問を解決する方法を教えてもらい,さらに骨の自己学習をする。また,もし午前中の担当外来患者が心臓発作を起こしたとすると,その患者の心電図所見や冠状動脈の血管造影フィルムを取り寄せ,血栓で詰まった冠状動脈X線造影撮影のフィルムを見て,心臓の血管構造を学び,夕方にはグループの仲間からの質問を受け,答えられない時は,翌日までに自分で調べたり,教官に相談に応じてもらう。
 以上数名ずつの小グループ学習の中に,問題解決技法をも取り入れて,グループ学習とする。
 一方,各グループのテューター同士は2-3週ごとに集まって,ハーバード大学の教育開発研究所からの教育法専門家を加えて,効果的学習法の戦略を検討する。1,2学年の間は午前8時30分-9時30分の1時間だけがいろいろのテーマでの講義があり,他はテューターの指導で,グループ学習の中でめいめいが自己学習をする。
 トステソン学部長は着任後間もなく,12人のシニアの教授陣を集めて新カリキュラムを考えてもらい,1982年には新入学のクラスの中からの希望者を募る方針を立てた。1985年には新入学者の中の12名に試験的に自主学習の方法を取り入れた。その基本は,カナダのマクマスター大学などですでに始められていた「問題解決技法」を使っての自主的体験学習である。教える側の教授の多くも講義中心のやり方を反省した。New Pathwayで教育された学生と,これまでの古い講義を重視した教授法によって教育された学生を比較すると,前者が学習効果の高いことが評価されたのである。その評価には他の大学からも教育法に関心のある指導者を招いて行ない,また教師の側も学生から教育効果の評価を受けた。
 この検証を経て,1992年からは入学生全員に4年間を通してこの新しい学習方式が実施されるようになった。この教育方式は1997年に退官されたトステソン先生の大きな業績でもある。

変化するクラークシップと臨床疫学手法の導入

 在来の米国での臨床教育は主に病棟のクラークシップの体験を通して行なわれてきたが,米国での医療が入院患者の在院期間が短縮して行なわれる近年の現状から,1990年からは「医師と患者との関係」を緊密にし,その中で効果的な学習ができる態勢として,病棟よりも外来診療部門でクラークシップが行なえるように変えられた。また学生の入学後はなるべく早く,疫学と生体統計学の基礎を教え,さらに個々の患者のケアに臨床疫学手法の導入を試みた。また,入学早々から,医学論文の批判的な読み方(critical reading of the medical literature)を学ばせるようにしている。
 医学生には前述のように入学早々から患者に触れさせ,患者の問題解決のための一連の医学的知識を,断片的な縦割りの基礎医学の知識としてでなく,総合的なとらえ方の中に個々の病人の問題を解析して観察する手法を学生に学び取らせるようにしているという。
 ハーバード大学のNew Pathwayの特徴の1つは,1990年度にイヌイ教授をワシントン州立大学(シアトル市)から招いて,予防医学とプライマリ・ケア医学を一緒に学ばせるコースを2学年の学生から始めたことである。
 私が訪れたボストン市内の,ハーバード大学系のメディカル・センターから少し離れた下町のビルの教官室には,イヌイ教授を中心とする講座に数名の教官が配属され,入学した1,2学年の医学生に教えるべきコースが作成されていた。
 私はイヌイ教授からNew Pathwayの大要を伺った後,3年前にここに着任した元北カロライナ州立大学の臨床疫学を専門とするR. H. フレッチャー教授と夫人のS. W. フレッチャー教授の2人に会い,担当されている臨床疫学のカリキュラムを伺った。また,S.フレッチャー教授から米国各地でハーバード大学主催で行なう医師の生涯教育のためのカリキュラムの説明を受けた。

医師の生涯にわたる医学教育

 ボストン市では,1997年11月14日から3日間にわたり,S. フレッチャー教授の総括の下に全国から46人のプライマリ・ケア医学の専門家がハーバード大学に招かれて,プライマリ・ケア全般にわたる新しい医学の動向について老人,成人,小児ならびに予防医学と健康増進についての講義,およびプライマリ・ケア医の知るべき新しい諸専門領域でのトピックスなどが語られる。
 そのほかにも,先ほど触れた諸メディカル・センターとの間にハーバード大学医学部はそれぞれの協力書を交わして,医師の卒後教育や生涯教育などのカリキュラムを作ったり,ワークショップなどの実践的学習プログラムを,大学外の医師にも提供している。
 その1例として,ブリガム&ウィメンズ病院,マサチューセッツ総合病院,ハーバード大学医学部,ハーバード大学公衆衛生学部の共催で,“Clinical Effectiveness”(臨床内科効率性)という夏期コースが用意されている。これは臨床研究に必要な定量的ならびに分析的技能を夏の7週間の特訓で教え,これを受講すれば,公衆衛生の修士コースの7単位がとれ,翌年もう一度このコースの上級クラスを受講すると,臨床疫学修得の修士学位がもらえるという。
 臨床疫学というのは,20年以上前からハーバード大学では公衆衛生学部でコースが始められているのであるが,この内容の一部が最近注目されているカナダのマクマスター大学の臨床疫学者の命名の「Evidence Based Medicine(検証に基づく医学)」である。臨床疫学は臨床医学を体系づける基礎的学問であり,日本でも総合臨床内科講座を持つ大学では,若手研究者によりこの方面の教育や研究が着手されたばかりである。
 臨床疫学を世界全体に広げる目的でロックフェラー医学研究所はINCLENという財団を作って推進を図っているが,これについては後で述べる。
 米国の医学校を訪れて感じるのは,多くの医学校には卒前,卒後または医師の生涯にわたる医学教育に医学部の教授陣が非常に協力的であるということである。
 日本では1969年に,日本医学教育学会が牛場大蔵学会長の下に誕生し,私も早くからこの学会の運営に参与したが,米国では教育専門学教授と医学の教授とが協力して医学教育の改善にかなりの予算と人材を投入しているのである。米国では医学生やレジデントの卒後教育,開業医の臨床能力の教育プログラムは,総合内科臨床(General Internal Medicine)または臨床疫学に関心のあるプライマリ・ケア医学の医師の中で特に教育方法に関心を持つ有志の努力によって計画されることが多い。
 ハーバード大学では教育学を専攻したE.アームストロング(Ph.D.)教授が中心となり,ハーバード大学の中にOffice of Educational Development(OED)を設置して,“Med. Ed.(MEDED)News”を1995年秋から年に4回発行している。
 私はアームストロング教授と面会の予約をとることはできなかったが,あらかじめ手紙を出していたので,ハーバード大学の医学教育全般にわたる数多い資料がボストン滞在中の私に届けられたことを感謝している。

つづく