医学界新聞

〈短期集中連載〉

激変するアメリカ合衆国医療事情(1)

日野原重明 (聖路加看護大学名誉学長・聖路加国際病院名誉院長)


 私は1997年12月25日に成田を発ち,米国の東海岸の諸都市――ボストン,フィラデルフィア,ワシントンDCを駆け足で訪問し,1998年の元旦に帰国した。その間,28日の日曜日を除き,26,27,29日の3日間で計15名のハーバード大学の主要なポストにある教官,およびベス・イスラエル病院,ディーコネス病院の各部門の担当責任者と面談した。この日程はM.ラブキン元ベス・イスラエル病院長とハーバード大学出雲正剛教授の厚意により作成された。
 また30日にはフィラデルフィアへ飛び,米国で最も古いジェファソン大学を訪れ,所用で不在のゴネラ医学部長の部屋で元外科学教授ウィリアム・ワグナー夫妻と歓談した。ワグナー教授は,ウィリアム・オスラー博士(オスラーは1884―89年までペンシルベニア大学の教授を務め,ジェファソン大学とも密な関係にあった)の研究者としても知られている。その後フィラデルフィア市にあるINCLEN(国際臨床疫学ネットワーク)のオフィスに事務局長のW.フレーザー博士を訪ね,私が理事長を務める聖ルカ・ライフ・サイエンス研究所とINCLENとの提携により臨床疫学教育を世界に普及させることについての協力申し入れの交渉を行なった。
 次いでプロペラ機のコンミューターでワシントンD.C.に向かい,夕刻ジョージ・タウン大学医学部循環器学助教授のスティーブ・オカダ博士に迎えられた。そして翌31日朝,ダラス国際空港を発ち,帰国の途についた。
 今回の私の米国訪問はわずか6日間であったが,米国の医学・医療ならびに看護学の教育を第一線で指揮する18名の専門家と会い,急速に変貌しつつある米国医療の実状,とりわけ管理医療(managed care)下における医療ならびに医学・看護教育上のすさまじい変化を見ることができた。以下にその情報を提供し,いずれ日本の医療界へも影響を及ぼすであろうこの動向について緊急報告したいと思う。


米国の医療システム

 米国は日本や英国のように,医療皆保険制度はなく,中産階級以上の人は自費で保険会社と契約して,一定の掛け金を支払い,罹病時の入院および外来の医療費を保険会社から支払ってもらう。
 また,1965年にジョンソン大統領の大社会政策のもとに制定された2つの公的医療保険制度が存在し,低所得者(人口の約14%)に対してはメディケイド(貧困者補助保険)があり,州と連邦政府が医療費を負担する。さらに,65歳以上の老人と身障者に対してはメディケア(老齢者・身障者保険)により州と連邦政府が医療費を負担する。しかし,メディケアのカバーする対象は急性期疾患とリハビリテーションの費用に限られており,老人ホームの長期介護の費用は支払われないし,メディケイドにおいてもナーシングホームの入院全コストの52%を支払うに留めている。
 公的医療保険の対象者以外の医療費は,一般人が民間の保険会社やHMO(HealthMaintenance Organization=健康民間団体保健組織)と契約して一定の掛け金を毎月払うと述べたが,保険支払側は病院または医師との間に個々の疾患別に医療費をあらかじめ取り決めておき,その範囲でしか支払わず,保険支払側は常に病院との交渉において,請求される医療費を安く設定するよう折衝する。近年,大病院,中・小病院のいくつかが,合併または大きく連合体を作るのは,連合して医療経費の交渉に臨むための保険会社やHMOに対する自衛手段ともいえるものである。

ケアグループ配下に融合した2大教育病院

 私は過去25年にわたり,隔年ボストン市にあるハーバード大学の教育病院ベス・イスラエル病院を訪れ,この間院長でかつハーバード大学教授を務めておられたM.ラブキン先生と緊密な関わりを持ってきた。ラブキン院長は35歳の時にこのユダヤ系の病院の院長として迎えられ,以後,30年間院長を務め,1972年には米国の病院で最初に「患者の権利を守る確約書」を公表したことで有名な人物である。
 ラブキン先生は,私が日本で主催する数々のシンポジウムやセミナー,ワークショップに対して,それぞれのテーマに最もふさわしい人物を全米を視野に入れて推薦してくださるという,私にとっては米国医療界で最も頼りとするブレインの1人である。さらには,ベス・イスラエル病院は,聖路加国際病院が1993年に全室個室の520床の新病院を作った時,聖路加国際病院の幹部ナースを送って,プライマリ・ナーシングなどの指導を受けさせた病院でもあった。
 当病院は1916年に創設され,高水準の研究・教育・診療を行なう米国でも第一級の病院とみなされており,多年ハーバード大学医学部との間に教育病院として緊密な連携のもとに運営されてきた。ちなみに,ハーバード大学医学部は,大学付属の病院は持っておらず,ボストン市の主な総合病院や高機能専門病院を関連教育病院として契約している。それに対して米国の州立大学医学部は大学付属病院を持つものが多い。
 1996年,ベス・イスラエル病院は隣接ブロックにあるメソジスト教会の事業の1つとして1816年に創立された同じくハーバード大学医学部の教育病院であったディーコネス総合病院(297床)と合一して,ベス・イスラエル・ディーコネス・メディカルセンター(以下BID)となって,場所も職員も配置分けされて1つの病院として機能しているのである。これには驚かされた。
 そして,従来のベス・イスラエル病院はウエスト・キャンパス,ディーコネス病院はイースト・キャンパスと呼ばれており,ベス・イスラエル病院にあった外科,循環器,CCU,ICU,および救命救急センターや検査室はディーコネス病院のあったイースト・キャンパスに移り,産科,日帰り手術部,一般外来と癌センターはウエスト・キャンパスに集中することになった。また,小児科入院ベッドはどちらのキャンパスにもなく,入院が必要なケースは,近くの小児専門病院に送られる。

充実する外来診療部門

 さて,新組織となったBIDでは1997年,ウエスト・キャンパス(旧ベス・イスラエル病院)に,全科の外来棟と日帰り外科外来(day surgery clinic)を新築した。ここは寄付者の名をとってカール J. シャピロ・クリニックセンターと呼ばれるが,将来の米国の外来医療のすばらしいモデルを示そうとしている。
 この外来棟にある日帰り手術棟は,手術部,術後の回復室,退院準備室の3部に区画され,術後の患者は一定時間を回復室で過ごすと,在宅ケアのチームにバトンタッチされ,そこで教育されて同日夕刻に退院する。また,外来棟には,内科,プライマリ・ケア科,その他各科の外来診療部門があり,数多くの診察室がならび,救急以外の予約外来が終日行なわれている。内科系の外来診察室も数多くあり,外来で医学生やレジデント,フェローの教育がアテンディング医師(主治医)の指導でなされている。
 なお,この外来棟の1階には,カフェテリアや薬局があり,また驚くほど立派な患者や家族のための学習室(Beth Israel Learning Center)がある。学習室にはライブラリーがあり,医学や看護の本を自由に閲覧でき,また,在宅ケアのための知識を得たり,実技を教えられたりする仕組みになっている。これは日本からみると20年は先を行くと思うほど整った豪勢な設備と人材が投入されている。
 外来専門棟を建てることは1996年に企画されたが,日帰り手術部門が機能するようになったために,一般外科手術の80%はここで行なうことが可能となり,そのために旧ベス・イスラエル病院の病床を200床削減し,それに伴ってナースも800人減らすことができた。なお,旧ベス・イスラエル病院の外来患者総数は年間21万4600人であったが,BIDの外来棟をオープンしたことによって外来患者数は35万人に増え,経済効果が大きく期待されるということである。

ベス・イスラエル・ディーコネス・マウント・アーバン ・ケアグループの誕生

 ケアグループと呼ばれる連合体の配下には,上記のBIDの他に,少し離れたケンブリッジ地区にある300床の入院棟と外来棟を持つマウント・アーバン病院があり,さらに161床を持つタフト大学医学部の教育病院であるニュー・イングランド・バプテスト病院(整形外科やリウマチ症を含む骨筋肉系疾患が有名)や,58床の地域病院であるディーコネス・グローバー病院,63床の地域病院ディーコネス・ナショバ病院,234床の地域病院,ディーコネス・ウォータム病院(ここは在宅ケアやホスピスケアをも行なう)など5つの病院が近郊のサテライト病院として含まれる。さらに,ボストン近郊にレキシントン・センターというサテライトの外来クリニックが1993年に始められたが,それもケアグループの傘下に組み入れられたという。先のラブキン先生は当グループの専務理事に就任された。
 グループの中核をなすのは,ベス・イスラエルとディーコネスとマウント・アーバン病院であり,したがって,ベス・イスラエル・ディコーネス・マウント・アーバン ・ケアグループ(BI‐Deaconess‐Mt Aubun Care Group)と呼ばれる。これらの病院やクリニックには各科外来と小検査室はあるが,必要時には東・西キャンパスのBIDに送られる。もちろんこのメディカル・センターで余分になったスタッフはサテライトにも回される。
 このケアグループに属する職員総数はナースを含めて1万1500人,うち総医師数は1700人にもなる。ケアグループ全体で,1年間に6万9013人の患者が退院し,総収入は年間16億ドルにものぼると予測される。

ハーバード大医学部をめぐる教育病院の動き

2つのグループに割れたハーバード系教育病院

 ケアグループは,ハーバード大学医学部(学部長以下の教職)とどのようなネットワークの下でお互いに相関して診療・研究・教育の実を上げようとしているのだろうか。これについては図12をご覧いただきたい。
 ハーバード大学でも実力者と見なされ,米国の循環器学会をとり仕切り,ハリソン内科学教科書の編者としても有名なベス・イスラエル病院のブラウンワルド教授は,ベス・イスラエル病院の内科主任を務めるとともに,隣のブロックにあるブリガム&ウィメンズ病院(以下BWH,632床。ここの循環器部門は昔からきわめて有名であった)という大病院の内科の主任をも兼任していた。私が1995年にボストンを訪れた時は,そのような状況であり,ベス・イスラエル病院とBWHとの交友協力関係には密なものがあった。ところが,BWHはベス・イスラエル病院と合併するよりも,1811年創立の米国の代表的な総合病院でハーバード大学医学部の代表的教育病院でもあるマサチューセッツ総合病院(以下MGH,900床)とケンブリッジ市立病院を統合してパートナーズ(Partners Health Care System)と呼ばれる連合体を作った。そこでベス・イスラエル病院はディーコネス病院その他と組んでケアグループを作ったものと私は思う。
 ハーバード大学医学部の学部長は,これまで20年以上もの間生理学者で,ハーバード大学医学部の教育の刷新に貢献したD.C.トステソン教授で,私も長年親しくしていたが,1997年6月には退官され,新学部長はサンフランシスコ市のカリフォルニア州立大学サンフランシスコ校の医学部長兼チャンセラー(学監)として名声のあった臨床神経学者のJ.B.マーチン博士に代わった。彼はカナダのアルバータ大学医学部出身で,その後,マギル大学の神経学部門の主任教授になり,MGHの神経学のチーフを歴任し,カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校医学部長と学監になり,8年ぶりにボストンに戻ったことになる。
 彼は前任地でもサンフランシスコ校医学部の付属病院と,カリフォルニア州バラアトルト市にある私学のスタンフォード大学がサンフランシスコ市に持つスタンフォード大学病院とを合併させるのに実力を発揮したやり手である。また,ハリソンの内科学書の神経学の主任編集者でもある。彼は研究者でもあり,臨床家でもあり,上記のような行政家でもある。
 現在は,ハーバード教育病院群間の協力態勢を何とか作り上げるとともに,ケアグループ系とパートナーズ系との間で保険医療の調整をし,両組織間に患者の取り合いが過酷にならないように調整する仕事に追われているという。

連合体つくり保険会社に対抗

 ニューヨーク市では,10年以上も前にコロンビア大学系のニューヨーク聖ルカ病院がルーズベルト病院と合併したが,最近得たニュースではニューヨークのベス・イスラエル病院(先のボストンのベス・イスラエル病院とは姉妹病院)と同じ傘下になり,臨床検査はすべてベス・イスラエル病院で行なうという合理化がなされたそうである。ニューヨークのベス・イスラエル病院と聖ルカ・ルーズベルト病院との3つの病院の連合体はグレート・メトロポリタン・ヘルス・システム(Great Metropolitan Health System)と呼ばれている。さらにまた,同じくニューヨークのコロンビア大学系病院のプレスビテリアン病院はコーネル大学所属のニューヨーク病院と合併したという。
 これを日本の東京でたとえれば,中央区にある聖路加国際病院と国立がんセンターと豊洲にある昭和大学の3つの病院が合併,もしくは港区の虎の門病院,慈恵医大病院,済生会中央病院が合併するといった病院群の形成である。それぞれの病院の持つ長所部門を生かして,分業を行ない,重複する臨床検査,放射線部門,手術部門などはどこか1か所に統合するという思い切った再構築に匹敵する。
 個人が自由に加入する医療保険(例;ブルークロス社)の他に西部ではカイザー・パーマネンテ・ヘルス・プラン会社,東部ではHMOと呼ばれる民間団体保険組織が主力となって,病院や医師との交渉によって協定値が決められる。これを管理医療(managed care)という。これに政府も関与して決めた疾病別の,1987年から始められたDRG(疾患別定額払い方式,Diagnosis Related Groups)の計算で入院費や治療費その他が病院に払われる。病院側は保険会社との交渉を有利にするために,自衛手段としていくつかの強力な病院を合同または協力して先に述べた連合体を作って医療費支払会社と対決しているわけである。
 マネージドケアを強要するHMOその他の保険会社に対抗するためには,病院を合併経営してその実力で交渉する必要が生じたのである。つまり,銀行や同列企業会社の合併にも似た社会的現象が医療経済にも及んできたのだといえよう。

日本上陸の可能性

 いくら日本と米国の文化が違っているといっても,このようなことが日本の将来に待ち構えていないとはいえない。日本にもいつ来るかもしれない問題であるということを今回の渡米に際して私は強く感じた。
 日本でもどこか大都会の病院がこれを行なえば,各地になだれ現象が生じるのではないかと案じられる。日本には,赤十字系の病院,済生会系の病院,労災系の病院,共済組合系,社会保険系,農協系,徳洲会系などの数々の系列病院があるが,高価な検査機器や材料購入などには,ディーラーとの取引上グループとして当たれば病院側としては有利であるのと同じである。米国では,十いくつかの病院が急いで合併または連合してスタッフ活用や高価な診断・検査治療機器の有効利用を考えざるを得ないところにまで病院経済が追い込まれているのである。一面ではハイテクノロジーの先端医療を経済的に実施するためにはやむを得ない方策といえなくもない。
 個人主義が支配する米国社会において,合理主義と個人主義の両面をよくもこのようにうまくまとめて,病院経営の大変革を行なった米国病院経営者の行動は勇気あるものと感嘆せざるを得ない。

つづく