医学界新聞

連載 市場原理に揺れるアメリカ医療(28)

管理医療に対する反攻(2)-医療に介入するHMO-

李 啓充 Kaechoong Lee
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学医学部助教授


 管理医療では,医療コストを削減するために,患者の医療機関へのアクセスを制限するとともに,施される医療サービスをも制限する。個々の患者に施される医療サービスについて保険会社がその適否を判定し,「不必要な」医療行為が行なわれることを防止するというのが保険会社の言い分である。
 保険会社が医療行為の適否を決める仕組みは利用度審査と呼ばれているが,この利用度審査を巡って,患者・主治医と保険会社の間で係争が生じることは日常茶飯となっている。97年11月に,「医療消費者保護に関する大統領諮問委員会」が答申した患者権利法案では,医療サービスの適否に関する保険会社の判定に対して患者が不服を申し立てる権利を保証することが含まれている。

ある症例とHMO幹部の証言

 「医療消費者保護に関する大統領諮問委員会」が,消費者の不服申し立て権について審議したのは,97年7月,「消費者の権利・保護・責任小委員会―消費者からの苦情,不服に関する施策部会」であった。このとき,米HMO業界を代表して証言に立ったのは,フロリダ州のHMO,アブメッド社副社長のスティーブ・デモントモリンであった。以下,アブメッド社副社長の大統領諮問委員会での証言と,同社の実在の患者症例とを,並行して紹介する。

症例:デイビッド・リー・ビソネット,21才

 デイビッドは脳性麻痺のために,歩くことも座ることもできない。飲食も着替えも他者に頼らねばならず,言葉を話すこともできない。しかし,目・頭の動きで他者とコミュニケートすることは可能で,両親にとっては,普通の人が言葉でする表現よりも,デイビッドが顔でする表現の方がはるかに豊かで多彩なものに感じられるのであった。呼吸器に問題があり,幼少時から呼吸器感染症が原因で入退院を繰り返した。
 父親はフロリダ電力に勤め,1991年1月,勤務先を通じてアブメッドのHMOに加入した。既存疾患もすべてカバーされるとあって,デイビッドの家族にとっては福音ともいえる医療保険に見えた。その後,このHMOと悪夢のような闘いが続くことになるとは知る由もなかったのである。

アブメッド社副社長デモントモリンの大統領諮問委員会での証言

「医療サービスの必要性および適切性を判定する利用度審査は管理医療の核心をなす。臨床においては科学的根拠に基づいた治療方針を設定することが何よりも重要であるが,利用度審査はそれを可能とする」

金曜日の夕刻に届く手紙

 デイビッドは呼吸器感染を起こすたびに,マイアミ小児病院に入院した。入院中のデイビッドに「これ以上の入院は医学上必要が認められず,翌日午前零時以降の入院費用はカバーしない」という手紙がアブメッドから送りつけられるようになった。手紙は決まって金曜日の夕方に届けられた。両親がアブメッドの担当者と交渉したくとも,週末の間は誰とも話すことはできないのである。アブメッドが,事前に主治医や看護婦にデイビッドの病状を確認したことはなかった。
 入退院を繰り返すデイビッドに対し,アブメッドはデイビッドを自宅からナーシング・ホームに移すことを勧めた。ナーシング・ホームできちんとしたケアを受ければ,入院が必要となることも少なくなるだろうというのである。
 91年9月,デイビッドは,アブメッドが提携するナーシング・ホームに入所した。入所後12日目,デイビッドは40度の高熱を発するようになった。両親はナーシング・ホームの医師にデイビッドを診てほしいと繰り返し要請したが,医師は「大丈夫,心配いらない」と電話で言うばかりであった。両親はデイビッドの呼吸器専門医に連絡を取り,その指示に従って,デイビッドをマイアミ小児病院救急に搬送したが,デイビッドは即座にICUに入院となった。
 退院が可能となったとき,アブメッドは「デイビッドを元のナーシング・ホームに戻すよう」指示したが,両親は「あのナーシング・ホームでデイビッドは殺されかけた」とこれを拒否した。交渉の結果,自宅で在宅医療サービスを受けることとなった。
 その後も,デイビッドが入院するたびに,アブメッドは,「早く退院させて,ナーシング・ホームへ移すように」との圧力を繰り返した。

医学的必要性

 92年1月,アブメッドから「デイビッドをナーシング・ホームに移さないのなら今後の医療費はカバーしない」という手紙が届いた。主治医は退院に反対していたが,アブメッドは「デイビッドをナーシング・ホームに移送するのに医学的問題はない」というセカンド・オピニオンを得ていた。しかし,このセカンド・オピニオンを書いたのは,ナーシング・ホームでデイビッドを診察することを拒否した医師であった。両親は弁護士を立ててアブメッドと交渉し,退院後は自宅で医療サービスを続けるという同意を取り付けた。
 その後もアブメッドによるサービス削減・停止圧力は続いた。入院すれば,早く退院させろといい,退院して自宅に戻ると,在宅サービスを打ち切ろうとするのであった。「もう医学的必要がなくなったから」というのがアブメッドの説明だったが,「医学的必要性」についてデイビッドの主治医の意見が聞かれたためしはなく,いつもサービス打ち切りの結論を一方的に伝えてくるのであった。

この項つづく