医学界新聞

「看護職の主体性に関する総合シンポジウム」に参加して

萩澤さつえ (大分医大看護学科教授)


 このようなシンポジウムがあることは以前から聞いていたが参加するのは初めてで,私のように臨床から離れている者でも話についていけるか不安であった。しかし,参加してみて学会とは一味違って格式ばらないユニークなシンポジウムという印象であった。
 今回のシンポジウムの目的は,「看護職が主体的に動くことの医療システムへの影響や意味を,看護職の実践経験から学びつつ探る」というものであった。まず最初に実践経験の発表が12題あり,その後に発表者を囲んでグループディスカッション,発表を聞いてのパネルディスカッション形式の座談会,そして最後に「看護職が主体性を育てるために」と題する実行委員長の小島通代先生の講演でまとめられた。
 発表された実践経験は,どれも現場に根ざした生の看護が肌から伝わってくる発表で,野菜で言えば店頭に並ぶ前の「取りたての野菜」とでもいうべきであろう。○○理論や××枠組みを使って行なった研究発表というものではなかったが,それが逆にとても新鮮で,私たち看護職がよって立つべき足下をもう一度見た思いがした。
 グループディスカッションで私が参加したグループは,「肺理学療法の効果が評価された症例」で,薬物(抗生物質)の使用が難しい肺炎患者に背部温罨法とバイブレーターを用いて肺理学療法を行ない,挿管をせずに呼吸状態を改善することができたという報告であった。単なる苦労話やハッピーエンドの話ではなく,聞いていてその看護現象,あるいは看護のかかわりに,どのような原理原則が潜んでいるかを見抜く,発見するという面白さがあった。素材としては素朴であったが,その中にキラリと光る「看護」が見え隠れするのが魅力的で,思わず話の中に引き込まれてしまった。
 日本の医療システムの中では,実践の場で共有し合う研究的な視点は,このようなものではないかと思う。例数が少なくても,研究としての「形」が不十分でも,本当に患者のために考えた看護であれば,必ず患者の状態や反応の変化として評価を得ることができる。そのような事例を積み重ねることによりいつの日か,今まで気づかなかった共通性が見えてくるのかもしれない。また,そのような取り組みを続けることによって医療のシステムを変えていく起動力になるのかもしれない,と考えた。