医学界新聞

第4回WHOヘルスプロモーション
国際会議に参加して

中村桂子(東医歯大医学部・公衆衛生学)


 1997年7月21日から25日まで,インドネシアのジャカルタで,第4回WHOヘルスプロモーション国際会議が開催された。1986年にカナダのオタワで開催された第1回の会議では「ヘルスプロモーションに関するオタワ憲章」が採択され,その後の世界のヘルスプロモーションの推進に大きく貢献した。第2回(オーストラリア,アデレード),第3回(スウェーデン,サンドバール)に続く今回の会議は初めてアジアで開催された会議であり,また研究者,行政組織,地域の実践家,民間組織,産業界が初めて一堂に会する機会となった。
 参加者は約100か国から集まり,総勢500名近くにのぼった。まさに国際色豊かな会議であった。それは肌の色が多様であるだけでなく,それぞれの国の健康水準や,環境条件,社会経済条件が多様であり,またヘルスプロモーションへの取り組み方もさまざまであった。参加者はヘルスプロモーションの理論や手法,研究成果を共有し,これからの時代に必要な視点やアプローチについて討議した。
 筆者は,本会議の会議諮問委員会のメンバーとして企画の段階から関わり,会期中はシンポジウムのラポルターを務めた。

ジャカルタ会議の準備と成果

 第1回のオタワ会議以来の10年間の成果を評価するために,今回のジャカルタ会議は3年間以上の準備を積み重ねて開催に至った。準備の期間には,新しい用語集をはじめ,数々のプロジェクトの評価研究報告などが用意され,会期中はこれらの成果に基づいて活発な討議が行なわれた。そしてこれらの議論の結果を反映させるプロセスを経て,最終日に「ジャカルタ宣言」が採択された。会議終了後には,種々の成果物の出版やフォローアップ会議が企画されていた。
 プレナリーセッションでは,世界各地域のヘルスプロモーションの実践や研究のレビューが発表され,今後の課題についての基調報告があった。限られた社会資源をいかに効果的に活用してライフスタイルの変容を導き,健康決定要因となる社会経済条件ならびに環境条件に望ましい変化をもたらすことができるか,という視点でヘルスプロモーションについて議論された。シンポジウムでは,健康都市,学校,職域,加齢と健康,運動,ヘルスコミュニケーション,マスメディア,情報技術,保健計画,メガシティ,メガカントリー,などのさまざまなテーマについて,発表と討議を行なった。シンポジウムの成果をフィードバックして,連日深夜まで「ジャカルタ宣言」の案文を練る作業が行なわれた。

健康都市ネットワーク

 「健康都市」は,ヘルスプロモーションの実践プロジェクトとしては最も長い実績を持つ。ヨーロッパから始まった「健康都市」づくりは,現在1000か所以上の都市,島,町,村,コミュニティに広がり,人口数1000の都市から人口800万以上のメガシティで,多様な「健康都市」が展開されている。
 シンポジウムでは,「健康都市」は人々が住む地域を舞台とするヘルスプロモーションの実践であり,その地域の人口規模や政治社会背景,経済条件,環境条件に関わらず展開されるものであることが確認された。
 地域のレベルで他部門間の連携協力を実現して政策決定に取り組み,住民のより高い健康を実現するために地域のニーズに即した計画を立案し,それに基づく事業を展開することが,「健康都市」の成功に不可欠の要素である。世界の健康都市ネットワークの共通基盤として「健康都市のパートナーシップに関する宣言」がまとめられた。

メガシティにおけるヘルスプロモーションの展開

 人口が800万人を超すメガシティは1995年現在世界に22都市あり,2億7千万人が生活している。2015年には33都市5億人に達すると予測されており,そのうち20都市がアジアの都市である。
 メガシティにおけるヘルスプロモーションの展開例を検討し,今後の課題が討議された。メガシティは,食糧供給,安全,住宅,環境,貧困,薬物,エイズなどの多くの課題に直面し,一方で都市開発が集中的に行なわれ,経済成長に貢献する役割を担っている。メガシティでは大仕掛けのメカニズムが必要であり,そのための政策立案が求められること,健康情報や都市環境情報をビジュアル化する手法が有効な研究手法の1つであること,ヘルスプロモーションの財政基盤の確保などについて議論された。メガシティは,ヘルスプロモーションの展開にあたって,鍵となるセッティングであり,メガシティ間で経験や情報,研究成果を共有するためのネットワークを構築することとなった。

ジャカルタ宣言

 「21世紀のヘルスプロモーションに関するジャカルタ宣言」は,会議の最終日に採択された。宣言では,ヘルスプロモーションは健康決定要因(health determinants)に働きかけることによって,人々の健康の最大限の向上を達成し健康格差を縮小することを明示している。
 オタワ憲章で示された5つの手法(健康を重視した公共政策,支援的環境,地域活動の強化,個人の能力の開発,保健サービスの方向転換)は,ヘルスプロモーションの展開に不可欠の手法である。これまでの成果に基づいて,成功を導くために中核となる要素を次の4点にまとめている。
1.総合的なアプローチ:オタワ憲章で示された5つの手法を組み合わせた総合的なアプローチによる健康開発が最も効果的である
2.セッティング:メガシティ,島,都市,地方自治体,地域共同体,市場,学校,職場,保健医療施設といったセッティングは,総合的な戦略を実施する現実的な場である
3.参加:人々がヘルスプロモーションの行動と意志決定の過程の中心となることで,努力が持続的に効果を発揮する。
4.健康学習:教育を受け情報を手に入れることができることは,人々の参加を効果的に実現し,人々と地域の力を高めるために不可欠である
 21世紀のヘルスプロモーションの優先課題として次の5点を提示している。それは,(1)健康に対する責任を社会が積極的に果たしていくこと,(2)健康開発への投資を増加すること,(3)健康を実現するためのパートナーシップを強化拡大すること,(4)コミュニティの能力を高め意志決定に個人が参加する権限を与えること,(5)ヘルスプロモーションの展開に必要な基本資源や組織基盤および教育と研究を財政的制度的に保証することである。

今後のヘルスプロモーション研究

 ジャカルタ会議には,公衆衛生学,ヘルスプロモーションの研究に携わる世界の主要な研究者が参加した。参加研究者には,過去10年間のヘルスプロモーションの成果を批判的に評価するという役割と,今後の健康開発を推進していくための理論的枠組みを構築するという役割があった。先進国だけでなく途上国でも積極的に展開していくための手法と理論,いわゆる欧米文化圏だけでなく世界人口の6割を占めるアジアの文化圏をはじめ,他の文化圏で展開するための手法と理論,世界の社会経済の変化や,情報通信をはじめとする科学技術の発展,急速に進む都市化と多様化する地球環境問題などを踏まえて,これらの変化に対応できるヘルスプロモーションの理論的根拠が求められていた。
 ヘルスプロモーションの研究分野では,特に実践研究,参加型研究の重要性が指摘されている。新たな理論的枠組みの構築は,机上の作業だけでできるものではなく,ヘルスプロモーションの実践者と研究者との共同作業が不可欠である。世界各国で共有できる理論の構築となると,そのための共同作業の場を持つことは容易ではない。ジャカルタ会議はそのための共同作業の場として,他では得られない貴重な機会となった。公衆衛生学研究に携わる者としては,大いにその醍醐味を味あわせてもらった。アジアの人口増加,経済成長を考えると,ヘルスプロモーションの分野で日本が果たすべき役割は大きい。基礎研究,実践研究を踏まえた理論構築にあたっても,日本の研究者の活躍は,国内はもちろんのこと国際的にも大いに求められていると思う。
 会議参加にあたり,金原一郎記念医学医療振興財団から研究交流助成をいただきましたことに,心より感謝申し上げる。