医学界新聞

医学生・研修医版[2]1998. FEB.

作法・態度・技術
 インタビュー・フィジカル

〔座談会〕

クリニカルクラークシップ
 OSCE

基本的臨床能力の習得と教育

石丸裕康氏
(天理よろづ相談所病院・
総合診療教育部)
伴信太郎氏
(川崎医科大学助教授・
総合臨床医学)
栗山 勝氏
(福井医科大学教授・
内科学第2)
高林克日己氏
(千葉大学・内科学第2)


基本的臨床能力とは何か

(司会) 「基本的臨床能力」の中心に位置づけられるものは,医療面接や身体診察法(インタビュー・フィジカル)という昔からの臨床技能です。これらの教育が最近注目されている背景には,ハイテクノロジー,ロータッチという現在の医療に対して,インタビュー・フィジカルが持っているハイタッチ,ローテクノロジーというヒューマニスティックな側面だけでなく,それから得られる臨床情報としてのパワーも科学的に見直され,それを感度とか特異度といった言葉で裏づけるようなことがなされてきていること,さらには,こういう技能に関する新しい教育法が開発されてきていることなどがあります。
 このような背景を踏まえながら,本日,お集まりいただいた先生方には,基本的臨床能力の教育について,それぞれのお立場から忌憚のないご意見をいただければと思います。

患者さんに接する際の最低限の作法・技術

 まず,基本的な臨床能力とは何かという問題を話し合っておきたいと思います。どのレベルが基本的かというと難しいですが,臨床に進むのなら,どこの科に行く学生でも最低これぐらいは身につけておいてもらいたいというレベルを基本的な臨床能力と考えていただいて,議論をお願いいたします。
栗山 1つには,何をするにも作法のようなものがあると思います。医学には人間学のような側面があり,人とのつき合いのなかで,言葉遣いとか,手を触ったりするときの作法のようなものがありますが,学生を見ているとそこからなっていません。まずはそれをきちんと教えることが大事です。
 そして,診察をするにもやはり順番があります。例えば,頭を診た後に足を診るなど,へんてこなところにいったら困るわけで,流れのある無理のない診察方法をきちんと教え,そして,各々の診察の意味を,アクセントをつけながら教えていくことが大切だと思います。
高林  臨床能力という言葉からすれば,ただ単に所見をとるとか病歴をとることだけでなく,データの収集と集めたデータをどうのように整理して診断にもっていくか,そして次にそれをどうアウトプットするか,カルテに書く,あるいはプランを立てる,説明をする,それを可能にする能力が,総合的な臨床能力だと思います。
 ただ,ここで言う基本的という意味が,ベッドサイドを始めるに当たってのミニマムリクワイアメントだとすると,患者さんに接したときにトラブルが起こるような,「これで医学生か」と言われることがないようなものであるべきです。そう考えれば教えることは自ずから決まってくるのではないでしょうか。

流れの悪い卒前・卒後の教育

石丸 私自身,卒後研修に主にかかわっている立場だからだと思いますが,卒後研修がどういう形であるかということと結びつけて考えなければならないと思います。
 私の病院では,2年間全くどの科にも属さずに,外科の患者さんを診たり内科の患者さんを診たりしますが,別の病院では卒後すぐにローテートする研修医もいるわけです。そうすると,最初に循環器内科を回ったら,循環器内科の知識を学ぶことではなくて,まず医師としての作法や身体の所見をどうとるか,もっと低いレベルでいうと処方箋をどう書くかといったことに明け暮れて,結局何のためにローテーションしたのかわからない状況になってしまうという話を,ある施設の方から聞いたことがあります。
 広い意味での臨床技能の基本は,卒後研修にスムーズに入れるために,だれにも教えてもらえないレベルのところを形成しておくことに意味があるのではないかと思います。私の病院では,2年間かけて,卒前教育で不十分であった部分をやり直して,態度の習得や基本的能力の訓練をしています。ただ,本来そういった部分は卒前教育に移っていったほうがいいのかもわかりません。というのも,卒業したら専門科に行ってしまう人もいるわけで,そういう一連の流れとして,卒前ならこのレベルまでということが設定されたほうがいいのではないかという気がします。
 では,具体的にどのあたりを基本的ととらえるのかは,卒後研修などの実情にあわせて変わっていくのだと思いますが,実際に患者さんを診るというか,自分で責任を持って臨床行為をしていく前の能力であるという視点が重要ではないかと考えています。
 卒後研修にくる段階で基本的臨床能力がないから,そこで初めて教えている,ということですか。
石丸 ある意味ではそうだと思います。むしろその部分が大学で教えられるようになっていけば,卒後教育のあり方も徐々に変わっていくのではないかと考えています。

「診ながら学ぶ」それでいいのか

 欧米では,日本の現状に比してツーステップぐらい前の段階でこうした基本的臨床能力の教育が行なわれ,クリニカルクラークシップにいく前の段階で,恥ずかしくないような準備がされています。今の日本の状況は,卒業する時点でもまだ準備されていない。
栗山 患者さんを診ながら覚える,という感覚があるのだと思います。実際に患者さんに接しながらそこで覚えていくというのが,今までの悪い伝統です。患者さんを診る前には,ある程度の型を整えなくては。そこが一番の基本になるものだと思います。
高林 確かに,シミュレーションという教育手法が出てきたり,人権意識の高まりなど,さまざまな要因で,世の中が変わってきていると思います。
 昔は医師が患者さんを診ながら学ばさせてもらった。けれども,それではまずい,その前に自分たちで,あるいは人形を使って練習するほうが,むしろ典型的な事例を学べます。患者さんを診るというのはどうしてもノイズが入ります。最初は単純な典型的な形が一番望ましいですけれども,それが今まで行なわれてこなかったと思うのです。
 まずモデルで練習して,次のステップでは学生同士で互いに練習して,さらに次の段階では模擬患者(SP)の方,あるいはペイシェントインストラクターなどとの訓練を重ね,ある程度型が整えられた上で実際の患者さんに触れてください,ということですね。
石丸 私の病院のレジデントもそうですが,実際,型がないまま診療に入ってしまうと,無理やりにでもそういう型を最初の何週間かで作らなければならないので,相当ストレスフルな状況になります。だから,卒前教育のレベルで,身体所見の取り方とか基本的な形が身についているのであれば,もっとスムーズに入れるのではないでしょうか。今見ていると,かなり気の毒に見えます。実際,基本的な形がないと,何が典型的で何が非典型的なのかという本来臨床で学ばなければならないところが困難になってしまうと思います。

現在の医学教育に欠けているもの

 先ほど高林先生がおっしゃったデータ収集,解釈,アウトプットなどのクリニカルエピデミオロジー(臨床疫学)といわれる領域は,ベーシッククリニカルサイエンス(基礎的臨床科学)と言われ,これも基礎的な臨床能力とされるでしょう。
 その上で,採血ぐらいはできてもらわないと困るとか,病棟の実習では,患者さんが突然倒れるなどということもあるかもしれないから,心臓マッサージぐらいはできてもらわないと困る,というような技能的なことや,患者さんやその家族との接し方,すなわち,ただでさえ弱い立場でいらっしゃっている人に,よけいなストレスを与えることがないような態度をとるということも当然含まれてきます。
 そこで私は,基本的臨床能力の全体像を捉えやすくするために,基本的臨床能力を知識・情報収集力・総合的判断力・技能・態度の5つに分けた上で,各々を3つの要素に分類して考えています(参照)。石丸先生が言われたように,今の日本における医学生が卒業時に身につけている臨床能力は,想起レベルの知識を大量に蓄えている一方,情報収集については検査偏重で,総合的判断力・技能・態度などの面はきわめてお粗末な状態だと思います。

卒前教育での問題点

 さて,現在の卒前教育での問題点についてもう少し議論したいと思います。
石丸 やはり,そこで教えられるべき「標準的な臨床技能とは何か」ということが確立されていないのが問題です。私の病院はさまざまな大学を卒業した方が来られるのですが,例えば「神経学的所見も含めた一般的身体所見をとりなさい」というと,特に神経学的所見に顕著なのですが,腱反射だけ書いているとか,腱反射と少し麻痺がないかを診るだけで終わりとか,脳神経の診察を順番にやっていなくてバラバラに記載していたり,統一がとれていないことが多いです。
 何年目ぐらいのレジデントですか。
石丸 入ってくる前のオリエンテ―ションの際の体験です。だから,そういうばらつきは,これから研修する上で気の毒だし,卒後研修でカリキュラムをつくるにしても,少なくとも医学部を出たらこれぐらいのことはできているはずだという共通したアウトラインがないと,なかなかスムーズに次の過程に進んでいけない気がします。
栗山 しかし,別の視点からこんな見方もできます。私は神経内科の専門医ですが,神経内科を指向する人は神経はしっかり診ることができますが,心臓の聴診などは何も診ることができない。貧血もみていないし,黄疸も指摘できない。つまり全身の見方ができていないんです。
 やはり神経内科のスペシャリストであっても,ジェネラルなきちんとした見方は素養としてもっていないといけない。心臓も,あるいは眼科や耳鼻科のエッセンシャルなことも含めて,基本的なことは絶対落とさないことが大事だと思います。
高林 卒業して入局する直前は,国家試験の知識で頭がいっぱいになっているので,難しいことばかり知っていて,一番簡単にできるはずのことがおざなりになってしまうのでしょうね。
 ですから,今,指摘された課題を,いかにして国家試験の中に盛り込んでいくかがポイントになるのではないかという気がします。
 そうですね。例えば,日本の英語教育でスピーキングやヒアリングのレベルの低さが問題になりますが,大学の試験でスピーキングとヒアリングの試験を課さないことがその結果を生んでいるともいえます。
 すなわち,評価法が学習者の学習態度に大きな影響を与えているのだと思います。ですから,石丸先生が言われるように,研修医が来ても何も役に立たないというのが現状だと思います。
石丸 卒前教育では,少なくとも身体所見や医療面接の基本的技能はないものだという前提で,卒後教育を組み立てなければならない現状です。
 まさにに示した状態ですね。

クリニカルクラークシップ

 ところで,クリニカルクラークシップは栗山先生のところもやられていますか。
栗山 まだですが,ベッドサイドラーニングのときになるべくマンツーマンで,1-2年目の研修医に,「大変だけれども,自分が学ぶと思って学生を1人頼む」と,つけています。文句が出る人もいますが,そこに楽しみが生まれるような場合もあって,まだ本当に毛の生えたような程度の試みですけれど,滑り出しとしては比較的スムーズです。
高林 千葉大は,来年度の6年生からクリニカルクラークシップを始める予定です。
 アメリカのクリニカルクラークシップでは,学生が来るとレジデントは非常に楽になるんですね。それは学生がレジデントの肩代わりをするからです。すなわち,その時点である程度臨床能力があるわけです。けれども日本では,クリニカルクラークシップに学生が来ると,研修医や指導医は仕事が増えてしまう。これはまさに臨床能力のない学生が来ているからです。
 ですから,病棟実習に行く前に,インタビューフィジカルを中心にした基本的な臨床のトレーニングが大事だと思うのです。今まで卒前ではそのあたりの臨床のトレーニングが乏しかった。
高林 少なくとも僕の時代には全くありませんでした。ただ,そのときはそのときなりのやり方でやっていて,それでよかったのかもしれない。その後,医学情報が急激に増えましたから,それをマスターしなければならなくなると,そちらの比重が大きくなる。相対的に所見のとり方が,おざなりになってはいけないのですが,どうしても小さくなってきてしまう。おまけに国家試験には出ないとなると,それは忘れられてしまうということになると思うのです。
 僕もそういう教育は受けてないわけですが,比較する対象のないうちは,これでいいのかなあと思っていました。しかし,渡米してこういうスタンダードもありますよと見せられたら,自分のレベルの低さを思い知らされて,「これではあかん」と思いました。栗山先生の場合はいかがですか。
栗山 前に所属していた大学以上に,学生とつき合う時間が長くなり,より密につき合い,教育する機会が増えました。そうすると,卒業直前の学生であってもほとんど患者さんを診られないという程度の低さを感じたものですから,これは対策を講じなければと思ったわけです。川崎医大などを参考に,一生懸命やっているところはあるわけだから,私たちも負けないようにやらないといけないと思ったのです。
 石丸先生,どうですか。ほかの方に比べて,学生の時代により近いと思いますが。
石丸 学生時代は知識的な教育はありましたが,技能的な部分は基本的にはなかったですね。態度的な部分に関してもほとんどなかったと思います。
 クリニカルクラークシップの話と関連するのかもしれませんが,私自身の原点は,例えば救急外来に出ると,1-2年上の先生は患者さんを手際よく診ていくけれども,自分は何もできないわけです。逆に見ると,1-2年後にはあのようにならなくてはならないのかという危機感が一番大きかったように思います。さらに,1年目から2年目になるときは,後輩が来るのだから,あまりにも基本的なことで迷ったりしてはいけないという危機感が働くので,今でもその段階の先生は,緊張感がかなり大きい。
 だから,ちょっと上の人がある程度できると次の人も頑張るし,そういう相互作用があるのではないかと思います。 

新しい臨床医学教育とは

限界にきた従来型の教育

 1-2年上の先生は確かにできるようになるんですけれども,栗山先生もおっしゃったように,今までの教育システムだとスタート時点が卒後にずれていて,しかも実際の患者さんを相手にしているものだから,トレ―ニングの間に診察を受けている患者さんは迷惑をこうむっているという側面はありますよね。
石丸 そこを態度というか,1日何回でも病棟に行って患者さんに会うことでカバーしろと私たちは言うのですが,本当のことをいうと,それではいけないのでないかと思います。
 患者さんの善意に支えられて医師がプロになっていく過程はやはり問題がある。患者さんの側の意識も,今後大きく変わっていくことでしょう。少なくとも患者さんの人権意識とか,医療を受ける権利としての意識は,10年,20年前に比べると大きく変化したと思いますし,いつまでもそういう形で医師が教育されていくことに疑問も感じます。
 卒前教育については,手取り足取り教えるべき技能的な部分と,自己発見的,自己啓発的に自学自習していくところを明確に区別すべきです。また,研究的な面への導入や職能教育的な部分などへのウエートの置き方は,それぞれ大学の教育の大綱化によって差異化されてくると思います。
 しかし,医学部は臨床医を育てるという社会に対する役割を担っているのも事実です。それを果たすためのミニマムの確保の仕方,ウェートの置き方はどうですか。
高林 教えなければいけないことが増えた一方で,講義の時間は限られているので,その中で全部教えることは到底不可能です。それがいまだによくわかっていない先生方が多いのです。知識伝授型の教え方では限界があります。別のやり方で啓発して自分で勉強してもらわないかぎりはとても覚え切れるものではありません。このことを教官が理解しなければならない。
 その上で,相対的に短くなってしまった内科診断学の時間をいかに有効に使うかということになると,実技で教えるのが手っとり早いし,確実であると思います。

学生の評価,教官の評価

高林 もう1つの問題点は,技能に対する評価が今までなされていないということです。必要な技能がしっかり身についているかどうかを確認せずに卒業してしまうから,先ほど石丸先生がおっしゃったようなことが起こるのだと思います。
栗山 教育機関としての大学の役割を考え直すことも必要です。私たちは医師だけれども,教える立場として,教え方に関して全然トレーニングされていない。教える立場の人が方法論を持たないのは問題だと思います。日本医学教育学会のワークショップ(資料)も含めていろいろなところで勉強すると,科学的で有効な教育方法があるわけですから,もっと活用すべきだと思います。
 また,よく指摘されることですが,大学が研究指向になって,教育をしている人があまり評価されず,学生に教えることが少数の人の犠牲に上に成り立っていますね。それもおかしいことで,文部省や厚生省にはよく考えてもらいたいと思います。
高林 少なくとも講師になった時点で,教育法のワークショップに行かなければいけないとか,医学教育の勉強をしなければいけないという条件が必要ですね。それから,確かに教育実績を評価していただかないと,インパクトファクターだけでやられると困ります(笑)。
 ソウル大学にはナショナルティーチャーズトレーニングセンターというものがあって,韓国の医科大学の講師になったらそのトレーニングセンターへ行って,いわゆるティーチングノウハウのコースを受けないといけないことになっているようです。日本にもこのような仕組みは必要なのではないでしょうか。最近日本学術会議は医学教育センター(仮称)の設置の提言を行なっているようですが。
 また世界の医学教育は,高林先生がおっしゃったように,自己啓発型のテュートリアル教育に進んでいる一方で,インタビュー・フィジカルなどのhands-on trainingの部分は,十分な時間をとって教育するという方向に進んでいます。例えば,ハーバード大学はリサーチも世界一流,そして自己啓発型のPBL(Problem Based Learning)方式も取り入れたと同時に,インタビュー・フィジカルを含めた基本的臨床技能教育もぐんと充実させています。教官の数が違うじゃないかとか,いろいろな反論はあるわけですけれども,大学全体として臨床のミニマムなトレーニングをきっちり押さえているというところは見習うべきです。リサーチャーをしっかり育てようという大学にとっても,1つのいい例になると思います。
 さて,これまで出てきた問題としては,「評価」ということが大きな問題として浮かび上がってきました。国家試験も学生をどう評価するかということですし,教官も業績評価がどうなるかでその行動が左右されているところがあります(教育の軽視)。評価の大切さは,教育の領域あるいは人間の行動という領域では強調されています。何らかのインパクトを与えようと思ったら内容を変えるのが本当であって,それに評価がついてくるものですが,まず評価を変えないと内容が変わらないというのが現実だと思います。

資料 全国規模の医学部教官・臨床研修指導医のためのワークショップ
ワークショップ主催回数対象定員
医学教育者のためのワークショップ文部省・厚生省年1回大学教官・臨床研修指導医各20人
臨床研修指導医養成講習会医療研修推進財団年3回臨床研修指導医50人
「基本的臨床技能の教育法」ワークショップ医学教育学会臨床能力教育ワーキンググループ年1回大学教官(臨床研修指導医)約30人

OSCE-新しい「教育のための評価法」

改革へ向けた取り組み

 基本的臨床能力の教育の話にもどりますが,日本医学教育学会のワークショップ(本号に関連記事を掲載。この座談会は同ワークショップの終了直後に収録したものであり,本座談会発言者の4氏全員が同ワークショップに参加している)では,いくつかの新しい教育技法を紹介していますが,各大学内の環境もありますから,すぐに取り組めるものではないと思います。栗山先生としては,具体的にどのような形で改革を,イメージしてらっしゃるのですか。
栗山 スタンダードを学ぶのに適したビデオ教材を用い,フィジカルな見方をトレーニングしています。しかし,まだまだ足りませんので,インタビューのテクニックを早期からやってみたいと思っています。来年からはどうにかした形で入れたい。
 それから,OSCE(Objective Structured Clinical Examination:客観的臨床能力試験)がいいとは聞いていましたが,実際に自分が体験して,非常にいい方法だと実感しましたので,絶対取り入れたいと思います。
 評価があると学生も一生懸命になりますし,国家試験にもそういう実技が入ってくるという話も聞いていますので,一生懸命勉強するのではないかと思っています。
高林 私の大学では昨年の4年生からテュートリアルと臨床入門というのが始まりました。その臨床入門の中にインタビュ―の時間と診察技法の時間が入っているわけですが,それぞれ5時間ずつです。
 今回のワークショップでインタビューの仕方の練習を見ていると,とても5時間では足りない,倍くらいやらなければいけないと感じています。一方で,3時間目ぐらいになると,だんだんみんな慣れてしまって,確かにうまくこなすようになるのですが,本当にわかっているかどうかというのは,やはり全員にやらせないことにはわかりません。
 具体的には,今年はどういうふうにやられたのですか。
高林 劇場型というか,教室の前を舞台にして,指名した学生が医師の役を,教官が模擬患者の役をやるというものです。それを2組取り上げました。そして医師役の学生の評価を,周りで見ている学生と模擬患者役の教官に聞いて,みんなで考えるという形です。
 内科だけではなく,精神科,小児科で両親と面接するとか,いろいろなパターンをとってはみましたが,基本に通ずるものがないといけない。そして一人ひとりが練習しないとうまくならないという気がします。
 周りで見ていた学生の意見は,ランダムにあてて聞いたわけですか。
高林 ランダムにあてて聞いたのと,あとは全員からアンケートをとっています。

臨場感ある教育

 先生とよく似たやり方を徳島大学外科の寺嶋吉保先生がやっておられます。
 学生の代表が医師の役を,教官が模擬患者の役をやって,小グループでディスカッションをさせて,発表させるというものです。すると,インタビューの基本のポイントが,大体各グループから出てくる。ちょっとずつ違った角度からいくつかのポイントが出てきて,足し合わせたらチェックポイントがほとんど網羅されている。学生の感想も,「こんな新鮮な講義は久しぶりにやりました」という反応だったとおっしゃっていました。
高林 臨床の現場という臨場感があるわけですね。学生にはそれまでそういう機会が全然なく,医学部に入ってきて初めて医師らしいことを体験したのが新鮮だったようですね。
 寺嶋先生がおっしゃっていたのは,臨床らしいということと,学生が自分で考えて,自分で意見を出して……。時間の制約やマンパワーの問題で,各人が全員やれるというところは少ないと思うんでが,劇場方式でも工夫によってはかなりの効果をあげることができますね。
高林 問題は,あまり意欲のない学生が小グル―プの中でも結局浮いてしまうのではないかという懸念がありますね。
栗山 ちょっと話は変わるかもしれませんが,模擬患者(SP)を用いた教育法を今回のワークショップで経験して,新しい方式だし,今後絶対に取り入れていかなければならないと思っているのですけれども,実は去年から,グル―プでポリクリに来たときに,3時間ぐらい時間をとって,私が模擬患者になって教えているんです。私がある病気の真似をする。神経内科というのは,反射の左右差だとかバビンスキーだとか結構真似ができるのです。神経の診かたも全身的な診かたも,私が裸になってやります。
 そうすると学生たちは非常に喜ぶわけです。実際に患者さんを診たという実感があって,好評でしたので,今年も続けているわけですけれども,私も体1つですから(笑),何人も模擬患者をつくることが今後ものすごく大事だと思っています。
 先生の教室に回ってきたときにはすべての学生さんができているわけですか。
栗山 3時間の中で,インタビューの最初のセクションを一番目の学生がする。それを見ながら後の学生が気がついたところを指摘していく。その次の学生は,今指摘されたことを踏まえてもう1回とり直す。その次には,全身的な所見を診なさいと2人ぐらいでやらせて,さらにあとの2人には神経の所見をとらせる。そういうことをして,みんなが一緒になって一人前というか,1つのパターンが終わるというシステムでやっているんです。これは私も非常に楽しいですね。
 若いスタッフに手伝ってはもらえないのですか。
栗山 手伝ってもらいたいとは思っているんですが,みんななかなか忙しいものだから……。けれども,将来はぜひともさせていこうと思っています。
 私のところの診察教育にも,マンパワーがないという事情もあるのですが,3-4年目ぐらいのレジデントには評価者になってもらっています。評価のための打ち合せ会や評価をしている最中に学生が言われていることのフィードバックが彼らにとって非常に勉強になっています。
 基本的臨床能力の教育は本当はだれでもできないといけないレベルのことで,ジュニアスタッフでもできると思います。
栗山 ぜひそうしたいと思います。
 それから,OSCEを日本で初めて川崎医大で導入したのは1992年で,5年ぐらいしかたっていませんが,わりと短期間のうちに,導入する施設が増えてきているんですね。現在,10校くらいの大学で導入されています。
 ただ,OSCEはあくまでも評価法で,フィードバックを含むOSCEは,方略的な側面もあるわけですが,インタビューや身体診察の実習があって,それがどのくらいできているか,これぐらい不足しているという評価法としてOSCEがあるのであって,実習なしでOSCEだけ,例えば6年生のベッドサイドラーニングの最終段階でぽんとやるというのは,まったく実技評価をしないよりはましですが,本来の姿ではないと思います。

いかに基本的臨床技能を学ぶか

新しい教育法,学習法に触れる

 さて,それではこのような基本的臨床技能の学習が「大切なのはわかったけれどもうちの大学では実施していないんです」という熱心な学生へのアドバイスをお願いします。
石丸 なかなか難しいですね。私たちは,研修医を対象に模擬患者(SP)を用いた研修を5年ぐらい前からやっていますが,クローズドではありません。実際,見学に来られたりする学生もいますし,拒んでいるわけでもないので,来て,そういうことに触れることも大事じゃないかと思います。
 なるほど,熱心に研修をしている病院に行って見学させてもらうことですね。
石丸 連絡していただければ,「こういうときにやりますから来てください」と言うこともできるかもしれません。私たちも,一応全員にやってもらいますけれども,単発でやるので継続してできているというのではありません。ですが,コミュニケーションが大事だとか,ここであんな言い方をしたのはまずかったという気づきにはなると思います。
 今,そういう類の日本語の教科書はたくさん出てきていますから,その見学した経験を軸にして勉強していけば,今の卒前でいえば,かなり高いレベルまでいけるのではないかという感じがします。
高林 今,どこの大学も新しい教育手法を取り入れようという方向に向いているという思うのです。だから,遅かれ早かれいずれそうなっていくのでしょうが,今どうしてもそのような教育に触れたいという方は,もちろん来て見学されたければそれは可能です。あるいは,いろいろなビデオ教材がありますから,そういったものを活用して勉強されるのも手だと思います。
 確かに日本はアメリカに比べると遅れているという話がありました。テレビドラマの『ER』などを見ていますと,アメリカでは医学部の4年生(6年生)でもすごくできるわけですが,実際には日本とアメリカは2年間違うわけですよね。日本の研修医の2年目に彼らが当たるので,そう考えてみると,決して日本の学生ができないわけでもないと思っているのです。いずれ追いついていくなら,それはそれでいいのではないか。早いか遅いかの違いではないかという考え方はあると思います。

患者さんを診る資格

高林 しかし,少なくとも患者さんに接するときに最低限必要な能力はもってなければなりません。
 最初に教えておかなければいけないのは,栗山先生がおっしゃった礼儀作法だと思います。当たり前のことのようだけど大事なことで,私たちでさえも,面接のときに,患者さんの話を傾聴する,それからいろいろな質問をするということを忘れている,あるいは全然知らない先生がたくさんいらっしゃるわけですから,それを最初に教えることが一番大事で,それが本当のミニマムエッセンシャルではないかという気がします。
栗山 私たちの大学では5年生の1学期の終わり,夏休み前に診断学実習をやって,5年生の2学期からは実際のポリクリに入るわけです。夏休みがそこに入るわけですけれども,3週間一生懸命やって,夏休みが明けて学生が来たときに,その後自分たちでトレーニングをしたかというと,ほとんどやっていません。
 「どうして,お父さんお母さんを夏休みに診なかったか。お父さんお母さんを診たら,自分の息子,娘が医者らしくなってきたことに喜んでお小遣いが上がるよ」と言っているんですけど(笑)。とにかく練習しないんですよ。それは,正常の人たちを対象に何べんやってもおもしろみがないんですね。だから,シミュレーションができる人形のような実習機械がありますね。心音が聞こえるとか,患者さんの異常な所見がとれるシミュレーション用の機器を大学で取り入れたら,もう少しおもしろく,楽しみながら勉強できるのではないかと思います。
 これぐらいできていないと臨床実習に行けません,という評価する機会を夏休みの最終日なりに入れておくと,多分学生は夏休みに実家に帰ってそこそこ練習してくるのではないでしょうか。といっても私のところでも「練習したか」と言うと,「猫を相手に」とか,冗談なのか本当なのかわからないことを言う学生もいて……(笑)。必死さの反映なのかもしれませんが……。
 臨床実習にいくにあたっての必要最小限の対応の仕方や診察の仕方が身についているかどうか評価をする関門を設けると,やはり学生は勉強します。そのように試験で学生をドライブするのはよくないという考え方もあると思いますが,患者さんに接するということがある以上,ものすごく高い関門でなくてもいいですが,最低のレベルを達成できているか否かの評価は是非必要でしょう。
高林 あるレベルまで行っていないと困りますので,私たちのところでもこの春からOSCE形式の臨床バリア試験に通らないと臨床の実習に入れないようになっています。
 インパクトが非常に大きい。
栗山 これまで到達したら患者さんを診る資格があります,という資格試験ですよね。
 話はもどりますが,インタビューはかなり自学自習ができると思います。教科書的なものもビデオもあります。フィジカルは大学のBSL(Bed Side Learning)に行っているときに,「先生,こんなのが書いてあるけれどよくわからんのです」と言って,ベッドサイドに連れていって自分の受持ちの患者さんで教えてもらうとか,学生同士で「先生ちょっと教えてください」と言って学生が行けば,教官も嫌だとは言わないですよね。
高林 断われないでしょうね(笑)。
 かなり上手だと思っていることが手技的には間違えであったと気づくとか,インタビューもそうですが,フィジカルは特にあり得るのではないかと思います。
石丸 そうですね。私たちも,しばらくしてから指摘されたりすることは実際あります。
 実習をしていても,肝臓のさわり方といって「押して上げてきて」というそのタイミングが反対になったりしてね(笑)。押して上げてきているけれども,本当は押さないといけないところで上げていることがある。ですから,そのように積極的に学生のほうから働きかけていって,教えてもらうのが一番よい方法だと思います。
本紙 医学生へのアドバイスもいただき,ありがとうございました。医学界新聞医学生・研修医版では今後も継続して,基本的臨床技能の教育に関する試みや新しい学習法を扱っていく予定です。

(おわり)