医学界新聞

【鼎談】

21世紀の消化器病学

石井裕正氏
慶應義塾大学教授
消化器内科
佐藤信紘氏
順天堂大学教授
消化器内科
小俣政男氏
東京大学教授
第2内科


「画像診断」と「分子細胞生物学」の進歩が寄与した

佐藤〈司会〉 今年は日本消化器病学会が創立されてからちょうど100周年を迎えまして,この医学界新聞の今年の新年号(第2271号)に『新春鼎談:消化器病学の過去,現在,そして未来へ-日本消化器病学会創立100周年に寄せて』という特集を企画しましたが,本日は慶應義塾大学の石井裕正教授と東京大学の小俣政男教授にご出席をお願いしまして,『21世紀の消化器病学』と題しまして,消化器病学の将来を語っていただきたいと思います。
 前回の座談会でも話題になりましたが,日本消化器病学会は発会当初から,内科や外科の臨床領域はもとよりのこと,病理学や生化学などの基礎学問の方々の参加を得て発展してきました。今日の時点からこの100年を振り返ってみますと,たしかに隔世の感がありますが,21世紀を展望するという観点からは,とりわけ消化器病学の診断や治療の進歩に多大な貢献をもたらしたのは,まず「画像診断」やその基礎となった「医用工学」の進歩ではないかと思います。そしてもう1つは,昨今世界的にも大きな動向となっている「分子細胞生物学」の顕著な進歩と言えるでしょう。もちろん,他の多くの分野の研究の進歩が,消化器病学の研究や臨床の発展に寄与してきたことは言うまでもありませんが,特にこの2つの領域の進歩が消化器病学の発展に及ぼした影響は非常に大きいと思います。そこで,まず最初に画像医学・医用工学の進歩がもたらした消化器病診断学に対する貢献という話題に入ってみたいと思います。

「画像診断の進歩」がもたらした貢献

「X線診断」がもたらしたもの

佐藤 画像診断・医用工学と言えば,まずX線の話題になると思います。100年前にX線の発見があり,いち早く医療に応用したところからスタートし,それがX線CTなど今日の盛況な進歩につながると思いますが,小俣先生はその辺についてどのように捉えていますか。
小俣 X線診断に関して個人的な経験を申し上げれば,私が卒業後入局した教室には,かつて故白壁彦夫先生がおられまして,「二重造影法」に代表されるX線診断の研究を精力的に進めておられました。
 ご存じのように,白壁先生はわが国に非常に多い胃癌に対するX線診断を,きわめて微細に,しかも芸術性を高めると言っていいほどまでに磨き上げました。そして究極的に患者さんの治療に結びつけましたが,その様子を多少垣間見ることができたという幸運に恵まれました。
佐藤 石井先生はいかがですか。
石井 X線の発見という話題では,1995年がちょうどX線発見100周年にあたっており,わが国を含めて世界各国でさまざまな記念行事がありました。そういう点からも,X線の発見とその応用の進歩は日本消化器病学会の発展の歩みと軌を一にしているところがあると思います。

「超音波検査」がもたらしたもの

小俣 しかし,レントゲンそのものはそれ以降大きな進歩があったとは言いがたいですね。そして次に登場したのが超音波による診断です。実は私は内科に入局したのですが,患者さんのお腹に触るだけで「内科医」を標榜することに非常に不満を感じたわけです。つまり,「身体の内部を見てもいないのに内科医とはなにごとであるのか」と思ったわけです(笑)。そこで,少し極端なのですが,6年間アメリカに留学して病理解剖を専攻しました。
 ところが,帰国してみて驚いたのは,超音波検査法の登場によって膵管が見えるようになっていたことでした。しかも数ミリ単位の,ほとんど腹部よりは背部と言っていいほどの膵管が超音波という機器の開発によって見えるようになりました。これは私にとってはまさに驚天動地でした。その後は先生方がご存じのような大変な進歩があって,先ほどの話に戻れば,外科医が開腹することによってようやく見ることができたものが,超音波によって,内科医でも見ることができるようになったわけです。
石井 私もまったく同感ですが,もう1つ特筆すべきことは,画像診断において血管および血流を非侵襲的に描出する技術が大きく進歩したことが消化器病学の進歩の一端を担っているのではないでしょうか。
 MRI(magnetic resonance imaging:磁気共鳴画像法),あるいはMRアンジオグラフィー,さらにはヘリカルCT(らせん走査型CT)を用いたCTアンジオグラフィーが急速に普及し,それが相互に競争し合うことによって精度を向上させ,さらには3次元画像(3D)の開発にまでつながって,いわゆるvirtual realityを展開させています。また血流という観点から超音波診断の進歩を考えますと,いわゆるドプラ超音波(doppler ultrasound),特にカラードプラ画像法(color doppler imaging)の発達・普及ですね。それによって血流に関する多くの情報が得られるようになったことが,診断精度の向上と医療への応用に拍車をかけました。

「見えない内視鏡」から 「見える内視鏡」へ

佐藤 ところがその一方で,1960年代初頭に内視鏡というもう1つの重要な機器が登場し,消化管を上から下まですべて見ることができるようになり,今日,内視鏡下に外科的治療を含めて多くの治療ができるようになりました。おそらく次世代には大半の手術が内視鏡を用いて行なわれるようになるでしょう。その辺はどのように捉えていらっしゃいますか。
小俣 内視鏡に関する個人的に印象深いことは,大学を卒業した1970年頃に,それまでのようなお腹の中に明かりを入れて写真を撮る,いわゆる胃カメラ(V型)ではなく,GTAという胃カメラにファイバースコープを組み込んだファイバーカメラが登場しました。ちょうど私は「見えない内視鏡」から「見える内視鏡」に移行した時期を体験させていただきました。
石井 内視鏡は単に粘膜の表面におけるマクロ的な変化を見る,という診断だけに終始しているきらいがありましたが,先ほどの血流の問題に即して言いますと,最近の内視鏡学の進歩として目に見えたものの背後にあるものを捉えるという形での進展があると思います。そして,機能との組み合わせと申しますか,組織を採ってその部分を生化学的,分子生物学的な分析を行なうことに進展しており,それが内視鏡が今後発展する方向だと思います。

3次元画像(3D)について

佐藤 石井先生,先ほど3Dのことにお触れになりましたが,静止画像だけではなく,そこに付加価値を加えることも大事なことだと思います。いかがでしょうか。

石井 超音波にしてもCTにしても,3次元表示によるいろいろ試験的な試みがなされており,実用化の一歩手前の段階にまできているという印象は,さまざまな研究会や学会の発表でもわかります。しかし,いざ実用化するとなると,まだクリアしなければならない障害がいろいろあるのが現実ではないかと思います。
 今後のことに関して言えば,例えば末梢静脈から投与可能な超音波用造影剤の開発などの試みが行なわれており,今後の発展が期待されます。MRにしても,現在市販されている造影剤はGd-DTPAですが,将来は肝細胞のリセプターを標的にしたものや,モノクローナル抗体を利用して腫瘍を標的にしたものが出てくるでしょう。
小俣 3Dについては,だいぶ喧伝されましたが,実際にはその解像力などの点からも,3Dで見たら新たに診断度が上がるという部分は今のところないと思います。
 ただ,内科医がインターベンションナルな治療にかなり積極的に入ってまいりましたが,トレーニングを受けていない方はフラットな画像だけではなかなか立体構成がしにくいので,そういう時の手助けにはなると思いますので,積極的治療をやるような施設では,3Dは福音ともなりえます。また逆に,あまりトレーニングを積まなくとも自ずと画像ができるので,それまで自分の頭の中で作っていたことを代替できる点では役には立つと思います。

画像化の将来の方向は?

佐藤 機能をチェックする画像についてはいかがでしょうか。先日,「Nature」に硬さや触診を画像化するMRの利用法が載っていました。近紫外や赤外光の利用や蛍光測定による分子異常の画像化も試みられています。これまで測定不能であったものを計量的に数値化したり,あるいは画像化していく世界が出てくるのでしょうか。それはどこまで必要でしょうか。
石井 特に消化器領域における疾患は,最終的に癌がターゲットになると思います。 わが国における癌による死亡者は1995年度で2万6000人を数えますが,そのうちの約6割を占める約1万5000人が消化器系の癌であることを忘れてはいけません。胃癌,食道癌,肝臓癌,膵癌,大腸癌のどれ1つとっても横綱・大関クラスであり,この傾向は21世紀に入って一層顕著になることが予想されています。つまり,癌を少しでも早期に診断および治療に結びつけること,さらに癌予防医学の進歩に目標が置かれるのではないかと思います。ですから,MRにしてもCTにしても,より高速化が進んできましたし,人体を螺旋状にスキャンするヘリカルCTによる腫瘤性の病変を描出する技術の格段の進歩などの面でその気配は感じとれますが,これから一層重要な段階に入ってきます。
佐藤 おそらく,計測的な治療,つまり計測しながら治療するという場面では,今後3Dが必要になってくるのでしょうね。
小俣 例えば普通の超音波ですと,癌しか見えませんね。ところが,それにカラードプラを加えて立体画像を作ってみると,癌が丸く血管によって取り囲まれているところが見えるようになります。そうしますと,肝癌などではことに治療対策が立てやすくなってきますし,逆に治療効果の判定もできるようになります。

画像診断でどこまで迫れるか: その進歩は階段状に

佐藤 先ほども申しましたが,画像診断の進歩に関しては,100年前とは隔世の感があって,次第に低侵襲的に微小なものを見ることができるようになりました。しかも,診断さえつけば治療が決定される時代になってきていますし,診断を行ないながら同時に治療してしまう,内視鏡技術や肝動脈塞栓術などの時代になりました。
 小俣先生,これからはいずれ分子生物学的手法を導入する方向に進むと思うのですが,われわれは画像診断でどの辺まで追求していけばよいと思われますか。
小俣 体験にもとづいて考えてみますと,画像診断の進歩の軌跡は,階段状の形をしているのではないかと思います。つまり,1980年代前半には超音波検査法のあの燃えるような進歩がありましたが,それがある程度達成されると,踊り場,プラトーの時期がやってきました。そして,また次に大きな革命的な方法論が出るわけです。われわれが身を置いている時代は,5年か10年の単位で考えると階段状になっていて,壁にぶつかったという見方もあると思いますが,もう少し視点を引いて,冒頭のお話のように100年という単位で見ると,直線状に見えるわけで,そこには必ず進歩があると思います。
 例えば超音波が現在曲り角にあるとは言っても,EUS(endoscopic ultrasonography:超音波内視鏡検査法)の開発もありますし,先ほどお話がありましたカラードプラも最近また性能が良くなってきました。従来まったくなかったものが新たに出現するような大きな進歩は,やはり10年か20年に1度でしょうが,どの領域をとってみても,その間には小さいけれども確実な進歩があると思います。
 1例をあげれば,MRCP(magnetic resonance cholangiopancreatography:MR胆道膵管造影法)も素晴らしいと思います。水分を非侵襲的に利用して,それまで胆膵診断の金科玉条と言われたERCP(endoscopic retrograde cholangiopancreatography:内視鏡的逆行性胆道膵管造影法)をIDUS(膵管内起音波検査法)とともに,必ずしもそうではないと変えた。これは,MRが登場した時ほどのショッキングなできごとではないにしても,確実な進歩ではないかと思います。

「分子細胞生物学の進歩」がもたらした貢献

消化器癌の治療や診断に 分子レベルでいかに対応するか

佐藤 次に分子細胞生物学の話題に移りますが,DNA診断の進歩によって少量のサンプルでも癌診断にもかなり有用であることが証明されるようになりました。小俣先生,この点に関していかがでしょうか。
小俣 先ほど石井先生が,消化器領域では癌が最終のターゲットになるとのお話がありました。また,この「医学界新聞」の今年の新年号のカラーグラフにも掲載されていますが,石井先生がご指摘のように,過去の推移においても,将来予測においても,日本人の癌死亡のうちに占める消化器癌の割合は圧倒的に多いですね。循環器病学の領域では,老化や動脈硬化という問題がターゲットとなると思いますが,われわれ消化器病医は癌をどういう形で診断し,そして治療していくべきかということが最終的な課題になると思います。
 昨年11月の「Science」が癌を特集し,その中で診断や治療など全部で5項目ほど掲載されていましたが,診断面および治療における遺伝子の日常的利用は,やはりさらに先の,しかし言葉を換えればまさしく21世紀のテーマだと思います。
 これは適切な比喩かどうかわかりませんが,例えば1個の細胞を新宿という街に喩え,そこに10万の人がいるとします。というのも,遺伝子から作られると推定されるタンパクは10万ですので,10万人のプレーヤーがいるはずだからです。
 そこでわれわれが現在何を研究しているのかと言いますと,その10万人の歩行の軌跡すべてを見ているのでなく,例えば新宿駅に降り立ったある人間が,コマ劇場を核にしてどのように歩いて行ったかを調査しているわけです。しかし,1人の動きだけでは街全体を把握できません。その積み重ねが新宿という街,つまり人間の細胞における10万人のプレーヤーの動態を表わすことが期待されるわけです。
 例えば,なぜFas-ligandは細胞を殺すのかという研究です。その研究は1人の軌跡を追跡している研究ですが,大変貴重な研究です。ブロックを1個1個積み重ねているわけですから,21世紀には立派なピラミッドが間違いなくできると思います。「いま遺伝子ですぐに診断ができる」とか,「いま遺伝子ですぐ治療ができる」とは言えないのは,そういった理由からではないでしょうか。展望は確実にあると思います。
 申し上げるまでもありませんが,ここにおられる先生方は来世紀に向けて中心的な役割を果たすであろう若い先生方を教育されていらっしゃると思います。しかし,従来でしたらレントゲンや超音波だけで対峙していればよかったのですが,これからはそれにさらに,Molecular Cellular Eventを理解し利用していくと,臨床の幅が広くなります。つまり,指導者が問題を解決するためには何が最も重要かという展望をどう持つかにかかっていると思います。
佐藤 いずれは分子レベルにおける疾患の診断や治療にいくにしても,そのプロセスに時間がかかるというご指摘ですが,石井先生,いかがですか。
石井 まったく同感です。小俣先生の話の中でも特に指導者の問題が重要だと思います。やはり,まさにこれからの時代を担う若手が現に中心になっているわけですけれども,それをうまくタクトを振っていい方向づけをするところが重要です。これまでのような臨床医としての能力のみでは,進歩・発展の急速な分子生物学や遺伝子工学分野に指導者が自己研鑽してキャッチアップするのに大変な時間とエネルギーを使わなければならないことになります。

「消化器癌の固有性」の問題: 異なるタイプの「起承転結」が

小俣 それから先ほど申しましたように,他の臓器や組織にも癌という疾患が発症しますが,「消化器癌の固有性」という問題を考えますと,いつも面白い特徴があると と感じます。と申しますのも,疾患を「始まりがあり,中間があり,そして終わりがあるプロセス」,つまり「起承転結」として捉え,そのプロセスを辿るという研究方法は,道を誤ることが少ないと思います。
 一方,大きな象のどこに触っているのかわからない研究は,後で振り返ってみると回り道をしていたり方向が違っていた,ということが多いのではないかと思います。そう捉えますと,消化器癌のいくつかの問題は起承転結がつき,しかもその「起」の研究から始められると考えています。
 例えば肝臓癌ですが,おそらくウイルス感染がないと,わが国の9割以上の肝臓癌は発生しないと思います。と言うことは,肝炎ウイルスが何を惹起し,その結果何が起こるかを研究する,いわば起承転結の研究ができるわけです。
 大腸癌はどうかと考えますと,違った意味で起承転結があると思います。例えば,FAP(familial adenomatous polyposis:家族性ポリポーシス症)やHNPCC(hereditary nonpolyposis colorectal cancer:遺伝性非腺腫性大腸癌)などのいわゆるマスタージーンと言われる原因遺伝子,すなわちAPC遺伝子Repair Geneがクローニングされて,それが「起」となり,次々といろいろな事象が起こってくるわけです。前者が感染因子で,後者は単一遺伝子異常です。
 また胃癌をどう捉えるかと申しますと,Helicobacter pylori感染もあるかもしれませんが,それだけで説明しきることは難しいと思います。非常に単純化した言い方をすれば,「右手に肝臓癌と左手に大腸癌があり,真ん中に胃癌がある」というような感じがします。外来因子とgeneticな要素が混じっている。そういう意味では,消化器癌は非常にエキサイティングで多様性を持った研究のできる領域だと思います。

遺伝と感染

佐藤 いま増えつつある,胆膵系の癌についてはどのように捉えていますか。
小俣 大腸癌のFAPやHNPCCの原因遺伝子が捉えられたのは,遺伝性癌,すなわちFamily Clustering,あるいはCancer Syndromeが臨床的にとらえられていた。その観点から,胆膵系に遺伝性の癌がどれだけあるかと考えると,少し厳しいように思います。しかし,肝臓癌には遺伝性のものはほとんどありませんでしたが,感染が病原因子になりました。したがって,外来性因子が「起」になってくる可能性を追究する必要があるかもしれません。
佐藤 石井先生はいかがですか。細菌や原虫あるいは寄生虫の時代を経て,最近はウイルスの時代になって,感染による肝炎から肝硬変,肝癌という1つの流れがありました。そして,2つめには今のお話の遺伝性の癌ですが,先生はどうお考えですか。
石井 感染に関しては,肝癌の他に小俣先生からご指摘があったH.pyloriとMALTリンパ腫,さらには胃癌との関係という問題が注目されます。H.pyloriによって生じた活性酵素によるDNA損傷を契機とする遺伝子異常と細胞のmalignant transformationは十分考慮されなければならないと思います。DNA損傷による遺伝子Nの点突然変異による発癌への移行にH. pyloriが関与するという直接的な証明が必要になってきます。
佐藤 昔は化学発癌が中心で,その後にウイルスなどの感染発癌性に作用すると言われ,最近は感染症による発癌がかなりのウエートを占めるようになってきました。
 肝炎を中心として,EBV(Epstein-Barr virus),ATLV(成人Tリンパ性白血病ウイルス),それ以外にも,HPV(human papillomavirus)やHHV(human herpesvirus)と発癌の関係も判明してきました。今後も解析が進んで,どの程度が遺伝性で,どの程度が感染性なのか。また,その他に環境因子における化学物質の関与はどの程度か。おそらく,リスクファクターがスコア化されて,臨床に応用される時代がくると思います。

「消化器病学における臨床研究」のあり方

指導者層が自ら率先して, 「テクノロジーオリエンテッド」に

佐藤 次に,21世紀の消化器病学の発展のために,「消化器病学における臨床研究のあり方,研究の手法はいかにあるべきか」という問題を議論したいと思います。小俣先生,この点はいかがでしょうか。
小俣 臨床研究のあり方や研究の手法に関しての教育は,われわれ自身に責任があると思います。先ほど申しましたように,来世紀に実際に活躍する若い人たちを教育するのはわれわれです。どの世界でもそうでしょうが,進歩の速度は急速ですので,現在の指導者層が率先して勉強し,学会で若い人たちが議論していることを理解する努力をすべきだと思います。なぜならば,その影響が来世紀には必ず出てきます。
 第2点は,やはり臨床も基礎もテクノロジー・オリエンテッドだと思います。昔は,ある1つのセオリーで学会なども席巻できましたが,先ほど言いましたように,現在はピラミッドの1個1個のブロックを作るような事実の積み重ねがあります。そして,その事実は何によっているかと言うと,Advanced Technologyだと思います。新たなテクノロジーに対する貪欲なまでの知識欲と吸収欲を持って,若い人と共に研究していかなければ,21世紀の消化器病学の発展はないと思います。

21世紀に向けた臨床研究: 「癌化」と「老化」

佐藤 「癌は遺伝子の病気である。したがって,癌の予防や治療は遺伝子をターゲットにするべきだ」というコンセンサスが得られています。そういう状況の中で,癌を予防し,また治療するための研究はどうあるべきか,何が有効なのかが問題になってきます。21世紀に向けて,先生方はどうお考えですか。
小俣 先ほど石井先生から癌の死亡者数のお話がありましたが,どの時代においても80歳代の発癌率は急激に高まります。
 例えば胃癌の場合,1997年の『国民衛生の動向』では,10万人当たりの(45~54歳)の発癌率は「30」ですが,これが(80~84歳)では「194」と6.5倍にもなります。団塊の世代が現在40歳代後半ですが,来世紀前半には80歳代になり,爆発的な胃癌の発生が考えられます。そういう事態を加味すると,癌化と老化の研究が消化器の領域でも中心命題となるでしょう。
 すでに現在われわれが持っている知識で少し垣間見ると,1つにはHNPCCの研究から生まれたミスマッチ(不適正塩基対)修復遺伝子であるMSH2やMLH1の研究があります。自然突然変異率(10-10/塩基)は,DNAポリメラーゼの変異率(10-7/塩基)に比べて明らかに低いわけです。つまり,DNAポリメラーゼによる複製の誤りがそのまま反映されるなら,もっと間違ってもいいはずなのですが,修復遺伝子が修正してくれていたわけです。しかし,さすがに40年に1度くらい重要な遺伝子に間違い(ヒット)が起こるわけで,80歳というのはまさしく,生まれつき(germline)遺伝子異常がなくても2ヒットを起こす可能性があります。ですから,老化や修復遺伝子異常などの問題を考えると,ある意味では消化器癌,特に大腸癌(HNPCC)の研究で判明したいくつかの点は,基本的なストラテジーを示唆しているのではないかと私は思います。

「知る権利」と「知りたくない権利」

佐藤 石井先生は癌の治療と予防に関してはどのようなご意見をお持ちですか。

石井 肝癌を例に取れば,HBV(B型肝炎ウイルス)による発癌のメカニズムに関してはある程度判明しております。すなわち,肝炎による炎症壊死の反復と肝再生のサイクルを繰り返しているプロセスの中から,宿主遺伝子の変異を生ずることにより,増殖能の強い細胞が生じてきたり,さらにはX遺伝子がいわゆる癌遺伝子的に働くことによる発癌の成立です。
 これは小俣先生のご専門になりますが,しかしながらHCV(C型肝炎ウイルス)による発癌のメカニズムについては依然として不明な点が多いですね。HCVの感染が慢性肝炎を経て肝硬変から肝癌にいたるわけで,20年から30年あるいはそれ以上の持続感染による炎症壊死の中から発癌が生じてきます。この炎症壊死のプロセスを解明することが,肝細胞の癌化のメカニズムを明らかにする上で重要な鍵を握っているのではないかと思っています。
 それともう1つは,いわゆるコホートスタディに代表されるような疫学的な研究,特に分子疫学的あるいは分子生物学的なアプローチが,今後ますます重要になるのではないかと思います。治療については,まだ基礎的な段階にあるレトロウイルスやアデノウイルスを用いた遺伝子治療が今後どう発展していくかですが,まだ時間がかかりそうな気がします。
小俣 細菌にしても酵母にしても,すでに十何種類かのゲノム全配列がわかっています。もう数年すると人間の全ゲノム配列も明らかになると思います。
 しかし,そういう情報をわれわれが手に入れた時,患者さんの遺伝的な背景を見ることができるようになりますが,その際に倫理的な問題が大きな課題となります。遺伝子に関する溢れる情報をどのような形で社会と和解しつつ,疫学的な研究や分子生物学的研究を通して,社会に還元するかということが,非常に重要でかつ複雑になる時代を迎えるのではないかと思います。
佐藤 消化器病の分野に限りませんが,患者さんには「知る権利」があると同時に,「知りたくない権利」もあります。いずれ遺伝子診断や遺伝子治療という時代になるでしょうから,おそらくそういう問題に直面することになるでしょう。

「癌検診論争」について

佐藤 しかし,実際に癌検診が有効であるとすれば,治癒し得る癌をいかに早く見つけるかが重要であるのは当然と言えましょう。また,前癌病変と言われるものを見つけて,いかにその進展を抑えるか。あるいは可逆的に元へ戻す方策をいかにして見出すかが問われてくると思います。その辺については,どのようにお考えですか。
小俣 昨今,癌検診の問題に関して,「癌と闘う」とか,「検診を受ける必要があるか」という議論がある原因は,従来型の検診は“絞り込み”が行なえなかったからだと思います。つまり,すべての人に平等に検診をする必要があるかということが問われているのでしょう。
 その場合の絞り込みとはどういうことかを考えてみますと,例えば明らかに肝炎ウイルスに感染している人とそうでない人のように,その相対的な発癌危険度が大幅に異なるケースであれば,検診を受けるべきです。ところが,そういう特殊事情のないきわめて一般的な癌の検診が問題になっているのだと思います。21世紀に向けての検診という問題を考えると,絞り込みというプロセスの中に,従来型の臨床所見の他に,先ほど述べたような遺伝的な背景をどのように入れていくかという大きな命題にわれわれは直面する可能性があると思います。遺伝子情報は,リスクファクターとしてきわめてパワフルであるがゆえに,大変重要な問題が出てくると思います。
 従来型の検診に対する批判はいろいろあると思います。例えばいま言った絞り込みの不十分さ,つまり遺伝的な背景に関する知識が現在不足しているからですが,前述のごとく,遺伝子情報に基づいたリスクファクターが同定された時,間違いなく検診により恩恵を得ると思います。しかしその際に受ける恩恵とはどういうことかが問題になります。はたして単に発見して治療するだけでいいのだろうか。佐藤先生がおっしゃったように,「知る権利」「知らない権利」などを含めて,来世紀はそういう観点からの難しい,しかしある局面を見れば大きな発展がある時代が来ると思います。

死生学について

佐藤 ところでこれまでのお話のように,前癌症状から癌化へのプロセスや,治癒機序についてまで次第に解明されつつありますが,しかし私たちはいつかは死を迎えます。これは消化器病学に限りませんが,老化の問題とともに「死生学」という問題を将来考えなければならなくなってくるでしょう。石井先生,こういう問題に関してご経験を通してどう思われますか。
石井 患者さんの消えゆく生命を前にして,医療の最高のものを提供し,万全を尽くして生命の維持に専念することが至上命令的に考えられてきましたが,現在は延命期間が長いことよりも,生命の質の見地から延命を目的とした治療を拒む人々も多くなってきました。まさに,Quality of Lifeという視点をわれわれは持たなければならないでしょう。いわゆる蝋燭(ろうそく)の灯が消えるがごとく,できるだけ患者さんに苦しみがなく,しかも可能な限り延命できる状況を作るのがわれわれの務めだと思います。しかし,平均寿命がこれだけ延びた現代において,その人の死を最後まで幸せにまっとうさせるためには,医師や医学の限界を超えたところがあると思います。ですから,医師としての努力だけではなく,哲学や宗教,倫理という世界まで導入することも大切ではないかと思います。
佐藤 冒頭に小俣先生がおっしゃったように,昔の医師は身体の内部がよくわからなかったために,逆に人間全体を見ることが可能であったのかもしれません。そして,当時は宗教や哲学や倫理などを含めた,人間として立派な方々がたくさんいらっしゃいました。しかし私たちは現在,人間の身体を遺伝子レベルまで細かく分析でき,疾患の本態までも理解できるようになりましたが,その結果,全人的に診ることができなくなってきているのかもしれません。また,告知の問題などさまざまな難しい問題に直面しています。
 やはり,宗教あるいは哲学,倫理などの価値観を確かめながら,Quality of Lifeを高める全人的ケアをいかにして行なうか,という問題を社会と対話しながら解決する。おそらく,そういう形で捉えなければいけない時代が来ているのでしょう。

「肉体の死」と「頭脳の死」の 同時化を

小俣 たしかに,癌というのは死を迎える病気であるという前提があるがゆえに,医師は全人格を認識したうえでケアしなければいけないと思います。ただ,現実に臨床の現場にいる者として,もう少し違った観点から「死生学」という問題を捉えています。というのも,どうも私は「肉体の死」と「頭脳の死」が同時化していないように思うのです。例えば,45歳で胃癌で亡くなるとします。その場合,頭脳は完全に生きていて,「うちの娘が成人するまで生きていたかった」と意識しながら死んでいくわけで,「肉体の死」と「頭脳の死」が同時化していないことになります。
 しかしその一方で逆に問題になるのは,老齢化人口が増加し,特別養護老人ホームなどにおられると,肉体のほうは点滴などで生きていらっしゃるものの,自分のご子息の判別もつかないこともあります。つまり,「頭脳」のほうが死んでいて,「肉体」のほうが元気な状態ですが,これも同時化していないと思います。
 まず,「自分の娘がせめて成人するまで生きていたい」という悲惨な死を,われわれは何とか克服できないものだろうか。もちろん,現状においては亡くなっていく患者さんに対して,精神的な面を含めていかにケアすべきかという問題は非常に重要なことであります。しかし,まず来世紀,できればその前半に,癌というものを基本的に克服し,「頭脳の死より肉体の死が先行する」という,より悲劇的な事態を回避すべきではないかと思います。
 次に同時化させたいのは,やはり「頭脳の死」です。もし,身体は死に直面していないにもかかわらず,頭脳の死を迎えつつある患者さんが,ベッドサイドで子どもの頃の楽しい話をできるようになれば,これはまたやはり大変素晴らしいことで,これにまさることはないと思います。
 「脳の世紀」と言われていますが,そういう世紀が来世紀の後半に来るかもしれませんし,そういう時代に得られるものは何かと言うと,きわめて自然な死が待っているのかもしれません。そうなればまた「死生観」という概念は別のものになるかもしれません。現在は致し方がないことでありますが,「苦悶する死に目を背け,和解する」ということが行なわれているのではないかと私は感じます。

臓器移植について

佐藤 たしかに死生観も変わっていかなければならないのでしょうね。
 ところで,「臓器移植」ということが現在いろいろ論議されています。癌の克服の話とは極端に変わりますが,臓器移植についてはどう思いますか。
小俣 日本に生まれ育った人間として,わが国でなぜかくも臓器移植が進まないのか,なんとなくわかるような気がします(笑)。しかし,非常に難しい問題です。
 肝臓移植という領域においては,慢性肝炎や肝硬変になるプロセスはだいたいわかってきましたので,いまわれわれがめざしているものは,他者の肝臓を借りることなく,内なる肝臓を治すことです。さらに言うならば,早期の肝硬変ぐらいなら移植をしないで治せる,という方向をめざしたいと思います。移植そのものの現状について言えば,去年アメリカ肝臓学会へ出席したのですが,すでに移植医療が完全に定着している状況です。いろいろ感ずるところはありますが,例えば肝臓の病気においては,できるだけ移植にまでいかないないような医療行為ができるのではないかというのが1つの感想です。
 ただ,胆道閉鎖症やB型の肝硬変などのように,若くして亡くなられる場合がありますので,先ほども言いましたような「頭脳の死より肉体の死が先行する」という悲劇性から何とかして患者さんを救いたいという気持ちがあります。

法案の成立によって 世界の見る目が変わってくる

石井 臓器移植法案の成立によって,心臓および肝臓に関しては具体化しましたね。そして,移植関連学会の合同委員会において,施行すべき施設も決まりましたが,先行きはまだ暗いような気がします。
 日本人の国民性からいって,他人に遅れをとってはいけないけれども,また他人を出し抜いてはいけないという,横並び的な発想がすべての分野にあります。そういう状況において,また生体肝移植がこれだけ普及している現状の中で,たとえ移植を施行すべき施設が決まっても,具現化することは,法律の成立したこれまでの経緯以上に困難ではないかと感じます。
 しかしその一方で,この法律が成立したことによって日本を見る世界の目が一層厳しくなるのではないかと思います。海外へ移植を受けに行くことはますます困難になってくるでしょう。聞くところによると,これまでは外国人の中でも日本人をある程度優先的に受け入れてきたドイツにおいても,日本でも法律的に移植が可能になったということで受け入れが困難になってきております。

「東洋医学」との融和

佐藤 先ほど小俣先生もお触れになりましたが,わが国には何千年という歴史があるので,日本的な文化を背景にした生き方があってもいいのではないかと思います。欧米主導の科学が変革期にあるのではないでしょうか。事実,現在は洋の東西を問わず,東洋医学とか代替医学というものが少しづつ導入されつつあります。石井先生,この点についてどう思われますか。
石井 ご指摘のように,東洋医学はすでに長い歴史がありますし,理論形成とその応用のレベルは決して低くありません。その理論的背景には,まさに自律神経あり,血流あり,免疫ありという具合に非常に魅力的な分野です。東洋医学と西洋医学が融合される中で,より科学的に裏づけされながら発展していくという意味では,私は将来性のある分野だと思います。しかし,漢方における診断はもともと患者さんの身体をブラックボックスとして捉え,医師が五感を駆使して把握した情報に基づいて処方するシステムと言われています。西洋医学の臓器中心的考え方から専門分化が進む反面,漢方医学の考えには全人的な医療面が強調されており,人間を診る医学思想が受け入れられているものと思います。
佐藤 小俣先生,鍼やカイロプラクティックなどもヨーロッパで半分以上の先生が有効性を認めているそうですが,どう思われますか。
小俣 よく患者さんに聞かれるのですが,「私自身,経験がないので答えられない」と答えています(笑)。自分で少しでも経験を積んでいれば,それに基づいて患者さんに話ができるのでしょうが,残念ながらそういう体験がありません。
 ただ,「西洋」と「東洋」と言うと,相対峙する2メジャーという感じになりますが,私はそうではないと思っています。そういう考え方をすると,蓄積したノウハウとか知識は圧倒的に異なると思います。ですから,それを踏まえた上で,ある特定の領域の仕事というように捉えたほうがよいと思いますが,経験がないので個人的な意見は控えたいと思います。
石井 話はとびますが,もう1つ21世紀に向けて大きな夢のある分野として人工臓器の開発と実用化の問題があります。
 人工臓器は医学のみならず,多くの学際的領域と共同で発展してきましたが,これまではすべて人工的産物という時代から生体細胞を利用する,いわゆるハイブリッド型人工臓器やtissue engineeringと言われる分野に力が注がれており,消化器領域でもハイブリッド型人工肝はきわめて有望な人工臓器として期待を持って見ています。
佐藤 本日は,きたるべき「21世紀の消化器病学」という大きなテーマのもとに,「画像診断」や「分子細胞生物学」の進歩について,さらには「臨床研究のあり方」という問題について,話し合いが持たれました。各論的な議論についても,さまざまな有益なご意見がありました。次世紀に向けた指導者層の責務,というご指摘もありました。また国際化がこれだけ進んでいる現在,わが国がはたすべき責務も大きいと思います。さらには,目的意識,研究の手法や戦略を明確にして,次の若い世代へ繋げるというお話もありました。
 本日は,お忙しいところをどうもありがとうございました。