連載
ものの見方・考え方と看護実践(1)
変化する世界とものの見方
手島 恵 ミネソタ大学大学院博士課程
1997年の4月に北米看護研究学会がミネソタ大学看護学部を当番校として開かれた。基調講演は大学の同窓生で,オレゴン大学の看護学部長,アメリカ看護協会の理事,シグマ・セタ・タウによるものと,アメリカ看護連盟の会長などの要職を歴任されてきたキャロル・リンデマン博士による「看護実践と研究の新しい世界」だった。このリンデマン博士の講演はさまざまな観点から興味深かったので簡単に触れてみる。
変化する世界
彼女の講演の中心となったのは世界の変化で,変化を余儀なくする要因として「利潤志向」,「高度技術」,「対象の背景の変化」,「自己責任」,「ヘルスケア提供者志向から自己責任としての健康」などがあげられた。アメリカでは国民の38%が慢性疾患を抱えており,それに医療費の76%が費やされているのが現状である。この慢性疾患は多数の要因によるものが多く,これまでの原因―結果というような直線的で単純な因果関係では考えられなくなってきた。
また,利益と効率性を求めた結果,これからは看護婦がロボットと一緒に働くような時代も来るだろう。何が大切かは専門職ではなく社会や投資家によって決められるようになるだろう。ヘルスケアのなかで多くを占めるのは慢性疾患で急性期の患者はごくわずかにしかすぎない。ゆえに判断は専門職によりなされるのではなく,患者が情報に基づいて決定していくようになるだろう。医療費の増大に伴い,医療の提供を国が保証できなくなり健康の保持・増進は各個人の責任となる。
清拭は看護の本質か
このような次の世紀に向けての世界がどうなるかという話が進んだ時,リンデマン博士は「清拭は看護の本質だと思っている看護婦が多いだろう」(会場の多くの参加者がこの時うなずいていた)「でも看護婦にそれを言う権利はない。なぜならばそれは儀式的なものだからで,私たちがそれを大切だと思うか否かにかかわるものではない。重要かどうかは社会が決めることで,私たちの責任はそれを評価して結果を出すことである」と言われた(入院期間の短縮に伴いアメリカでは患者の清拭を看護婦が行なうことはほとんどない。これは看護婦が清拭を行なうことに意味があることを評価して結果を出していないということだからだろうか)。新しい世界観とは
この講演の中でリンデマン博士は何度も,世界は変化を続けている。後戻りすることはないので,変わらなければいけないのは「あなた」だ,新しい世界観が必要だと繰り返された。そして最後に,これからは「気(Qi)」ということを私たちは信じざるを得ないだろうと締めくくられた。講演の終了時間が迫っていたので,どうして気が大切なのかということには触れられることはなかったが,私としては伝統的な科学を追求していると思っていた彼女が「気」が重要になるだろうと話されたことにとても驚いた。それでは彼女の言う「新しい世界観」とはどのようなものの見方なのか,日本人の私たちとどのようにかかわりがあるのだろうか,またそれが看護の実践にどのようにかかわりがあるのだろうか。そのようなことを中心に次回からの話を進めてみたい。
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