医学界新聞

〔特別寄稿〕
英国における看護労働
NHS改革は看護労働市場にどのような影響をもたらしたか

ジェイムス・ブキャンPh.D(エジンバラ クイーン・マーガレット・カレッジ リーダー)


 本稿は,著者の厚意により,特に日本の看護専門家および研究者に向けて,英国の医療改革の動向と看護へのインパクトを,最近のデータを交えて解説してほしいという,訳者の要請にこたえて執筆されたものである。

訳:安川文朗〔(財)医療科学研究所〕


背景

 本論文は,英国(イングランド,北アイルランド,スコットランドおよびウェールズ)における1990年以降の国民医療サービス(National Health Services;NHS)改革が,英国の看護労働に与えたインパクトについて検討することを目的としている。
 英国では,救急医療を提供しないごく少数の独立営利病院(independent profit making hospital)の場合を除き,すべての病院医療はNHSのもとで運営され,またほとんどのプライマリケアとコミュニテイケアは公的セクターによって供給されている。したがって,英国における病院稼働率や医療労働の公式データ(それぞれ上記4つの地域から集められる)は,ほとんどすべての医療サービスの状況をカバーしているということになる。しかし,各地域には微妙な地域差があるため,本論文では全英国の83%の看護労働力が集中するイングランドの状況について報告する。
 1948年の制度発足以来,NHSは多くの改革を経験してきた。その中で,最近のしかも最もラディカルな大改造は,M.サッチャー保守党政権下で1990年に始まった改革である。1997年の選挙による労働党政権の誕生とともに,いくつかの改革プロセスは中止,あるいは変更されたが,改革の基本骨格はそのまま維持されている。
 NHS改革のプロセスの要点は,(1)医療サービスに内部市場を導入すること。すなわち,地域の医療政策当局が医療サービスの購入者(purchaser)として,特定の医療サービスを病院やコミュニテイケアセンターなどの供給者(provider)から購入すること,(2)個々の供給者に対して,医療スタッフの確保,配置などについて大幅な裁量権を与えること,(3)医療資源の配分を,病院医療からコミュニテイベースのプライマリケアにシフトさせることである。
 以上の背景を踏まえ,以下にNHS改革の英国看護労働に対する影響を報告する。

看護労働の供給

 イングランドにおける,NHSに雇用されているRN(Registered Nurse)とEN(Enrolled Nurse)1)を含めた常勤換算での看護婦総数は,1980年代後半から現在までほとんど変化していない。一方で,NHSの看護婦数に関する最近のデータでは,教育途中(見習い)の看護婦の数は著しく減少してきており,看護スタッフにおける職種配分(grade mix)に変化が起こっている。
 このような変化には,英国における看護教育の改革の進展が少なからず寄与している。「プロジェクト2000」2)と呼ばれるこの改革は,看護教育の担い手を(それまでの看護学校から)短大や大学に移行するとともに,それらの学生を医療現場における働き手ではなく,あくまで余剰人員,または専門家予備軍として扱うことをめざしている。なお,この「プロジェクト2000」のスタートにより,従来行なわれていたENの養成は終了した。
 NHSにおける総看護職数の安定的な推移は,実はそれ以前の数十年間のトレンドと鮮やかな対比をみせている。1980年代以前は,看護労働力は増加傾向にあり,1970年代半ばから80年代前半にかけて,1年ごとに約4%の増加をみせていた。この看護労働力の安定化は,NHSの病院部門における病院稼働率の持続的な成長(入院,外来とも)や,病院他職種における構成の変化と比べると興味深い(表1)。他職種におけるこのような変化が起こった理由は,NHS改革において,病院の支援・補助業務が外部委託(contracting out)され,それらの業務の従事者が削減された一方で,NHS改革の進展を支援する管理スタッフの配置の必要が増してきたためである。

 看護労働は以下の3供給源からなる。第1はいわゆる新卒ナース。登録前教育(pre―registration education)を終了し専門看護婦として登録された新人ナースたちである。第2は再就職・復職ナース。しばらく休職していたり,看護職以外の職業に従事していて,再度看護労働市場に参入してきたナースたちである。そして最後が英国以外から来るナースたちである。
 しかし,登録前教育を経て看護労働市場に参入してくるナースの数は,近年かなり減少している。その理由は,1980年代後半以降,登録前教育の入学定員が英国全体で約1万400人分以上(およそ43%)削減されたためである。このことは結果的に看護専門職として看護労働市場に参入し,労働力となる新人ナースの11%の減少(1991―96年の間)をもたらし,この減少傾向はさらに続くと予想されている。
 このような看護労働力不足に対する対応はどうなっているのだろうか。まず新人ナースの確保については,現在「プロジェクト2000」のプログラムに沿った入学定員の増加策が中央のイニシアティブで進められているが,これが実際に看護労働供給に効果を出すまでには,少なくとも3年はかかると考えられている。これを前提に看護労働力を推定してみると,看護婦数を現在のNHSの水準に持続すると仮定した場合,看護教育の定員は現在の年間2万5000人から2012年には3万人に増加させなければならないと予想される。
 一方,再就職ナースの動向については,公式データからは容易に見極めることができない。例えばLader(1995)による最近の「潜在的復職者数調査」によれば,看護婦として再び働いてもよいと考えている潜在的な復職者は,1970年代以降明らかに減少しているという。
 さらに,英国以外の国からの看護婦の流入・流出は,1980年代後半以降かなり減少してきているといわれている。個々の病院単位では,他国の看護婦をその専門技術によって積極的に採用しているという報告はあるものの,全体的な傾向としては流入・流出とも,その状況が明らかではない。
 もちろん悲観的な観測ばかりではない。看護婦の離職・転職については,1980年代後半から1990年代はじめにかけての経済不況の間は減少していたが,最近の調査結果では,看護婦の移動は増え始めていることがわかった。1990年代はじめの経済不況下で沈静化していた離職・転職も,1993年以降には年々増加の傾向にある。

非NHSの看護婦雇用の状況

 NHSにおける看護婦数が1980年代後半以来安定的であるのに対して,NHSの傘下の外にある,特に高齢者ケアのための私設のナーシングホームにおける看護婦の雇用は飛躍的に増加している(表2)。そして全体的にも,イングランドにおいてナーシングホームに雇用されるRNとENの(常勤換算した)数は,1990年から1995年の間に56%増加しているのである。

看護婦雇用の動向

 以上のように,英国における看護労働力の主な特徴は,(1)NHSにおける総看護婦(雇用)数の横ばい状況,(2)見習い看護婦数の減少,(3)NHSにおける看護補助者の雇用水準はほとんど変化なし,(4)非NHS施設での看護婦雇用の増大であった。
 NHS改革は医療における費用削減,特にほとんどの病院で経常費用の70%以上を占めるといわれる労働費用の削減に向けられてきた。そのため,病院管理者はスタッフレベルと職種配分を変えることによって,雇用するスタッフのコスト抑制の方策を探っているのである。
 上記のような状況を反映して,ここ2年ほどの間に,看護技術の不足という観点での看護労働市場における需給バランスの不均衡が,特に都市部や特別な職種の領域で顕著になってきた(小児看護や精神医療,重傷患者のケアなど)。
 技術的な看護不足は,一部で地域の医療管理者(local manager)に,ケアアシスタントの雇用の増加を通して代替的な労働力を確保しようというインセンティブを与えることになった。また代替的という点では,より専門的な看護機能,例えばナースプラクティショナーを医師の代わりに配置する動きが増えていることがあげられる。
 これらのことは,いわば異なるスタッフレベルや職種配分に関する価値や費用便益の問題を検討する試みであり,どのようなスキルミックスを行なうべきかについて意志決定を行なえるような情報を与えてくれる,堅固なアウトカム尺度に対する,きわめて大きな需要が存在することを如実に表わしている。
 看護労働市場の動向に影響を与えた他の要因は,看護労働力の“高齢化”と,雇用保証や昇進期待に関する問題である。イングランドにおける現役看護婦の平均年齢は,近年40歳近くまで上昇しているが,これは1970年代に“雇用ブーム”で雇用された新人ナースが,ミドルエイジに到達したためである。
 このような高齢化の結果,例えば看護婦の地域的な移動は減少し,パートタイム雇用へと労働需要が変化し,昇進に対する優先順位の違いや,継続教育への需要などが起こってくる。
 またこのような変化に対して,例えば雇用保証や昇進の期待などについての看護婦たちの関心や欲求は,NHSにおける臨時雇用契約や短期雇用契約の増加によって,あるいは看護管理者のポストが少ないことを背景にした“横ならび”的な管理構造を持つ組織への改編などによって徐々に満たされてきている。
 これらは,NHSに限らず他の経済セクターでもはっきりみられる動向であるが,NHSでは看護婦の雇用保証に対する認知はかなり減少していて,それはナースバンクの利用や臨時雇用のさまざまな形態の活用によってさらに鼓舞されている。
 英国の看護労働におけるトレンドの全体的なパターンとしては,看護労働需要における持続的な不確実性(医療における労働需要のどれくらいが満たされるのか,誰によって満たされるのか,どんなスタッフミックスとレベルを用いるのか)と,労働力の高齢化による労働供給プロファイルの変化である。
 政策的に評価すれば,NHS改革は確かに看護婦の雇用動向に重要なインパクトを与えてきたし,今も与えている。しかし他の要因,例えば人口学的,経済的,社会的要因も同様に重要なインパクトを与えているはずである。英国の看護労働市場の力学を本当に理解するためには,こうした人口,経済,社会の要因の重要さを銘記し,こうした観点からの分析を蓄積しなければならない。これは日本をはじめとする他の医療先進国においても同様の課題なのである。

*参考・引用文献は略した。
1)EN:2年間の教育を受けた看護職種で,日本の准看護婦に相当する。文中にもあるように,近年ENの養成は中止された。
2)プロジェクト2000:1990年から開始されたカレッジベースの看護教育(なお,英国でいうカレッジとは,日本の単科大学にあたるので,正確には「看護専門大学ベースの教育」というべきである。