医学界新聞

マレーシア熱帯医学体験記

五味晴美(ベス・イスラエル・メディカルセンター/内科レジデント)


 私は1993年に岡山大学医学部を卒業し,沖縄米海軍病院を含む2年間の日本での研修後,1995年7月よりアメリカ・ニューヨークのベス・イスラエル・メディカルセンターにて内科レジデントとして勤務しています。学生時代から国際医療に大変興味があり,本年7月よりテキサス大学にて感染症科のfellowship(専門医トレーニング)に進む予定です。今回私は,岡山大学医学部衛生学教室の青山英康教授のご配慮のもと,9月21-28日の8日間マレーシアの首都クアラルンプールにて現地医療(特に熱帯医学)を実際に体験することができましたので,これを報告いたします。


 東南アジアの中でもシンガポールとならび経済発展の目覚ましいマレーシアは,マレー系約50%,中国系約30%,インド系約20%,他の少数民族から構成される多民族複合国家です。宗教もそれぞれイスラム教,仏教,ヒンズー教が多数を占め,公用語としてマレー語が使われています。もちろん英語,中国語も話されています。
 私は首都クアラルンプールのUnirersiti Kebangsaan Malaysia(略称UKM)の医学部および大学病院を訪れ,現地医療の一端に触れるとともに,現地の医学生(4年生)の公衆衛生実習と講義に参加する機会を得ました。

■マレーシアの医学教育

英国の医療制度に基づく

 マレーシアの医学教育を簡単に紹介しますと,小学校6年,中学校5年(3年と2年に分かれている),大学前教育2年を終了後,入学試験があり,医学部5年間の教育が始まります。マレーシア全国には国立の医学部は6校あり,学費はすべて無償です。しかし,昔からのマレー人優遇政策のため,医学部の大多数をマレー人が占め,中国系,インド系の人は,イギリス,アイルランド,インドなどの医学部へ進学しています。
 医学部5年間のうち,はじめの2年は基礎医学,3年生から5年生までは病院実習を含む臨床医学全般を学びます。例えば3年生では内科・外科・小児科および公衆衛生実習,4年生では精神科,家庭医学,産婦人科,泌尿器科,整形外科,眼科,耳鼻科,麻酔科および公衆衛生実習,5年生では再び内科,外科,小児科を実習し,卒業試験に備えます。そして医学部卒業と同時に医師としての資格が与えられます。
 卒業後は1年間,Housemanと呼ばれるいわゆるインターンとして研修し,その後3年間は全員Government Serviceと呼ばれる国の病院での勤務が義務づけられています。この義務を終了後,さらに各科の専門医トレーニングを希望する者はそれを始めることができ,希望しない者はGP(General Practitioner)として開業することになります。専門医トレーニングを終了した者にはマスターの学位が与えられます。これはイギリスの医療制度に基づいたものです。

実践的,即戦力重視

 マレーシアの医学生たちと一緒に学んで感じたのは,その医学部教育が非常に実践的で即戦力につながるということでした。例えば産科実習では,3年生は15の正常分娩を経験しないといけないとか,採血などの簡単な処置はインターンの指導のもとに行なってもよいなどです。これは医学部卒業後その人がすぐに働けるようにとの目的からだそうです。
 私の訪れたUKMの大学病院は最近新築されたばかりで,ベッド数約1000床を備え,各専門科はそろっていました。この病院は,近くの開業医からの紹介のみを受けるようになっているため,患者が自分の意志で来院することはできません。医療費はそのほとんどを政府が負担するしくみになっています。UKMの古いほうの大学病院は約2000床の巨大な病院でCT,MRIなどの最新医療機器も備えてあり,立派な病院でした。ただ欧米などに比べると,日本もそうですが,個室の数が少なく,20人ぐらいの大部屋もかなりの数ありました。
 多い疾患は,私の専門の内科では,まだまだ感染症の比率が高いとのことでした。例えば結核,デング熱,まれにマラリアなどでした。もちろん高血圧,糖尿病はCommon diseaseの1つだそうです。また私が訪れた頃は,コクサッキーウイルスのoutbreakが起こっていました。

■熱帯医学教育を体験

感銘を受けた臨床実習

 さて私はUKMの大学病院を見学した後,クアラルンプールから車で約1時間のTanjong Karangという小さな村で,4年生の医学生に交じって公衆衛生学の実習を受けました。学生たちは男女ともで30人ぐらいのグループで,その村に6週間住み込んで実習を受けていました。私はその「合宿所」に参加し,マレーシアの熱帯医学の一端と熱帯医学教育の実践を体験することができました。私の日程は,2泊3日と大変短いものでしたが,医学教育のすばらしさにすっかり感心する日々となりました。
 1日目はTanjong Karangのヘルスセンターで,そこの検査技官から簡単に水質検査の講義を受けた後,実際に川の水および水道の水のSamplingの仕方,検査する項目などを実習しました。自分の目でどうしたら検査できるのか確認できるため,非常におもしろかったです。
 午前中はそれで終わり,簡単な昼食(マレー料理です)をとったあと,午後からは家庭訪問(訪問看護)の実習を行ないました。この家庭訪問はハワイ大学にてMPH(master of Public Health)を取得したという女性医師の指導のもとに行なわれました。私たち約10名のグループは,54歳のマレー人女性で,高血圧,糖尿病,狭心症の既往がある患者を訪ねました。訪問の目的はGPにみてもらう合間の看護,あるいは入退院前後の指導が主です。指導は,薬服用の有無,精神面の健康状態,家族関係,食事療法の指導など多岐に及びます。
 私はこの非常にきめ細かい指導に大変感銘を受けました。医学生たちは1人ずつ自分の担当の患者を受け持っており,follow upするようになっています。また必要があれば,この村からクアラルンプールの大学病院へも紹介されることになっています。

Dengue virusのコントロール

 2日目は今回私の目的の1つでもあったDengue virus(デングウィルス)のコントロールです。Dengue virusによる感染症は,無症状のものから,Dengue Hemorrhagic Fever(DHF),Dengue Shock Syndrome(DSS)と呼ばれる致死性のものまで多様です。1995年にアメリカのCDC(Centers for Disease Control and Prevention)のまとめた報告書によると,現在serotypeでDEN-1,DEN-2,DEN-3,DEN-4の4種類が見つかっており,東南アジア,アフリカ,中央および南アメリカで散発的なoutbreakが起こっています。Dengue virusは蚊(Aedes aegupti)を媒体とするため,その蚊の駆除がコントロールの核をなしています。
 現在のところ,根治治療の薬はなく,ワクチンは開発途中です。平均約5-8日の潜伏期間の後,突然の高熱,頭痛,咽頭痛,四肢痛,背部痛,うつ状態などが起こります。熱は2相性で1回目に解熱した後,特徴的な発疹や点状出血斑が現われます。初期はかぜやマラリア,Yellow Fever(黄熱病)などと区別がつきにくいそうです。その名の通り(Dengue Hemorrhagic Fever),出血傾向が血小板の低下とともに出現したり,感染に伴い血管壁の透過性が増すためhypovolemeaが起こったりします。重症時の入院時の治療のポイントは血小板のfollowupとhypovolemeaによるショックの治療です。診断は,抗体の検出ですが,Yellow Feverと抗体がcross-reactionを起こすため難しいこともあるそうです。Tanjong Karangのヘルスセンターによると,その村だけで1997年1月から9月までで18件のDengue virus感染症が報告されています。
 私たちのグループはヘルスセンターの検査技師官に従い,近所の家を一軒ずつ訪問し,蚊の集まるもとになる淡水(水ためなど)の有無を調べました。多民族のため,中国系,インド系,マレー系といろいろな種類の家屋を丁寧に訪れました。花びんの水や冷蔵庫の底の受け皿の中の水,水ための中の水などがポイントで,疑わしいときはピペットで水を採取すると,蚊の幼虫が肉眼で見えることがあるそうです。幼虫が見つかると,センターに持ち帰り,種類の同定を行ない医師に届けることになっています。幼虫の発生を防ぐには,水を頻繁にとりかえたり,長期に水をためておく必要のある場合は,蚊の駆除剤を入れておくことが必要です。駆除剤は安く市販されています。
 非常に短い実習期間でしたが,医学生たちとともに学べたことは有意義なものでした。医学のみならず,彼らのほとんどがマレー人のイスラム教徒であったため文化的な面でも大変勉強になりました。敬虔なイスラム教徒は1日5回祈りを捧げますが,医学生の彼らも時間を有効に利用して祈りを捧げていたようです。
 再び医学教育の話に戻りますと,UKMには図書館に2-3台,コンピュータ室に10台前後の最新のコンピュータが備えつけられており,学生は自由に無料でE-mailやInternetにアクセスでき,文献検索が可能となっています。私も実際に滞在中にコンピュータを借りて,Medlineなどにアクセスし文献検索をさせてもらいました。このようにUKMでの教育は非常に充実したものとなっています。

■日本での教育を考える

大胆な教育改革が必要

 最後に,約1週間ほどのマレーシア滞在でしたが,当初の目的であった熱帯医学の実践は十分に体験することができ,非常に満足しています。教科書を読むだけではどうしても身につきにくいこの分野も,自分の目で確かめることで非常に臨場感が増し,また自分の鑑別診断能力を上げる手助けとなりました。
 さらに非常に残念ではありますが,その技術や最新医療機器にもかかわらず,日本の医学教育の質的レベルが世界でも最低であることは否定できないと痛感しました。実践的即戦的という面からすれば欧米はもとより,このマレーシアにも非常に遅れをとっている感じがしました。私の研修しているアメリカでは医学部の学生は,学生時代からMedline,AIDS line,Cancer lineなどを駆使し最新の文献を利用しながら勉強することが当然のこととなっています。それはそういう勉強法を可能にする教育システムが確立されているからです。
 最近では日本の大学教育全般も変わってきてはいますが,医学教育についていえば,法改正をも伴う大胆な改革が必要なのではないかと思います。それは医師の指導のもとならば医学生でもある程度の処置を可能にし,臨床実習をより充実した即戦的なものにする必要があるということです。医学部教育,研修医教育の改善は,日本の医学全体の質をも上昇させることにつながるわけですから,日本の大学も臨床・研究のみならず,教育にももっと力を注ぐべきだと思います。日本の医学教育の改革を切に望みつつ,この報告を終えたいと思います。