医学界新聞

1・9・9・8
新春随想

臓器移植元年

藤堂 省(北海道大学教授・第1外科)


 日本で「臓器移植元年」と言われて久しい。アメリカのピッツバーグ大学で移植外科修業をしている私に「早く日本に帰らないと船に乗り遅れるよ」と親切な忠告を受けたのは,今から10年も前のことである。昨年10月16日,念願の臓器移植法が発効されたが,臓器移植を待つ患者さんたちの願いにも関わらず,いまだにその恩恵にあずかり第2の人生を歩めた人は皆無である。

自信喪失と旧態依然のシステム

 世界の臓器移植のメッカから帰国して早や1年。早期実現のために努力をしているものの,いつも「どうして?」という思いに駆られている。正鵠を得ているとは言えないまでも,日本人の自信喪失と旧態依然とした日本のシステムが問題なのだと最近とみに思う。
 自信喪失は政冶や経済の社会で特に明らかだ。1日の平均の睡眠時間が2,3時間で,とにかく朝から晩まで働きづめのフェロー時代,日本からのビジターが「今の日本の資金をもってすればアメリカの国土が2つ買えるだけの力がある」と言うのを手術の合間の雑談で聞いた。それがこの数年どうしたことだろう。「日本はこんな国ではなかったはずなのに」と思わざる得ないことばかりだ。
 思うにそれは日本の教育が一番の原因ではないかと考える。身近な例で失礼だが,象徴的なことをアメリカの日本人学校で経験した。年度末の学芸会の際,お母さんたちが自宅でそれぞれに調理をした料理で昼食を楽しむこととなった。
 懐かしい母国の味「梅干し」もあり,のり巻きや色々なおにぎりとともに3食メニューの1つとしてあげられた。ところがいざ諸々の料理がテーブルにあげられる段になって,日本から来たばかりの若いお母さん方が梅干しの種を除いて等分に配るべきだと言うのである。驚いてその理由を尋ねると,梅干しの種を誤って飲み込んでしまったら大変だと言う。
 賢明な読者は私がその時どんなに面食らったかお察しいただけるであろう。「飲み込んだら便と一緒に出てくるだけだ。むしろ,梅干しには種があることを経験させたほうがよい」という私の意見は一蹴された。
 帰国してこの1年間,もっと面食らうことを見聞きするのが頻繁である。例えば学校の運動会は平日にするとか,足の遅い子はスタートラインのずっと前から走らせるとか,一生懸命走って一番になっても順番をつけないとか,等々。
 人は皆あるがままがよい。絵が上手な子がいれば,足が速い子もいれば,すっとんきょうでいつも級友を笑わせる子もいれば,本の虫になって読書にふける子もいれば,勉強ができる子もいれば,音楽だけはだめな子もいる。
 そのような色々な子どもたちが,自分の得意なことでお互いに競い合って生活をすることで,自分の得意なことをもっと伸ばすことこともでき,また同時に自分のかなわない人を大切に思うのではないか。つまり,昨今の誤った平等主義が,日本人としての本当の自信と誇りを取り去ったとしか言いようがない。由々しいことである。
 修行時代,北欧から留学して来た外科医で一時母国に帰ったにも関わらずついにアメリカに帰化した友人がいる。彼が再びアメリカに帰ってきた時,一緒にビールを飲んだ。
 「どうしてだ」と聞いた私に,彼は「国に帰ってみると,数年前に自分が飲んだコーヒーカップが,そのままの状態でテーブルにあったのさ」と答えた。今でも鮮烈な印象だ。
 彼の感慨ほどではないけれど,10数年ぶりの日本は,彼に近い思いを抱かさせる。やはり日本は旧態依然としたシステムで動いている。決して地上から消滅することはないと思っていたソ連が無くなり,厳然とそびえ続けるであろうと思われた東西ドイツの壁がもろくも崩れ去り,マルコスも毛沢東も,と小平も,そして昭和天皇を始めとするたくさんの著名な日本人たちも,ちょっとアメリカに行っている間にこの世を去った。世界のシステムが変わっても日本の社会を支えていた人たちが亡くなっても,旧態依然とした日本の社会のシステムは厳然としてそこにある。

新しい社会へ脱皮する日

 合理的なアメリカの社会にどっぷりと浸かってきた私にとって,この1年はあまりにも「どうして?」という言葉で表現されることの連続だった。しかも,この不合理な日本の組織の中で働く人々の多くは,「不合理だ」と感じながらも,それを変えることができないという諦めに似た思いでいるのも事実である。
 明治維新で新しい日本のシステムができ,戦争に敗れた時にそれを根本から変えるチャンスがあったのに,敗戦時の日々の生活に追われ,そこに思いが至らなかったばかりに,同じシステムがこの百年間日本を牛耳っている。終戦ではなく敗戦処理をきちんとできなかった日本の社会のつけが,いま回ってきているのだろう。
 臓器移植元年。それは,単に臓器移植が行なわれる年を指すのではない。それは,日本人1人ひとりが日本人としての自信と誇りを取り返す日,そして日本の社会が新しい社会に向けて脱皮をする日。その日こそ,真の意味での移植元年が始まるのではないか。
 臓器移植は独立した個々人と,成熟した社会のやさしさがあってこそ行なわれる医療だから。