医学界新聞

1・9・9・8
新春随想

臓器移植法の制定
生命重視型社会の夜明け

野本亀久雄
(九州大学生体防御医学研究所教授,日本移植学会理事長,日本臓器移植ネットワーク副理事長)


 30年にわたって迷走をつづけた脳死・臓器移植の基本的な方向性が,臓器移植法の制定でようやく定まったようです(平成9年6月16日成立,10月16日施行)。脳死の判定や臓器提供を生前に書面で意思表示しておくことが要求される本法は,臓器移植の側だけからみると複雑で難しいものです。しかし,市民の1人ひとりが自ら生と死を考える機会としてとらえると,プラスに働く可能性が生まれます。複雑で難しい法になった背景には,市民の中にとまどいが残っていることがあるでしょう。わが国における生命への新しい対応の第一歩と位置づけ,未来の社会構造に適した生命観を生み出すエネルギーにしたいと,私自身は考えています。
 私自身の臓器移植へのかかわりは,1988年日本移植学会会長(年次学術集会担当)に指名されたことにはじまります。閉塞状態にあったこの問題の突破口を,その年次の活動の中から作り出してほしいというのが要請でした。基礎系の科学者の視点で観察したところ,ほとんどの市民,さらには多くの医師が脳死を知らないということが問題として浮かび上がってきました。
 そこで4月から9月にかけて,全国14か所で市民参加のシンポジウムを開き,脳死と臓器移植について語り合いました。宗教界や法曹界もそれぞれ同じような活動をひらいてくれました。語りあった成果が,フェア(移植機会は公平,公正に),ベスト(最善の医療体制で),オープン(疑念には情報公開で)の単純な原則です。このような市民レベルの動きは政府へも波及し,脳死と臓器移植をめぐる臨時調査会が設置されました。脳死と臓器移植に関して前向きの答申が出されたので,私自身はこの問題から撤退し,マウスの待つ研究室へ帰りました。
 長いお休みの後,1995年9月に突然日本移植学会理事長に指名されました。1988-1991年の状況から一歩も進んでいないのにびっくりしたのが当時の印象です。フェア,ベスト,オープンを具体化させることで,問題の解決を図る決意でした。当時すでに臓器移植法が議員提案の形で衆議院に提出されていましたので,「国会での審議中は,関係する行動はさしひかえる」という議会民主主義の基本的なルールを守るよう会員に要請しました。
 しかし,十分な審議が行なわれないまま衆議院解散,法案の自然廃案という方向へ進み,将来の方向性がまったく見えない真空状態になりました。解散の翌日は,「法の有無にかかわらず,学会主導で脳死・臓器移植を実施する準備に入る」という意思を表明しました。国会で法を制定してくれればそれに従って行動する,しかし,国会でこの問題は法にはそぐわないと判断されれば,専門職集団の責任で実施するという意味あいです。幸い1997年6月16日に臓器移植法が成立しましたので,学会としての準備は,省会やガイドラインの作成,日本臓器移植ネットワークのシステム化の参考として活用していただきました。
 現在は,法のもとに政府の指導で臨床家の方々が活躍される状況であり,基礎系の学会理事長がしゃしゃり出る場はなくなりました。責務を果たし,ほっとしているところです。市民に受け入れられる形で脳死判定や臓器移植が定着し,医療不信払拭のエネルギーになることを期待しているところです。
 私自身で提唱してきた生体防御論を高齢化社会にあてはめると,「元気に生きて,明るく死のう」という情緒的表現になります。自然環境にも通用するような共生型の成熟社会ということができます。生命に優しいそんな社会が作れる時代を迎えるきっかけとして,脳死と臓器移植の方向性の決定が位置づけられればと考えています。今年こそ,市民の1人ひとりが生と死を語り,臓器提供の意思を表示する人々が増加し,生命重視型社会の旗印として臓器移植が普及していくことを期待しています。