医学界新聞

連載 市場原理に揺れるアメリカ医療(19)

急成長する在宅介護業界

李 啓充 Kaechoong Lee
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学医学部講師


 メディケア(米政府が管轄する老人医療保険)の財政が逼迫し,米政府がメディケアの支出削減に全力を上げていることは再三述べてきた。入院にかかる医療費を削減するために,米政府は1989年に在宅介護に対するメディケアの支払い条件を大幅に緩和する処置をとるなど,在宅介護を積極的に推進してきた。その結果,在宅介護に対するメディケア支出は,1990年の33億ドルから1996年には190億ドルと,6年の間に約6倍に急増した。医療業界の中でもこれほどの急成長を遂げている分野は他になく,在宅介護サービスに新規参入する事業体は1か月に100社を越え,現在全米で1万を越える在宅介護企業がメディケアの認可を受けているといわれている。

跋扈する悪徳業者

 しかし,急成長産業に不正が横行することは在宅介護サービス業界といえども例外ではない。今年7月,米保健省の総監察官ジューン・ギブズ・ブラウンは,メディケアに関する不正請求総額は230億ドル(総支出の14%)に達するという推計結果を議会に報告した。そして,在宅介護サービスについては請求額のうち30%から40%が不正請求である疑いがあるとされた(ただし,ここでいう不正請求は書類の不備などの単純過失から意図的な詐欺までのすべてを含んだ数字である)。
 同じく7月,米議会に所属する監査機構である一般会計局は,在宅介護サービスに対する行政監督に実効性がなく,悪質業者が野放しにされている実態に強い警告を発した。メディケアの支払いを受けるためには連邦政府から在宅介護サービス事業体としての認可を受ける必要があるのだが,申請の99.8%が認可されており,認可制度は存在しないも同然であるというのだ。
 95年8月に保健省総監察官が議会に提出した報告から在宅介護不正請求の実例を紹介しよう。
(1)提供していないサービスに対し支払いを求める;実際にはしていない訪問介護をしていたと1年間に2600万ドルを不正請求した企業の場合,書類に必要な患者,医師の署名は企業側で代署していた。
(2)医療上必要のないサービスを実施する;極端な例では,健康な老人に「掃除や買い物を手伝う」ともちかけ,メディケアの保険番号を入手する。一方,医師に対しては,「患者さんが在宅介護を受けたいといっている,もし必要性を認めてくれなかったら主治医を代えるといっている」と圧力をかける。
(3)医療サービス以外の経費の付け回し;メディケアは,サービスの直接の費用だけでなく,医療サービスに関連するならば事業体の運営経費なども払い戻しの対象とする。1年間に数100万ドルの不正経費請求をした企業経営者の場合,メイドの人件費,大学生の息子に買い与えた車の購入費,母親のケーブルテレビの料金までもメディケアに付け回していた。
 以上は,手口が単純で,不正請求をする側の浅ましさだけが際だっている事例だが,ここ数回にわたって紹介した病院チェーンの巨人,コロンビアHCA社(以下コ社)にあっては,在宅介護サービスに対する取り組みも,さすがに洗練されたものを感じさせる。
 コ社が在宅介護事業に進出したのは95年のことであるが,わずか2年の間に業界第3位の規模を有するようになり,96年にコ社が在宅介護サービスにより得た収入は10億ドルに達した。収入を確保するための第1の手口は退院患者をコ社が所有する在宅介護サービス会社に紹介するというものである。

経費をメディケアに付け回す

 ニューヨークタイムズ紙の調査によると,コ社の本拠地テキサス州においては,コ社の病院を退院した患者は他病院を退院した患者に比べ,退院後の在宅介護にかかる費用が23%高いという数字が出ている。また,コ社が在宅介護サービス業に乗り出した際に,業界大手オルステン社の事業所を多数買収したのであるが,買収後の事業所の経営についてはオルステン社に委託し,経営費用を払うという形式にした。つまり,実質はコ社が所有する事業所であるが,他社に経営を依頼する形式を取ることで,その経費をメディケアに付け回すことが可能となるようにしたのである。
 本来メディケアがカバーしない経費をメディケアに付け回す操作はcost shifting(経費移転)と呼ばれている。コ社にからむさまざまな不正に関しては現在連邦政府による厳しい調査が進行中であるが,これ以上の疑惑は招きたくないと,コ社は在宅介護部門を売却する方針を決定している。
 在宅介護サービス業という業種は患者の自宅を訪問してサービスを提供するという性質上,第三者によりそのサービスの質をチェックすることが容易でない。在宅介護の急成長に伴い介護者の求人需要も急増しているが,介護者の平均時給はわずか8.4ドルに過ぎず,質の良い介護者を見つけることがますます難しくなっている。犯罪歴・薬剤中毒歴のある者が患者の介護に当たり,患者が犯罪の被害に会うという救われない事態も起きている。いい加減な医療サービスをされた上に,納税者の金をだまし取られるとあっては,これは到底容認できるものではない。

大統領が認可作業を停止

 今年9月15日,クリントン大統領は「今後6か月間,在宅介護サービス事業体に対するメディケアの認可作業を停止する」という劇的政策を発表した。認可作業の停止中,在宅介護サービスに対する抜本的規制案を策定するというのである。
 さらに,(1)認可申請時に系列企業に関する届け出を義務づけ,系列企業間での取引を利用した「経費移転」が行なえないようにする,(2)在宅介護業者としての認可を3年限りとし,3年ごとの認可再申請を義務づける,(3)メディケア適用事業体の認可を受ける前に患者ケアの実績を持つことを義務づける,(4)認可申請事業体に5万ドルを供託することを義務づけ,零細事業体が患者を投げ捨てて身勝手に倒産することを防ぐ,(5)本人,家族にメディケア不正請求の前歴がある場合はその認可を認めない,などの施策を決定した。
 在宅介護推進策開始から8年,悪徳業者の跋扈を許すまじとする米政府の決意は固いが,その反面,規制の強化が患者サービスの範囲を狭めることになるのではないかということが懸念されている。