医学界新聞

癌抑制遺伝子研究の最前線

第56回日本癌学会総会シンポジウム「癌抑制遺伝子」より


 癌抑制遺伝子の存在は,おおよそ2つの方向から示唆されてきたと言えよう。
 その1つは,1969年にオックスフォード大学のHarrisとカロリンスカ研究所のKleinらによる発見で,癌細胞と正常細胞を融合させると正常細胞の性質になり,しかも,培養を続けると融合細胞から染色体が抜けていき,癌細胞の性質になっていくという事実である。このことから,正常細胞の特定染色体には,癌になるのを抑制する性質を持った遺伝子がのっているのであろうと考えられた。
 そしてもう1つは,ヒトの遺伝学から示唆された。つまり遺伝性と非遺伝性の網膜芽細胞腫の統計的解析から,遺伝性のものは親から1つの変異を受け継いでおり,もう1つの突然変異が体細胞に起きることによって発生し,非遺伝性のものは2つの突然変異が体細胞で起きることによって発生するというKnudsonが1971年に提唱した仮説,いわゆる2ヒット・セオリーによるものである(本紙第2257号および第2263号参照)。
 先ごろ開かれた第56回日本癌学会総会におけるシンポジウム「癌抑制遺伝子」(司会=京大 野田亮氏,阪大 秋山徹氏)では,この癌抑制遺伝子に関する研究の最前線の成果が発表された。


p53の新たな標的遺伝子BAI 1

 癌抑制遺伝子p53(p53gene)は,これまで単離された遺伝子のうちで最も高頻度にヒト癌で変異が報告されている。さらにp53の異常は癌の悪性度,抗癌剤・放射線治療抵抗性,血管新生能,転移にも関わっており,その機能解明はヒトの発癌機構を解明する上で重要な課題になっているが,時野隆至氏(東大・医科研)は,p53の転写調節因子としての機能を中心にその標的遺伝子群と,新規遺伝子を紹介。
 p53は転写調節因子として種々の遺伝子の発現を制御し,このp53の標的遺伝子群がp53の多様な生理機能に直接関わっていることが明らかになってきた。これまでに判明した標的遺伝子は(カッコ内はその機能),(1)GADD45:growth arrest and DNA damage inducible 45 gene DNA(DNA修復促進),(2)MDM2:mouse double minute 2(p53転写活性化能の調節),(3)p21WAF1/CIP1(細胞周期におけるG1停止),(4)BAX:bcl-2-associated X protein(アポトーシスの誘導),(5)サイクリンG(細胞周期の制御),(6)GML:GPI-anchored molecule like protein(薬剤感受性)などが知られているが,時野氏は新たにBAI 1遺伝子を報告。「BAI 1遺伝子は,脳に特異的に発現し,トロンボスポンジン様ドメインには血管新生阻害活性が認められ,脳腫瘍が悪性転化する際の血管新生にBAI 1遺伝子の不活性化が関与していることが明らかになった」と指摘した。

TGF-βによるシグナル伝達

 細胞の増殖や組織の再生,修復など細胞の癌化に深く関与する因子であるTGF(transforming growth factor)-βは,細胞膜上のレセプターに結合し,細胞内のシグナル伝達を介して,増殖抑制を含めたさまざまなシグナルを細胞核に伝える。
 松本邦弘氏(名大)は,「このTGF-βファミリーによるシグナル伝達に関係する因子としてTAK1(TGF-activated kinase1)を同定し,さらに,TAK1の周辺で機能する因子として,TAB1, TAB2, TAN1の分離に成功。TAB1はTAK1の活性化因子として,TAN1はTAB1の制御因子として作用すると考えられる」と報告した。
 また,TGF-βのレセプターが活性化されると,Smadと呼ばれる分子が活性化されてシグナルを伝達するが,松本氏はSmadファミリーの1つであるSmad4(DPC4とも呼ばれる)が,膵臓癌に関与する癌抑制遺伝子として単離されたことを指摘し,これらの因子によるTGF-βシグナル伝達系の制御機構について言及した。

大腸癌の癌抑制遺伝子APC

 APC(adenomatous polyposis coil)遺伝子は,家族性腺腫性ポリポーシス(familial adenomatous polyposis:FAP)の原因遺伝子として単離されたが,APC遺伝子はFAPだけでなく,一般の大腸癌についても膨大な数の症例でその異常が検索されている。また,周知のように大腸癌はAPCK-rasp53DCC(deleted in colorectal cancer)など多数の遺伝子に多段階的に変異が起きて発症するが,APC遺伝子の異常はこれらの中でも最も早期に見いだされ,大腸癌が発症するためにはまずAPC遺伝子に異常が起こることが必要であると考えられている。司会の秋山徹氏は,多様な機能を持つこの遺伝子APCについての研究成果を報告した。
 APC遺伝子の産物は300kDaの巨大なタンパク質で,β-カテニンと複合体を形成して,不安定化することによって,Wnt/Winglessシグナル伝達経路を負に制御していることが推測されている。
 秋山氏によれば,APCタンパク質のカルボキシ末端にDrosophilaの癌抑制遺伝子Dlg(drosophila discs large)のヒトホモログの産物(hDLG)が結合することを見いだし,この複合体形成がAPCによる細胞増殖機能に重要であることを示唆する実験結果を得た。さらに秋山氏は,hDLGタンパク質に結合するタンパク質およびAPCタンパク質のarmadillo motifに結合するタンパク質を同定して解析する作業を進め,その実験結果を発表した。

IRF-1/2ファミリー転写因子

 細胞応答を規定する遺伝子発現ネットワークについて,インターフェロン(IFN)系を中心に解析を行なってきた谷口維紹氏(東大)らによって,IRF(interferon regulatory factor)-1/2がIFN-β遺伝子の転写調節因子として同定され,同じ遺伝子制御配列(IRFE)に結合し,IRF-1は転写活性化因子,IRF-2は転写抑制因子として拮抗的に作用することが知られている(本紙第2263号「第2回慶應医学賞発表」参照)。
 最後に登壇した谷口氏は,IRFファミリー転写因子を欠損したマウスを作製し,それらの解析によってこれらの因子がIFN系のみならず,適応免疫系の制御にも重要な役割をはたしていることを示す事実を明らかにするとともに,IRF-1が癌抑制遺伝子として機能し,細胞周期やアポトーシスの制御にも重要であることを明らかにしたこれまでの研究成果を概説。
 また,IRF-1との機能を比較する意味でp53欠損マウスの初代胎仔線維芽(EF)細胞とそれに活性型rasを導入した細胞の性質を調べると,IRF-1欠損マウスの場合と同様に,p53単独では細胞のトランスフォーメーションはみられず,活性型Ha-rasの導入によってはじめてトランスフォーメーショが起きた。これらのことを踏まえて谷口氏は,「IRF-1は,IFN系のの転写因子としてクローニングされ,その後遺伝子欠損マウス作製の技術などの進展によって,種々の細胞応答と深い関わりを持つこと,特にp53という細胞周期,癌化,アポトーシスなどIRF-1と同様にさまざまな現象に関わる因子との働きの違いが明らかになってきた。今後も両因子の標的遺伝子の探索などを通じ,それぞれの制御機構が分子レベルで詳細に解明されていくことが期待される」と述べてその講演を結んだ。