医学界新聞

 ミシガン発最新看護便「いまアメリカで」

 Tenureと看護学[第1回]

 余 善愛 (Associate Professor, Univ. of Michigan School of Nursing)


はじめに

 冒頭から私事で申し訳ありませんが,私は今年,tenureを取りました。といっても,これを聞いたほとんどの人々は,「えっ,それ何ですか?」と応えられるのではないでしょうか。tenure(テニュアー)という言葉自体が耳慣れないものだと思います。アメリカでも,大学関係以外の人はあまり知りません。手元の辞書をひもときますと,「大学教授などの終身在職権」と説明されています。このような日本ではあまり聞かないシステムが,アメリカの大学の質の向上の原動力として大きく働いてきました。このシステムが将来どのように変化していくかはさておき,このアメリカでも一般社会ではそれほど知られていないシステムが,看護学の独立および,発展に果たした役割は見逃すことができません。

教授職への途

 私自身も大学に就職するまでは,このシステムをまったく知りませんでした。もし知っていたら,多分この職にはつかなかったと思います。自分がこんな恐ろしいシステムに身を投げ出したと気がついた時には,もう引き下がれなくなっていたといったほうが適切な表現です。日本の多くの大学や研究機関のように,就職したその日から定年退職までの生活が保証されるという,大変ありがたい制度と違い,アメリカの多くの大学では教授職系の雇用は,通常,最初の5-7年間はtenure track positionという,いわば見習い採用であり,この間は明日の保証のないままに生活しますが,通常は1-3年ごとに契約が更新されます。 つまり,この間はいつクビになるかわからないという不安を常に抱いて仕事をしなければならないのです。
 契約更新にあたっては,それまでの業績が教育,研究,そしてサービスという面でつぶさに検討され,見込みがないと判断された人は,ボスから残念そうな,そして同情に満ちた面持ちで,しかしながらはっきりと「あなた,やめなさい」と言われます。この判断基準は,大学本部ならびに各学部で決めるわけですが,この基準が大学の質や格を決めるのですから,有名大学になるほど厳しい基準を設けるということになります。このシステムのために,アメリカの多くの教授系職員はassistant professor として勤めます。そして最初の5-7年間は,日本の高校生の受験勉強が子どもの遊びにしかすぎなかったことをつくづく思い知らされる生活を送ることになるのです。

学生からの評価も参考に

 業績査定に関しては,学問への貢献度という観点で基準が決められています。教育の面では学生からの反応をもとにして,いかに効果的に教えられるかを検討します。学期の終わりに講義評価質問票を学生に記入してもらい,それを集計したものを大学が集めます。学生は無記名ですから,好きなことを書きます。中にはアジア人に対する差別を露骨に現しているものもあり,私が外国人として一番歯がゆい思いをした分野でもあります。研究の面では,データに基づいた研究であり,目隠し法で選ばれた研究雑誌に発表された文献の数や,外部,主としてNIH(米国立衛生研究所)からの研究基金の数と額などの他,どれだけ学生を育てたかも査定の対象となります。最後にサービスの面として,学部,大学,専門職団体のどのような委員会に参加しているか,そして地域への奉仕という面で査定されます。学問への貢献度という観点から,いかに生産性が高くかつ有能であるかをできるだけ客観的に判断しようというのが,このシステムの主旨なのです。
 しかしながらこのシステムの歴史は意外に浅く,第2次大戦中に,大学教授の思想の自由を守り,その職を保持するという目的で導入されたと聞きます。ですから,現在このシステムが運用されている目的は,本来の目的から変わってきています。その是非も,各大学間,そして各専門分野で,喧々がくがくと討論されており,近いうちにこの制度は何らかの形で大幅に変わるであろうと言われています。
 文献によりますと,現在42%以上の大学教育系職員(教授系というのと違ってinstructorやlecturerorも入ります)がパートタイムで働いています。つまり,tenure trackには乗っていないということです。そして,全米で約20%の大学が,もはやtenureというシステムを廃止しています。したがって,実際tenureを持っている大学教授は,全米の大学全体で30%前後ぐらいかもしれません。
 業績査定のシステムは公平ですが,気が遠くなるほど長い期間を要します。蓄積した業績を,時期が来たら提出するわけですが,これが,通常膨大な書類になります。これを受け取った学部側は,その膨大な書類を複数部コピーし,外部の査定者(通常他大学の教授)に査定を依頼します。これをもとにして,学部での意見をまとめ,推薦する者に対しては,その書類を大学本部に送ります。また,大学本部(副総長または総長室)で再度査定をし,推薦すると決めた人を大学の評議委員会(Regent)に申し出て,それを受けた委員会が最終的に決定権を行使します。
 査定基準やそのシステムの詳細はさておくとして,このシステムが現在までに米国の大学の質を語る上で重要な役割を果たしていることは確かだと思います。しかしながら,このシステムが家庭生活を維持しなければならない大人を,5年から7年もの間にわたり,恐ろしく非人間的な生活状態に押しやるための悪影響も数々あります。確かな統計は残念ながら手元にありませんが,assistant professorの間では離婚率が高いと聞きます。また辛苦のあげくにtenureを獲得した教授の中には,そのおかげかどうか,心根がヒンマガッテしまって,生涯をかけて復讐を誓うかのように,後輩や学生をいじめ抜くことのみを,楽しみにしてしまう人もいると聞きますし,反対に魂が抜けてしまったように,何もしなくなる人もいるそうです。それに加えてNIH全体の予算が伸び悩んでいる昨今,研究金を取るまでに何年もかかることもめずらしくないため,決められた期間に,期待されているだけの業績をあげること自体が大変難しくなってきているのです。

陽のあたる場所に出た「看護」

 こうした批判のある中で,私はこのtenureという非常に明確なシステムとルールがあったために,米国の看護は学問として成立し得たのだと密かに思っています。これは,先に触れた学問の質の向上そのものとはちょっとズレる次元の話です。学問の質の向上はもちろんのこと,その過程における他の学問分野との政治的な力関係のことを言っているのです。
 看護は歴史的にみても,また女性がいまだに大半を占めるという点からも,常に医学の日陰に咲く花でした。どんなに独立性や専門性を強調しても,看護者自身が,医学の枠組みの中でものを考えがちでしたし,看護自体の知識の集積が乏しかったために,医学と看護の力関係は誰の目にも明らかだったわけです。看護が他の学問分野と同じように大学組織に組み入れられ,tenureというシステムの中にあてはめられ,もがいていった過程で,ようやく看護という学問,ならびにそれを研究する者たちが医学以外の分野の人たちに認められるようになり,尊敬されるようになっていったのです。その結果,看護は医学の日陰から抜け出ることができたのだと思います。
 医学という封建的な上下関係の世界にあっては,看護がどんなに高度の学問を持ったとしても,独立した学問分野にはなり得ないのではないかと思っています。大学機構の中で,看護は医学という分野よりはずっと幅の広い舞台を与えられて,逆に医学以外の分野から1つの学問分野として認められ始め,その認識が医学をして看護を再認識せしめたのではないでしょうか。医学のフレームの中から政治的に抜け出すための手だてを与えてくれたのが,実はtenureシステムであったと,私は思うのです。