医学界新聞

 Nurse's Essay

 父と私のいい時間

 宮子あずさ


 私の父は,つい最近まで,肝臓がんのため,私が2年前まで所属していた内科病棟に入院していました。
 数年前に,アルコール性肝硬変と糖尿病を指摘されて以来,年に1度の入院は年中行事。それでも,いつかはと覚悟していたとはいえ,肝臓がんと診断がついての今回の入院は,これまでとは違う重さがあって,自分でも意外なほど動揺する場面もありました。その場面とは,右葉と左葉に見つかった約2cmの腫瘍を,どうやって治療するか決めなければならなかった時。
 アンギオのついでに取りあえずTAE(肝動脈塞栓療法)をやったものの,問題はあとの治療です。PEIT(経皮的エタノール注入療法)でいくか,手術をするか悩んだあげく,再発の可能性が高いことを考え,私はPEITを選びました。いちかばちかの手術に賭けるよりも,PEITでもぐらたたきをしていくほうが,なんとなく勝算があるような気がしたからです。
 この間,父にはすべて事実を話していましたが,治療方針については,全部私におまかせ。これがまた,私にとっては大きなプレッシャーでした。
 思えば,「高等遊民」を理想とする父の生き方は,労働にこの上ない価値をおく母や私の価値観では計りかねるところがあり,昔から彼は,私にとっては不思議な存在でした。毎日のように父のもとを訪れ,その身を気遣う自分が,なんだか自分でないような感じさえあります。別に父を恨んだり,嫌ったりしたことはありません。ただ,つかみどころがなかった,そんな感じで……。
 それでも,いざこのような病気になってみると,運命やなりゆきに強くあらがわない彼の生き方は,「こういう人が,自然に病気と折り合っていくのかもしれない」とほっとさせてくれるのです。
 退院が決まった日,彼はさすがに嬉しそうで,私に向かってしみじみと言いました。
 「僕も,テコ(注;母のこと。母は輝子といいます。ちなみに彼女は肺気腫)もポンコツになっちゃって。あっちゃんには心配をかけるなぁ。でも,人間はポンコツになってからが,味わいがあるのかもしれないなぁ」
 人間,健康を失って初めてわかることがある,という言葉の意味を,私はその時初めてわかった気がしました。
 ――このいい時間を少しでも長く過ごせたらと,思っています。