医学界新聞

対談 臨床医に求められるもの

『今日の診断指針』と『今日の治療指針』

高久史麿氏
(自治医科大学長)
  尾形悦郎氏
  (癌研究会附属病院長)


 臨床現場で役立つ本格的な診断マニュアル『今日の診断指針』第4版が5年ぶりに全面改訂された。一方,長年臨床医に愛用されてきた『今日の治療指針』は,本年をもって初版より第40版発行を迎える。
 そこで,両書の編集にそれぞれ深く関わっておられる高久史麿氏,尾形悦郎氏に,臨床医として,また教育者としての確固たる視座から,臨床における両輪である「診断」と「治療」をテーマにお話しいただいた。


臨床医に求められる診断能力

診断の基本にあるもの

  
尾形 今年は『今日の診断指針』が改訂され,同時に『今日の治療指針』の第40版が発行の運びとなります。
 本日は,先生とご一緒に臨床医の両輪である「診断と治療」ついて,あらためて考えていきたいと存じます。
 臨床医は診察室で初めて患者とコンタクトします。そこであらゆる知識を総動員して正しい診断を導く作業をいたします。先生,診断のための作業の基本とはどのようなものだとお考えですか。
高久 そうですね。診断の基本は,physical examination(身体所見),あるいはhistory taking(問診)であると言われています。しかし,日本の卒前教育では,基本となるその2つが十分には教えられていないことが,以前から問題だと感じていました。
 私が関わっている医学教育振興財団では,各大学の医学部の5学生を毎年8人,イギリスの医学校へ4週間,短期留学させるコースを設けています。そのコースでは日本の医学生はイギリスの医学生と一緒に臨床実習を受けています。学生たちの帰国後,話を聞きますと,イギリスでは教授が学生の手をとって直接に身体所見を正確に教え,また臨床的な質問を学生たちに矢継ぎ早やに浴びせるなど,日本のいわゆるベッドサイドラーニングとはまったく違うと一様に言っています。
 私自身は,医学生よりも,医学生を教育する教師のほうをイギリスの臨床教育に送ったほうが本当は良いのではないかと思っています。というのも,日本では身体所見や患者ヘのインタビューをきちんと教えられる人が少なくなっていると思います。その理由の1つは,内科も各サブスペシャリティに細分化され,その中で身体所見を取ることや,病歴の聴取はできるけれども,最初に患者さんと向き合った時に,いかに正確に病歴を聞き出し,全身的な身体所見を取るかを教えられる人が少なくなり,それが悪循環になっているのではないかと感じています。
尾形 昔から,身体所見や問診は大事,と言われています。例えばクレンペラーの診断学書の昔から,またアメリカでも日本でも頭の先から足の先までの身体所見の取り方や病歴の取り方も細かく出ています。それぞれの技術をマスターすることは大事ですが,そのすべてを一時に患者さんにぶつけたら,患者さん自身もかなわないと思うのですね。下手な人に頭の先から足の先まで触りまくられて。
高久 時間がかかりすぎる(笑)。
尾形 「お腹が痛い」と言うのに「おばあさんは何で死んだか」とかいう話をくどくど聞かれるのでは困ります。大事なのは,患者さんをパッと診た時から交流の場を作るような人間的な技術と,どういう順序で何をするかを瞬間的に見きわめる,そのあたりの技術が重要です。それを何も知らない学生が身につけるのは無理なんです。教える先生が,身をもってサンプルを提示して十分理解させることが大事で,今それが欠けていると言われているのですね。
高久 でも,われわれの時代からきっちりした臨床教育を受けていなかったのではないかと思っています。インタビューの技術もあまり教えてもらえず,なんとなく見様見真似でやってきたという感じがしませんか。
尾形 「インタビューの技術」という言葉はなかったですね。それだけでも大進歩だと思います。
高久 ですが実際には,言葉だけが先走り,技術そのものは学生にまだよく教えられていないのではないですか。本来ならば臨床医学を学ぶ最初の段階で教えられなくてはいけないですね。
 自治医大の教授になった頃に,親しいアメリカのドクターが,自分が作った外来での患者インタビューのビデオを送ってくれました。それは立派なものでした。そのビデオで最初に示されることは,日本では必ずしも行なわれていない医師自身の「自己紹介」です。自分の名前を患者に言って,それからいろいろ聞き始めるのですね。私たちの頃はそんなこと教わらなかったし,ずいぶん違うなと思いました。でも学生には,「自己紹介を研修医でも学生でも患者にしないのはよくない。自分だけ相手の名前を知っているのは失礼だ」と言っていましたけれど。

総論を軽視しがちな日本の教育

尾形 文化の差もあるかと思いますが。しかし,診断の仕方にも各論の前に総論が確かにあるのですが,きちんと教えられていませんね。
高久 そうですね。日本は一般的な風潮として,各論のほうに先に入ってしまっている感じがします。最も基本的なことを1度はきっちり学んでおかなくてはならないと思うのです。常識的なことですが(笑)。
尾形 私はいま専門病院にいます。業務は縦割り制なのですが,そういう病院こそ,総論の知識をきちんと持つかどうかで,よい医師か悪い医師かの境を引かれることになるかと思います。
 また,癌研病院のような専門病院で一般的な卒後教育ができるかどうか心配したのです。しかし,そういうところでかえって総論の教育の重要性が際立ちますね。問題点をきちんと見れる見れないは,やはり初期の総論の教育によります。非常に差がはっきりしますね。
高久 そうですね。学生の時に基本的なことを習得すべきなのですが,臨床家としてのいわゆる修羅場的なトレーニングはやはり研修医の時期になされるものです。研修医の時期に患者の主治医になり,その時にどのようなトレーニングを受けたかが,臨床家としての一生にかなり大きな影響を与えるのではないでしょうか。

エレガントな診療

尾形 私は,診断の総論である身体所見と問診を,相撲の仕切り直しにたとえているのです。一度にすべてをやろうとすると患者さんも大変です。一方,患者さんは朝でも昼でも晩でも医師が「おはよう」とか声をかけて来てくれるのを待っているのです。何回も患者のベッドを訪ねる間に,一方では人間的交感を深め,他方では細部にわたる所見を完成させていく。そういうテクニックが大事です。また,その身体所見と問診で細かい診断までいかなくても,だいたいどのあたりが射程距離かとすぐにわかりますね。逆に言えば,その時点である程度具体的なことをして,的を絞ってから治療や検査のプランを作る必要があり,絨毯爆撃的に行なっていてはどうにもなりません。
高久 それは経済的にも無駄がありますし,最近の検査は患者さんにとって負担になるものが多いですから,検査をやたらに行なうのはよくないですね。「検査でくたびれた」と言う患者さんがよくおられます。検査は,身体所見と問診である程度見当をつけて,それを前提として行なわなくてはいけません。しかし検査は必要です。データをある程度示さないと患者さんに納得してもらえない(笑)。
尾形 いちばんエレガントなのは,身体所見と問診を上手にとり,的を絞って必要な検査をすることです。また,検査を行なう場合には,当然やった結果が治療に反映されないといけません。AやBという結果が出ても,治療に反映されないなら,その検査を本当にするべきであるどうかをきちんと考えるべきだと思います。
高久 そうですね。「治療方法のない疾患の確定診断は,あまり意味がないのではないか」という議論があります。ある会議で,先天性疾患の遺伝子診断を高度先進医療に取り込みたいという申請があった時に,高度先進医療は基本的には将来保険を適応させるためのものであるから,そのような遺伝子診断を高度先進医療に取り込むのはどうかと論議になり,結局は採用されませんでした。この問題は医療倫理の問題だと思います。
 基本的には,治療とリンクしない検査は問題がありますね。
尾形 検査で必要な情報は,医療行為を決定するディシジョンメーキングのソースになるべきです。そこをはっきりさせることが,特に最近,経済的にも倫理的にも求められていると思います。

診断・治療をめぐるさまざまな問題

知らない権利

高久 癌の患者の場合,先生のところでは,どの程度告知が行なわれているのですか。
尾形 私どもでは「癌研」と標榜していますから。しかし,「言われない権利」があることも最近言われ始めていますね。
高久 「知らない権利」については,遺伝子診断,特に先天性疾患の遺伝子診断に関係して言われています。
尾形 それはもっともだと思います。患者の人格,人権と心情などを考える時,何でもあからさまにするだけがよいわけではないのです。検査の場合はどうしても情報が出ますから,「知りたくない」,「検査をされたくない」というのも一理あると思います。ただ,これは医療の話でして,サイエンスの話はまた別です。
高久 そうです,別々に考えなくてはいけませんね。しかし臨床の場合には,サイエンスは別だと割り切れない場合が多いですが(笑)。基本的には別々なものと思います。

病理診断の重要性

尾形 テクノロジーの進歩に伴い,診断技術が進歩しましたが,それと剖検との関係はいかがでしょうか。
高久 これはなかなか難しい問題です。現実には,剖検率は下がっていますね。大学でもそうです。これは世界的な現象だと言われています。基本的には亡くなられた方の剖検をすべきだと思いますが,病理医がいない,夜間や土日には行なえないなど,現実には対応しきれない点がありますね。施設の体制の問題もあると同時に,現在のように診断技術が進歩すると担当医のほうでも「もう診断も確定しているし,無理をして病理解剖をしなくても」と考え解剖をすすめる熱意がなくなってきています。しかし,果たして今のような剖検率が下がる状態でいいのかという問題があります。
尾形 病理も,例えば心臓や白血病など細部を専門にする医師はいますが,病理解剖のように全身チェックする,総論がわかる病理医は非常に少なくなってきたのではないですか。
高久 それは,人体病理を専門にする人が少なくなっていることと,病理の先生方が各専門に分かれ,自分の専門以外は自信を持って病理診断できない問題と両方ありますね。
尾形 大きな問題ですね。剖検率何%以上とか,制度だけ決められても困りますし。
高久 そうです。生検の標本が増え,生検と病理の解剖との両方を行なうとなると病理医にとって非常に大きな負担になります。その割に病理医が増えていないし,定員も増えていません。また定員を増やしても,人体病理を専門とする医師が少ないというジレンマに陥っています。
 現代は情報化社会で,コミュニケーション技術が進歩していますから,臨床検査の検査センターと同じように,病理医を集めた病理検査センターを作り,そこで一括して病理診断を行なったほうがよいのではないかと思っています。
尾形 おっしゃるとおりです。臨床の現場では生検やアスピレーション標本の診断は,意思決定の上で非常に大事なんですね。ですから,時間のオーダーで迅速にきちんと見てもらえるような場所がぜひほしいですね。
高久 そうしないと臨床は成り立ちませんね。
尾形 画像診断や遺伝子診断がどれだけ進んでも,日常診療には病理所見が一番ですから。その技術者の教育,確保が大事だと思います。人件費がかかるかもしれませんが,そのこと自体はさほど費用はかからない。
高久 ええ。人体病理のできる人が減少し, 一方では生検標本数が増え,カバーする範囲も広がってます。このような事態にどう対応していくのかを,病理の先生方は真剣に考えておられると思いますが。
尾形 分子生物学,細胞生物学のトップの技術を臨床へ投入することは,またバイオフィジィックスや技術を画像診断等に投入することは,医学のレベルの進歩にもなり,患者のためにもなります。ここで問題なのは医療経済かもしれないですね。一方,生検やサンプルの診断は,昔と同様に大事で,そこを支援する体制が非常に重要だと考えています。
高久 分子生物学が診断に利用されるようになったといっても,それはごく一部です。やはり病理診断と生化学的診断が検査の基本です。しかも内視鏡検査などの発達で,病理診断の重要性がますます広がっています。いかにして有能な病理医を育てるかが,病理の先生方の大きな課題,ひいては,日本の医学界にとって非常に大きな課題ですね。
尾形 それには,医学界全体として,そういう大事なキーポイントに携わる人たちの社会的レベルを上げる必要があるでしょうね。
高久 だけど,この頃はどうも医師の社会的レベルが全体として下がってるようだから(笑)。病理医は重要な仕事ですが,「縁の下の力持ち」的なところがありますね。
尾形 現在の医療のディシジョンメーキングに大きく関わってる人たちにきちんと評価されるよう,何らかの努力が必要だと思います。

医療経済的な視点

高久 新しい診断技術や治療法が患者さんにとってメリットがあることは間違いないのですが,しかしそれが経済的な面とどう結びつくかはかなり難しい問題です。つまり,日本の経済の中で,医療や福祉にどれだけのお金をつぎ込むべきかは,私たち医師にはよくわからない問題です。しかし高齢者が増え,診断・治療の技術が進歩することは,イコール医療費が上がることです。一方,医療費の割合があまり増加すると日本の経済そのものがおかしくなると言われています。この2つの問題をどこですり合わせるかは非常に難しい問題です。患者のメリットと医療費の高騰との兼ね合いをどうするのかは,本当は真剣に考えなければいけません。官僚や政治家だけにまかせてよいのかという問題があります。
尾形 そこで医療の現場の人がどう考えるか,それを医学教育にどう生かすのかが,今後10年は大きな問題点となるでしょう。
高久 国公立の病院の場合,今まで医療経済的な視点があまりなかったと思います。大学の先生は医療経済には関心がなく,学生に教育しなかった点は反省すべきだと思います。しかし,現場の医師は患者さんを目の前にしていますから,お金がかかるからうんぬんとはなかなか言えません。
 今後は患者さんの負担も増えてきますので,医療の現場に新しい診断・治療方法を持ち込み,それをいかに有効かつ経済的な負担にならないように使うかということを常に考える必要があるでしょうね。

診断・治療の進歩を本当に生かすには

尾形 先生,最近では分子生物学や細胞生物学の進歩がどんどん医療の世界に入り込んでます。その点についてどうお考えでしょうか。
高久 大きな進歩として,分子生物学的手法を使って確定診断することが可能になってきたことがあげられます。DNA診断では,きわめて少量のサンプルで確定できます。このことはサイエンスの面ではすばらしいことですし,臨床の面でもプラスの面が多くあります。しかし,逆に知りたくない情報までわかってしまう問題もあります。DNAの個人情報をどこまで守れるかという問題があります。
 また,患者さんに対して苦痛を与えない,すなわち患者さんに楽な診断技術を開発していかなくてはいけません。DNA診断はごく少量の血液や体液で検査できますし,NMR(核磁気共鳴)やCTを使う検査は,費用はかかりますが,患者さんに対する負担はほとんどありませんね。
 もちろん経済的な問題とリンクしなくてはなりませんが,診断技術の進歩は,患者さんに対する検査の負担を減らした点でも大きな意義があると思います。
尾形 それこそが臨床医学の進歩ではないでしょうか。
高久 私が入局した頃は,脳卒中の患者さんが入院するとカンファレンスで大議論になっていましたが,今はNMRやCTを撮るとあっという間にわかってしまう(笑)。診断によって治療法も変わり,予後の判定も変わりますから,最近の画像診断の技術の進歩には,功の面が大きいですね。倫理的な問題を含めて,科学の進歩をいかにコントロールするかはわれわれ自身が解決すべきであります。コントロールできないといって,科学の進歩を抑えることは難しいと思います。
尾形 おっしゃる通りだと思います。その「カード」をどう使うかが問題なのです。例えば,NMRやCTは役に立ちますが,値段も高い。しかし,必要な時に使えばコストに見合った結果は十分得られると思うのです。ただ,用もないのにやるから問題になるのであって,そこが難しいところですね。エレガントな医師とそうでない医師との差はこのあたりでつくだろうと思います。

医師の診断・治療レベルを上げるために

診断と治療は車の両輪

尾形 この夏,『今日の診断指針』(第4版)が5年ぶりに改訂されました。先生も監修に携わっておられますが,どのようなコンセプトでこの本が作られ,また医師は本書をどのように利用すべきであるか,お聞かせください。
高久 本書の中心になっておられるのは亀山正邦先生です。亀山先生がアイディアを出されて,1985年に初版が発行されました。
 臨床は診断と治療が両輪ですので,『今日の治療指針』が長年にわたり臨床家に愛用されているならば,“今日の診断指針”も必要ではないかとの考えから生まれた本です。『今日の治療指針』が日常診療に手軽で使いやすいということなので,それと同じように,臨床の現場で役に立つ診断の本を作ろうというのが,この『今日の診断指針』を企画したきっかけでした。
 ここ数年間の,基礎医学の発展には目ざましいものがあり,診断・治療領域の進歩に大きく寄与してきました。この第4版では,そのあたりを取り入れるべく,執筆者に第一線で活躍中の若手の先生方をお願いいたしました。特に,先ほどお話にあがったように,遺伝子診断など分子生物学領域の進歩はめざましく,今回はその部分の記載を充実させました。さらに,最近の診断法の進歩を網羅し,その理解を深めるために分野ごとの概説や動向を各編集者にお願いしております。また,扱う疾患も内科系だけではなく,整形外科,耳鼻科,皮膚科,産婦人科,外科などそれぞれ専門学会の診断基準や分類まで記載しています。
 本書はそれこそ持ち歩くのは難しいけれども,診察室の机に置き,随時手中に置いて使う,とても有用な本になったと思います。
尾形 とても使いやすい,良書になりましたね。

診療の現場で経験を積む若い医師や学生のために

尾形 一方,『今日の治療指針』は,亡くなられた稲垣義明先生(千葉大)と,現在開業されている多賀須幸男先生と私の3人でやっておりました。多賀須先生は日常診療の際に本書を利用しているそうです。私も臨床に携わっていて,何かあるたびに本書をコンサルトしています。要するに,自分たちが使うために作っている部分もあるんですね(笑)。また自分が使う立場でみて,かなりアレンジしてきました。
 今はベッドサイドの学生や研修医にも,病名や薬に関する膨大な情報が求められます。また,CPCになると画像診断の基本や,検査値から薬など,さらには保険で取り上げられているかといったレベルの知識も必要です。そういうことを1冊に全部まとめて,しかも厚くない本をとのことで考えました。自画自賛かもしれませんが,コンパクトにできたと思っています。
高久 本当に必要な情報がまとめられていますね。この2つの本は実際に臨床を行なう医師の方もそうですが,これから実際の臨床の場でいろいろな経験を積む学生や研修医たちにも読んでもらいたいですね。特に『今日の診断指針』は4-5年に1回の改訂ですので,5,6年生であれば,研修医になってからも使えるわけですから,今から手元に置いておくとよいと思います。実際,活用している学生もいますね。
尾形 本当のところは,若い人たちに診療の現場を勉強してもらいたい,自分の得意以外のところも気安く手に持って,ページを開けてもらいたいという,そのアプローチのしやすさを考えたのです。私の希望は,機会あるごとにページを開き,そこに何が書いてあるか,またその分野の専門家と称する人は一体どんなことを現実に行なっているかを見て,自身にフィードバックする。自分の専門以外の部分を見ることによって,医師としての総論の広がりが保てるのではないかと思うのです。
高久 先生方のご努力がうかがわれます。この2つの本を多くの人たちに使ってほしいし,また本書を使って,医師としての守備範囲を広げてほしいと心から願っております。
尾形 この2つの本の発行により「診断と治療」について反省してみると,臨床医とは患者さんあってのもので,患者さんとの関係をいかにうまく作るかが重要です。その技術,これは古くて新しい技術だと思います。診断に関しては身体所見や問診,既往歴をきちんととり,そこから要領のよい診断のプランをたてる。また,治療に関しても,患者にとって最もエレガントな治療法をたてる。そのための診断を行なう技術を身につけるためには,必ずしも専門家の専門分野だけの知識では十分ではありません。臨床医として,基本的に広がりのある基盤を持つことが重要となります。しかし,1人の人間がそれを全部マスターすることは不可能ですから,ことあるごとに簡単にコンサルテーションができること,専門医にコンサルテーションするのもいいでしょう。しかし,もしそれが不可能なら,この『今日の診断指針』と『今日の治療指針』にコンサルテーションする。そういう意味でこの2つの本を使うことで,自分の抱えている問題に対する最もエレガントなアプローチができるようになると思います。
 『今日の診断指針』を編集された高久先生と,『今日の治療指針』の編集に参画した私として,この2冊の本が多くの方々に十分利用されることを切に希望しております。
――本日はありがとうございました。