医学界新聞

 Nurse's Essay

 ある作家の教え

 久保成子


 V・H・フランクル博士が,さる9月2日に逝去されました。『夜と霧』『死と愛』などの著作から計り知れないほどの教えをいただいた者として,深い感謝と哀悼の念を捧げたいと思います。
 数々の教えから1つを取り出すのは困難なことですが,職業活動(臨床・教育)の場でとりわけ私が情熱を傾けたことの1つに,人間の実在における3つの価値体系,中でも「態度価値」の発見ということがあります。
 「態度価値」とは,人間が彼の生命の制限に対していかなる態度をとるかということの中に実現化される,1人の人間が運命に対して,それを受け取るほかしかたがないような場面において生ずる「態度」を意味します。また,その態度価値は,発見されることを「待っている」性質のものだとも。例えば……
 深夜勤務の看護婦が,癌末期の老人の病室に入っていく。老人は,夫人が流感に罹り面会が途絶えていることから,不眠の夜を過ごしている。
 「今夜もお休みになれないのですね」と声をかけた看護婦に,病む人は
 「今日も夜勤なのかい,大変だね」とかすれた声で応答した。
 「まぁ嬉しい,私のために心配してくださって……元気が出ますわ」と看護婦は微笑を返す。
 老いて癌末期の状態で,深夜の病院のベッドに在るこの人からのこの言葉に,私はフランクルの言う「態度価値」を見出すのです。
 不眠を訴えて,看護婦をその場に留めておく態度を当然のこととして選べたはずの病む人が,こんな優しい態度を……,と看護婦がそれを「態度価値」として発見した時,先のような微笑を返すことができるのです。
 嬉しい!私のために……という看護婦の喜びは,病む人が価値ある存在として「いま」ここに「在る」ことを伝えているのです。
 看護の場の,この何でもないと思われる病む人との数分の生のと 瞬き 間が,重大な意味を持つこと,価値の発見がよく言われる人間にとっての究極の「生きがい」につながっていくことを,博士から学んだのでした。
 博士,どうか安らかに!