医学界新聞

 連載 イギリスの医療はいま

 最終回 変わりゆくイギリスの医療

 岡 喜美子 イギリス在住(千葉大学看護学部看護学研究科修了)


揺らぐ無料医療の原則

1999年に,ICNの代表者会議がロンドンで開催される。
この会議は,英国人B.フェンウイックによって設立さ
れたICNの100年目の行事となる
NURSING STANDARD, June 25, Vol.11, No.40, 1997.

 1997年5月の総選挙で保守党が惨敗し,若きリーダー,ブレア党首率いる労働党が18年ぶりに政権を奪回したニュースは今も耳に新しい。今回の選挙ではNHS(国民医療制度)が大きな争点になっていた。
 遡って1945年の総選挙で労働党が大勝し,イギリスは福祉国家としての道を歩み始めた。イギリスが世界に誇るNHSもこの時に制定され,誰もが無料で医療を受けられるようになった。
 しかし時は進み,植民地が次々と独立するとともに「英国病」は悪化し,経済力の低下や高齢者,移民の増加によって,医療や福祉の予算が逼迫するようになった。そこに登場したのがサッチャー首相の保守党政権下における弱者切り捨て政策である。これによってNHSは「ゆりかごから墓場まで」の理想からどんどんとかけ離れたものとなった。保守党政権はNHSに対して市場原理を導入し,医療経済を建て直すために病院を閉鎖していった。それによりベッド数は以前の3/4にまで減少し,手術や入院もウェイティングが当たり前となった。精神医療では入院は平均7週間待ちという状況で,心臓バイパス手術を4回もキャンセルされた患者がストレスのため死亡したりと,大きな政治問題にまで発展した。
 そこで労働党は,来年度NHS予算の12億ポンドの増額と無料医療の原則を公約して国民の支持を勝ち取り,今回の勝利となったわけである。
 しかし選挙が終わってまだ3か月もたたないうちに,政府がGP(家庭医)の診察や入院費の有料化を含むNHSの抜本的な改革を検討していることがわかり,国民や医療関係者は大きな衝撃を受けた。いくらうまいことを言っても,ない袖は振れないわけで,早晩受益者負担の案が出てくるだろうとは思っていたが,まさかこんなに早くNHSの改革に取りかかるとは,まったくブレア首相も大胆不敵なものである。

21世紀に向けての看護

 このような医療の変化の流れの中で,これからのイギリスの看護はどう変わっていくのだろうか。  さまざまな意見が交わされる中で最も確実なことは,ますます看護の重要性が増すということである。これまでは,男性が社会に出て労働や生産を行なう「男性が支える社会」であった。しかし,これからは「女性が支える社会」となる。つまり,21世紀は高齢者が増加し続ける一方,生産や労働を請け負う若年人口は先細りとなる。
 イギリスでは,100歳以上の高齢者が毎年7%の割合で増え続けている。1991年の人口調査では,100歳以上の高齢者が4400人だったのに対し,2031年には10倍以上になると予想されている。イギリス人は惨めな生活を伴うような長寿を望んではいない。彼らが求めるのは,暖かいケアと人間としての尊厳が保証されている老後である。
 それゆえ,これからは高齢者をケアすることが社会の大きな仕事となる。そしてそのケアにあたるのが,多くは女性からなる看護職であり,高いプロフェッショナリズムによって,その仕事をリードすることを社会から期待されている。看護界もケアリーダーとして社会全体を引っぱっていける看護職の増加をめざしている。特に地域看護の中ではGPと同等の位置に置かれるべきナースプラクティショナー(NP),またはハイテク化の進む医療の最前線でより高い専門技術を発揮しなければならないクリニカルナーススペシャリスト(CNS)や専門看護職の増加は必至である。地域精神看護の中では,より治療やソーシャルワークにも通じたメンタルヘルスプラクティショナーの誕生も予想されている。
 これからの高齢化社会を支えるには,看護婦の数を増やすことよりも,前回でも紹介したように家庭介護者やヘルスケアアシスタントを教育,指導できる質の高い看護職の育成が最重要課題である。さらに,他職種の人たちに看護の専門職性を認めさせるためには,それに見合う教育があってこそである。将来的な目標として,専門職としての看護職は看護学士号が最低条件となり,NP,CNS,ヘルスビジター,専門看護婦,看護教師などは大学院教育が当然となるだろう。
 今やその準備は着々と進み,看護婦教育の大学化はもとより,病院付属看護学校も近くの大学と提携して,学位を取得できるようになった。また,大学編入や通信教育で学士号やそれ以上の学位,資格の取得も可能となっている。この将来のビジョンを現実にするためのスピードは驚くべきものがある。
 「これからの社会を支えていくのは私たちなのよ。なんてエキサイティングなんでしょう!」
 イギリスの看護職たちは今,元気いっぱいである。

(連載おわり)